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映画のチカラ(ぶんサポ便り・第3回)

ぶんサポ共同代表の藤川まゆみです。
六ヶ所村ラプソディー』を見たことがきっかけでエネルギーが仕事になりました。

先日新しくできたアニメの映画『窓ぎわのトットちゃん』を見ました。
中盤から涙が溢れる(ちょっと泣くという程度でない)シーンがいくつもありました。エンドロールが始まっても新しく涙が溢れてきて、うまく説明できない涙です。映画終わったのにまだ泣き続けているのはちょっと恥ずかしかったです。
でも映画が終わってしばらく観客が誰も立ち上がらず、みんな泣いていた(または圧倒されていた)ようです。

直球でボールが心に届いたような、論理的に説明できない、響く言葉、情景、余韻。

トットちゃんの「知りたい!」「やりたい!」を止めないオトナたちがそこにいました。
人がもともと持っている「こう生きたい」という本能的な欲求や良心があちこちにありました。
本質的に大切なことを映像にして伝えようと魂を込めて作られた映画だと伝わってきました。

映画は「これはこういうことです。なにが言いたいかというと、、」などと説明がない出来事の連続なのに、深いところに届いてその後の人生が変わるほど強く揺さぶられることがあります。

2007年に鎌仲監督の『六ヶ所村ラプソディー』を観た時がそう
でした。

「あなたはどう思う?」
「あなたの使った電気のゴミが六ヶ所村に届いているのよ」

とスクリーンの中から監督に直接問いかけられて、そんなこと言われても答えられないー、と揺さぶられうろたえました。

いつも思い出すシーンがあります。
道行く人に「(使用済み核燃料の再処理工場のことを)もっと知りたいということはありませんか?」と聞くと「年だからいい」と答えが返ってきたシーン。

再処理工場で働く男性に監督が「内部被ばくをしてる可能性はあるよねえ」と聞くと、「あのー、それはねえ、ない」と答えるシーン。

観ている人に「おまえはたくさんのものに蓋をして生きてはいないか」と問われるシーン。
些細な事と重大な事を間違えていないかと。

学ばないとわからないことが多い。
日々わからないまま時間が過ぎていく。
知ることはたいへん?めんどう?
ほんとう?

六ヶ所村ラプソディー』を松本で観て揺さぶられたわたしは自分が住んでいる上田で自主上映会を企画して、監督にトークに来てもらいました。
トークのタイトルは「知ることからはじまる」でした。

わたしたちは子どもの頃「知りたい!」「やりたい!」と心に湧いてきたことをわかるまで調べたり納得するまでやり続けたり、話すことがなくなるまで話し続けたりしたことがどのくらいあっただろうか。

そのことと、社会に課題が山積みになっている今、解決の方向へ進もうというパワーや具体的なアクションが、わたしたちの中から自然発生的に湧き上がるかどうかと、もしかすると関係があるかもしれませんね。

というわたしは『六ヶ所村ラプソディー』を見た日から、エネルギーのことが気になり始めて人生が大きく変わりました。エネルギーのあり方は人が「こう生きたい」を左右すると考え始めました。それが今の仕事につながり、やっと湧き上がってくる「知りたい!」「やりたい!」を調べたりやり続けたりする日々を送っています。(そうしないと前に進まないので笑。)

そういえば、鎌仲監督は小学校の頃、教室の窓から抜け出して山を駆け巡り、遊び疲れて教室に戻ってくるような日々だったとのこと。そして「きょうはどうだった?」と聞いてくれるような担任の先生だったそうです。
あれ、トットちゃんと似ていますね。


鎌仲ひとみ監督とぶんさぽ共同代表藤川

藤川まゆみ
長野県上田市在住
NPO法人上田市民エネルギー代表
https://eneshift.org/

https://ueda-vision.jimdosite.com/

六ヶ所村ラプソディーはvimeoでご覧いただけます

また、自主上映はこちらをご覧ください


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