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【本】和田耕治+深町公美子「ペニスカッター 性同一性障害を救った医師の物語」感想・レビュー・解説

性転換手術と言えば東南アジア、というイメージがある。あまり深く考えたことはなかったが、そういえば確かに、どうして日本ではなく外国に行くのだろう?いや、自分なりには、こう納得していた。日本で手術を受けるとなると、何らかの可能性でバレるかもしれない。だから外国の方が都合がいいのだ、と。しかし、どうもそうではないようだ。

日本で、性転換手術が裁判で争われたことがある。1965年のことだ。何の罪で起訴されたのか。「優生保護法」である。この中に、「何人も、この法律の規定による場合の外、故なく、生殖を不能にすることを目的として手術又はレントゲン照射を行なってはならない」とある。

この「故なく」に引っかかったという。被告は結局有罪となり、懲役2年、執行猶予3年、罰金40万円となった。このことが報道され、「性転換手術=優生保護法違反」というイメージが刷り込まれ、日本のまともな医師は手を出さなくなった。

しかしこの事件、実情はちょっと違う。まず、争点となった「故なく」は、医師は患者にロクに話も聞かず、住所さえ聞かず、診療録も作成しなかったという。つまり、こういう雑で軽率な手続きが、「故なく」に該当すると判断されたのだ。判決文が本書に載っているわけではないが、著者いわく、判決文全体は「性転換手術は正当な医療行為である」というものだったという。

それにしては量刑が厳しいのではないか。しかしそれは、被告となった医師が、医療用麻薬を小学校時代の同級生に譲渡したという、麻薬取締法違反と合わせて起訴されたからだ。量刑のほとんどは、麻薬取締法違反の方に重きが置かれている。

しかし、「ブルーボーイ事件」と呼ばれているこの事例が、不正確な形でマスコミによって報道されたことが、日本で性転換手術が浸透しなかった大きな要因だという。そもそも、この事件があった1965年には、すでに性転換手術の手法が日本に存在していたわけだし、巻末には、記録に残っている限りでは1950年に既に性転換手術が行われたという。技術は
存在していたにも関わらず、不幸な出来事によって封印されてしまったのだ。

だから、日本における性転換手術というのは、ある意味で「ヤミ医者」のような人がひっそりと請け負うものだった。というのが、本書の主人公・和田耕治が美容形成外科の医師として働き始めた当時の状況だった。

その後和田は、2007年に53歳という若さで亡くなるまでに、600例もの性転換手術を行なった。その時までに、公の機関では14例しか行われていなかった。和田は、隠れて性転換手術を行なっていたわけではない。宣伝こそしなかったが(それには理由がある)、正々堂々と、信念に基づいて性転換手術を行なっていた。

【彼は開業医として堂々と自分の医師としての信念、「法律や社会が許さないといっても、そんなものは無視してよい」「たとえ罰せられても医師として覚悟の上だ」「国や法律ができる前から医療は存在しているんだ」を掲げ、性転換手術を「ヤミ手術」ではないとし、多くの患者さんを救ってきました】(深町公美子)

【私は医療というものはまず第一に患者さんのためにあるべきであって、国や社会のためにあるのではないと考えています。たしかに医師免許は法律によって与えられるものですから、法を守ることは当然ですが、医療は何よりも患者さん自身のために存在すべきです。しかし日本では不幸なことに性同一性障害に関する治療については長い間無視されてきました。私は患者さんを前にしてそのような日本の現状はやはり間違っていると思いました。誰かが患者さんのために真剣に取り組まなければならないと考えました】(和田耕治)

(ちなみに、本書の執筆は、深町公美子氏によるものだが、本書の中には、和田氏のブログ、メールなどの文章からの引用が多数ある)

著者は性転換手術を、美容整形の一種ではなく、治療だと捉えていた。今なら、そんなことは当たり前だ、と思われるかもしれない。しかし、彼が性転換手術をスタートさせた1995年当時は、まだそこまでの認識がなかったのではないか。「性同一性障害」というものが、今ほどは理解されていなかったはずだ。今もたぶんだが、性同一性障害に苦しむ人は、謂れなき差別を受けることがあるだろう。15年前は、今以上の無理解のために、もっと辛かったかもしれない。

著者は、学生時代アルバイトをしていたゲームセンターで、そして美容形成外科医として働くようになってたまたま訪れたニューハーフショーパブで、自身の性に悩む人を見て、関わる経験があったことで、この世界に踏み出すことになった。彼が最初に手がけたのは、名前は出てこないが、今も芸能界で活躍するAさんだそうだ。

【一般のGID(※性同一性障害のこと)の人たちも診るようになってからは、その人たちの紹介だという手紙が全国各地から届くようになる。耕治は改めて、社会の中で本当の自分を隠して生きている人の多さに驚愕する】(深町公美子)

(ちなみに、深町公美子氏は、和田耕治氏の奥さんだ。本書の中に、「その時にはわたしたちは離婚していましたので」という記述があるので、「元」かもしれないが)

「治療」ということについて、印象的だったエピソードがある。本書には、著者の長男・次男も文章を寄せているが、その長男が、「子供の頃、父親が一体どんな病気を治しているのか分からなかった」と書いている。しかし、ある時父親の病院で、顔も上げられないような暗いお客さんが来ていて、そのことを看護師さんに言うと、「あの人は自分の一重瞼にとてもコンプレックスを持っていて顔も上げられないくらいなのだ」という。そして手術の後、その人が顔を上げて出てきたのを見て、こう思うのだ。

【その時始めて「父は『心』を治している医者なんだ」とやっと理解できた瞬間でした】

和田は、性転換手術を正式には学んでいない。かつての勤務先に、多少経験があるという医師がいたが、和田は器用だったようで、本を読んで学んだ手術法を自ら改良し、結局タイとは違う手術法を確立させたという。

手術料も格安にし(ただ、自力で稼ぐ努力をしない人は手術しなかったという)、入院期間も短くなるようにした。麻酔医を付けずにすべて自力で手術をこなす。普通、美容形成外科などの手術では、承諾書を書かせるらしいが、和田は98%ぐらいは書かせなかったという。患者との信頼関係を築くことを常に優先していたし、信頼関係があれば承諾書は要らないという考えだった。自身のクリニックを宣伝しないのも、本当に性転換手術を必要とする人の治療環境を守るために、目立たない方がいいと考えたからだ。

そんな和田に、不幸な事故が起こる。性転換手術後に、患者が死亡したのだ。このことで和田は大きな非難を受け、そして、警察の捜査を受けることになった。

和田は、捜査に全面的に協力した。というのも、「原因究明」が最優先だと考えていたからだ。和田は、自身では最善を尽くした、と考えていた。どこかに落ち度があったなら、今後改善する。しかしそれが分からなければ直しようもない。だから、どうして患者が死亡するなどという状況に陥ったのかを、警察が解明してくれると思って、全面的に捜査に協力したのだ。

しかし警察は、事故直後に調査をしたきり、和田に連絡が来ることはなかった。連絡が来たのは、なんと事故から2以上経ってからだ。和田を含むスタッフは、2年以上前のことについて事情聴取され、事故から3年半経ってから和田は書類送検され、その後不起訴となった。和田は、警察が真相解明してくれると期待していたわけだが、警察は、業務上過失致死罪で起訴できるかどうかにしか関心がなかったようだ。結局、真相は分からず終いだ。この件で和田は、警察に大いに失望することになる。とはいえ、一つだけ良かったことがあると言っている。それは、今回においても、ブルーボーイ事件と同様、性転換手術の是非についてはまったく問題にならなかった、ということだ。

【感が本人が希望する通りに外性器の見た目を変えることがいったい誰に迷惑をかけるだろうか?】(深町公美子)

まあその通りだと思う。

和田は、性転換手術を始めた当初にも、事故を起こしている。患者は、命は落とさなかったが、意識は戻らなかった。その時は世間的なったわけではないが、和田は、その患者のためにと、お金を払い続けた。リスクは常にあるし、事故が起こった時には問題にされやすい。しかしそれでも、自分がしていることは患者を救う行為なのだと、和田は信念を持って手術をし続けた。

【そんなことまでしていると、いつか事故や事件が起こって大変なことになるよと医者仲間には言われますが、これが私の医者としての性分なのですから仕方ありません。保身だけを考えならはじめから性転換手術などに手をつけません】(和田耕治)

和田は、一度手術をした患者は、自分が死ぬまで一生アフターフォローをすると言って、それを最後まで守った。すごい男だ。


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