映像の脚本について思う事

 痛ましい、悲しい事柄でした。わたしは原作もドラマ(脚本)見ていません。でも私もいくらか脚を突っ込んだことのある世界なので私の範囲で今回の事の感想を残しておきたいと思います。
 
 私が全体を眺めての想った事は何よりも大きな組織に属する関係者の皆さんですね。制作サイドやら、出版社やら。(出版社の人の事は全然わかりません。出ている情報からの想像で)脚本家には「原作側がこだわりが強くて」原作者には「脚本家が頑固で」なんて双方が会わない事をいいことに双方に「あっちの責任」と言っていたんじゃないか、と感じました。だって会ったことないのにこんなひどい対立構造なかなかできあがるはずなし。制作(出版社)は面倒を避けたかったんでしょうね。時間もないし、予算もそれほど大きいわけじゃない、これまでそうやってきたし、と。たいして大きな問題だと思っていなかったんでしょうが、ウソを伝達して自分の利を得ていたという意味では詐欺ですね。今まで大きな問題にならなかったのは裏で泣いている人達が耐えてくれていただけですね。
 
 あとはもちろん、脚本家の方がそこまで原作(原作者)を大事にしていなかった事はご自身の発表などからも想像できます。でも今回の事件についてだけ言えば制作(出版)が双方にいい顔していた事に比べたら2番目の問題だと思います。脚本家の方が自ら浮上してしまった事で、こちらの問題の方が目立ってしまって、大きい問題の方々への目くらましみたいになってしまってます。(大きい会社の人達は本当の攻撃の矛先がズレて一寸胸をなでおろしたのかもしれません)むろん、軽んじてるわけではありません。0から1を作った人達について、私もそちら側に立ってます。よく作品は自分の子供と同じ、という例えがありますが、子供を持ってみると、それともちょっと違って、作品は自分の心そのものだな、と感じます。完璧でないのにかかわらずです。一人で作った原作ならばなおさらに。それが誰かの手に渡って「(善意)もっといいのに整形しましょう、(麻酔なし)ちょきちょきちょき、ほらとってもキレイになった」そしてその『治療者』の周りで「ああ、本当にその方がいいや、きれいになった!」とやられたら心はズタズタになるに決まってます。
 
 大きい会社の人達の問題はもう、いろんな方がおっしゃるように大きな委員会などを作って再発防止の「きまり」を作ってほしいです。どうしてこんな問題が起こったか経緯を調査する。対策を発表する。小さな人間関係だってこれくらいやらないと「普通」は信頼関係は継続しないもんですが。大企業がやらないんじゃ、恥ずかしくないのか、専門家はいねえのか、と、とても不思議です。
 
 脚本化の問題については、一時的にその立場の途中にいた事もあったので少しだけ。私はデビューもしてませんが、原作6本くらいやりました。でも最後はもう原作はやらねえぞ、となりました。(原作やらねえぞ、は制作側の人から見て「脚本家」辞めます、と直結します)あなたのオリジナルをやるために先にどうしてもなんでもいいから原作ものでデビューしてくれ、と頼まれたこともありました。この言い方がまずもって問題です。私にとってはオリジナルより原作の脚本化の壁の方がよほど高かった。実力不足と心の消耗が激しすぎて、もうできませんでした。
 私がやってみて思ったのは、誠実に向き合うのであればどうやっても価値観が違う原作を脚本化することはできない、という事です。それを経験した後はデビューもしてないくせに「その原作を真に敬愛する脚本家にやってもらってくれ。その人の方が私よりうまくできる」と断りました。仕事は欲しかったけどできないものは仕方ない。ちなみに今オリジナルを発表し続けている素晴らしい脚本家の人達もこの修行(原作脚本化)を成し遂げた人達でそれだからプロになれるんだよなあ、と圧倒的な力を感じます。
 
 原作を脚本にする、という使命を負うならば、一部のスーパー脚本家を除き、その原作に対して「人生変えられるくらいの衝撃を受けました」くらいの尊敬でちょうどいいと思います。細部まで大事にしますから。そして、そんな本は誰かの人生で5冊もあるか、ないか、って話だと思います。(私の読書量も少ないけど)そして衝撃を受けたとしてもこれを映像に起こしたい物語かって思ったら、またそっから別のたくさんのハードルがあります。だいたいそういう本はもう映像化されていたりもするものだし。私に限って言えば、本気でやりたいなあ、と思ったのは一つだけありますが、それはある田舎の中学生達の自殺を取り巻く綿密に取材されたルポルタージュです。でもそれくらいです。とにかく安易に映像化しすぎじゃねえか、と思います。
 
 そして、脚本家の協会の人達がyoutubeでしゃべって皆に責められてましたね。ちょっとだけ文字起こしを見ましたが責められて仕方ないですね。この中の伴さんという方は少し調べたらご自分で原作を作ってまで映像化されようとしててそれは本当に作家らしい事で素敵だと思います。ここまで熱のある脚本家は本当に少ない。(今回の事をきっかけに初めて見ました)かつての私の周りでは脚本家の人達、自分の本当のオリジナルを単独でデビュー後も書き続けている人には会えませんでした。年をとっていても、若くても、油がのっていても、です。
 こう書いていると表面上の一番の問題は制作のその場しのぎ主義だけど、もっと本質的な問題は本当の意味のオリジナルを書かなすぎる脚本家じゃねえか、とも思えてきました。
 やっぱり映像脚本は映像脚本です。小説よりは漫画の方が映像に近いかもしれないけれど、やはりそれぞれそれだけで完成品ですから。徹底的に違います。映像用の脚本には引き算が必要です。だってこれから生身の役者が演技するわけで、音楽が付くわけで、ロケーションがあるわけで。(悲しい話、予算制限もあるわけで)それを見越して引き算(足し算)が必要で。だからそれらを考えてホンを作る事で大きな構成に影響しないわけがない。別物だって私は考えてます。
 だから要は、映像の脚本家の人達はがんばりましょう。がんばってください。という気持ちです。


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