「三行で撃つ」で建て直し中

私がnoteを始めて約2年。
気の向くまま書き散らし心満たされたところで、やっと今頃文章を書く勉強に取り掛かっています。

テキストは近藤康太郎さんの「三行で撃つ」(CCCメディアハウス刊)。
冒頭の三行で読む人の心を撃つように、と狩猟をされる作者からのメッセージがタイトルに込められています。

ブログをやったこともなく、twitterは5,6ツイートで辞めてしまい10年程闇の中、長文(というかSNS自体)に挑戦するのはこのnoteが初めての私にとって、本当に未知のことばかりでした。

文章の基本、禁じ手、書く道具、果ては時間の確保法まで、書き手の心得を25項目に渡りレクチャーして頂いています。

内容を一部紹介すると
文章は短く。
・形容語と非形容語はなるべく近づける。
・一つの文に主語と述語は一つづつ。
・常套句は使わない。一番最初に捻りだした人のフィルターを通して物を見ているだけ。
物の見事に私が作った文章の逆を教えていますね。
耳の痛い話ばかりです(やはり常套句で締めてしまう)。

土台ぐらぐらポンコツ小屋、吹けばすぐ飛んでいきそうブーフーウーな私の文章、ということは再確認できました。
多分、玄関も間取りの位置も、排水も滅茶苦茶な建設法なんでしょう。
メモを取りながら読み進めましたので、今後に活かしたいと思います。

どこを読んでも刺さることばかりで、直接手に取って読んで頂きたいのですが、その中の一つが
「表現者は『映画・音楽・演劇・絵画とすべての表現形式を好きにならなくてはいけない』」という箇所。

実は同じようなことを、現在画家として活躍されている方から聞いたことがあります。
その昔絵画教室で学んでいた頃、師匠から
「君の絵からは、音楽が聞こえないし、リズムも感じない。」
とよく言われたそうで。

言われた本人は当初、何のことだかよく理解できなかったそうです。
が、やはり一つの表現は他の媒体と繋がっているもの。
だから絵画だけでなく外の芸術にも触れなさい、と教えられていたと後にわかったそうで。
表現って、視覚や聴覚で感受出来ること以外にも、形には成らずとも滲み出てくるものもありますよね。

近頃、過去記事にもスキを頂くことも増え、そちらをきっかけに振り返ることも度々。
古いものにまた手を掛けると同時に、学んだことを糧に新しい記事を作っていきたいと思います。

さて、この本を手にしたことで、吸収することが山ほどあるのですが、僭越ながら私の意見も一つ。
うまい文章って、読みやすくてテンポ良いのですが、それだから必ず魅力ある文章、ということなんだろうか、という疑問を長年持ち続けておりまして。
本書ではなるべくオリジナルな言葉を使い、常套句は避けるように、ということなんですが、例えその組み合わせでも、その人のフィルターを通して生み出されたものって無限大だから、やはり一つ一つが個性と味のある文だと思うんですよね。
まあこれは、私の好み、ということが大きいのですが。

ということで、雑然とした世の中の隙間を見つけては、藁や木を集めながらの私の小屋づくり、まだまだ続くことでしょう。

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