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【本】ローレンス・M・クラウス「ファインマンさんの流儀 量子世界を生きた天才物理学者」感想・レビュー・解説

ファインマンに関する本は、いくつか読んだことがある。世界的な大ベストセラーである「ご冗談でしょう、ファインマンさん」という名前は聞いたことがあるかもしれない。

しかし、「ファインマンが物理の世界で一体何をしたのか?」ということについては、あまり良く知らなかった。「経路積分」や「ファインマン・ダイアグラム」という名前ぐらいは聞いたことあるけど。何故そうなってしまうかというと、ファインマンという物理学者は、物理学者として以上に面白エピソード満載の人なので、取り上げる際の話題に事欠かないのだ。

本書でもチラッと触れられているが、例えばファインマンは、原爆開発のためにロスアラモスにいた頃、機密情報を入れておく金庫を勝手に解錠して、中にメッセージを残す、なんてことをやっていた。彼の手に掛かれば、金庫破りなどちょちょいのちょいである。ブラジルでボンゴという打楽器を練習し始めてお金をもらえるようになったとか、ストリップ・バーで研究していたなど、破天荒な話題が満載で、一般向けの本としてはどうしてもそういう話題の方がウケるだろうから、ファインマンの物理学者としての業績は、ちゃんと分かっていないのだ。

そういうわけで訳者も、本書についてこんな風に書いている。

【そんなクラウスが「ファインマンの科学上の業績を通して、彼の人物像を映し出すような本」を書いてほしいともちかけられたのに応えて目指したのは、天才科学者ファインマンの成果、それが20世紀の物理学に及ぼした影響、21世紀の謎を解明するうえでどんな刺激になるかを、一般の読者にもなるべくわかりやすい文章で示すことだった。一般読者向けの科学書として、ファインマンの物理学をその広い範囲にわたって、ここまで詳しく説明しようとしたのは、本書が初めてではないかと思われる】

それぐらい、一般向けの科学書では、ファインマンの業績をまとめた作品というのはないのだ。

一方で、ファインマン自身は、のちに「ファインマン物理学」と題されて出版され、世界的な大ベストセラーとなる本の元となる講義をカルテック(カリフォルニア工科大学)で行った。講義の録音テープから作られた「ファインマン物理学」は、物理学者になろうとするすべての人にとっての必読本だという。元となった講義は、学部生向けのものだったが、あまりにもレベルが高く、しかしその一方で、斬新で面白いと、大学院生や教授が聞きに来たという。ファインマン自身は、直接指導して大学院生を育てるという仕事にはまったく向いていなかったようだが、難しい物理の話を、一般向けに分かりやすく説明する能力が買われて、講演などでその実力を遺憾なく発揮するようになる。

さてそんなわけで本書には、ファインマンがどのような業績を残したかについてがメインで触れられている(だから、一般的にファインマンの本には書かれているだろう、スペースシャトル・チャレンジャー号の事故調査については、ほんの僅かしか触れられていない)。しかし、本書で記述される物理学の話は難しい。それは、2つの理由がある。一つは、対象である「量子論」という世界が、そもそも意味不明に難しいのだ。本書には書かれていなかったが、量子論に関する本を読むとよく、ファインマンの言葉として、「量子論を理解しているというやつがいたらそいつは嘘つきだ」というものがある。それぐらい、量子論というのは、常軌を逸しているのだ。そして二つ目の理由は、そんな常軌を逸した量子論に対して、現在の視点から見ても先験的過ぎる、つまりファインマンが生きていた当時なら意味不明と受け取られたような革新的なアイデアを、ファインマンが打ち出している、ということだ。量子論そのものについては、これまでにも色んな本を読んできたので、なんとなく(あくまでも「なんとなく」だけど)は理解している。しかし、「その量子論に対して、ファインマンがどんな貢献をしたか」という話になるとお手上げである。

そんなわけでこの感想では、僕が理解できる範囲のファインマンの業績に触れつつ、ファインマンが物理学や世界そのものとどのように向き合ってきたのか、ということをメインに書いていこうと思う。

ファインマンは学生の頃から天才だったようで、MIT(マサチューセッツ工科大)に入学した後、出願していないのにハーバード大学から奨学金を与えられた。何故なら、とある数学競技会で優勝したからだ。彼は物理学科の所属だったが、学部2年生の時に、数学科からこの競技会のチームに入ってくれと頼まれた。するとファインマンは圧倒的な得点差で優勝したのだ。しかし彼は、ハーバード大学を断り、プリンストン大学に行く。その理由を著者は、そこにアインシュタインがいたからだろう、と推測している。しかし、このプリンストン大学で彼は、まったく別の出会いをする。後に「ビッグバン」の名付け親となる、ホイーラーである。ホイーラーは豊かな想像力を持つ物理学者であり、ファインマンと話が合ったのだ。

ファインマンがプリンストン大学に入った頃、物理の世界には「電子の自己エネルギー」の問題があった(ただ、僕にはこの問題の意味が理解できないので説明はできない)。この問題について考えを巡らせていたファインマンは、あるアイデアを思いつき、ホイーラーに話に行く。するとホイーラーは、その欠点を即座に指摘した。しかしそれだけではない。ファインマンの提案も常軌を逸したものだった(みたい)だが、ホイーラーはさらにイカれたアイデアを口にしたのだ。それが「粒子が時間を遡って作用する」というものだ。もはやこれも何を言っているのか意味不明だけど、とにかくファインマンは、このホイーラーからのアイデアをさらに突き詰め、自分なりの考えをまとめていった。

そんなファインマンは何故か、大学院生でありながら、一流の物理学者の面前で発表をしなければならなくなった。どれぐらいヤバい状況かというと、聴衆にはあのアインシュタインもいた。他にも、フォン・ノイマンやパウリなど、名だたる人物である。

さてしかし、ホイーラーとファインマンが考えたこのアイデアは、結局間違っていた。ということを記述するページに、著者はこんなことを書いている。

【だとすると、これだけ熱心に取り組んだ研究に、どんな意味があったのだろう?それはこういうことだ―科学では、重要な新しいアイデアはほとんどすべて間違っているのだ】

歴史を振り返っていると勘違いしそうになるが、何か新しいアイデアが生まれた時に、それがすぐ定着したかのような錯覚を抱いてしまう。しかしそんなことはない。新しいアイデアは常に存在し、そのどれか一つだけが正しいか、あるいはすべて間違っているか、ということになる。ファインマンに限らないが、打ち出したアイデアがあまりにも斬新で常識外れだったために、受け入れられるまでに長い時間を要するものもたくさん存在する。

そしてファインマンは、【新しく危険な領域に突き進む】のが好きな科学者だった。というか、それにしか興味がなかったと言っていいだろう。

【彼は、彼自身の方法を使って第一原理から自分で導き出したものでなければ、どんなアイデアも絶対信用しなかった】

ファインマンはとにかく、他人の業績について知ろうとしなかったという。ファインマンはあらゆる領域に関心を持ち、手を出したが、しかし目に見える形での成果(つまり、これこれはファインマンが解決しました、と言えるようなもの)はあまり残さなかった。その一つが「超電導」に関するもので、彼は問題を把握し、どのように考えていけばという指針は立てた。そしてその指針が、【この分野に取り組む物理学者たちが彼らのテーマをどう考えるかを、いかに変えてしまったか】という影響を残すことになる。しかし、結局ファインマン自身が「超電導」の謎を解き明かさなかったのは、【この分野におけるそれまでの研究を一通りでも調べようとしなかった】からだ。著者がこう書いているのは、つまり、「調べさえしていればファインマンが解決した」と言いたいのである。

ここに、彼の研究に対するスタンスが如実に現れている。

【もしかしたら、彼がもっと他人に耳を傾け、周りの人々から学ぼうとし、さらに、絶対にすべてを自力で発見するんだと、徹底的にこだわったりしなかったなら、彼はさらに多くのことを成し遂げられたかもしれない。しかし、達成は彼の目的ではなかった。彼の目的は、世界について学ぶことだった。彼は、楽しみは何かを発見することにこそあると感じていた―たとえそれが、彼以外の世界中の人々がすでに知っていることだったとしても。】

これに関して本書には、こんなエピソードが紹介されている。ファインマンは、液体ヘリウムに関して考えている内にあるアイデアが思いつき、それをテーマに論文を一本書いた(これは凄いことだ。何故ならファインマンは、他人に説明するために論文を書くのを、酷く億劫がったからだ)。しかしファインマンは、まったく同じテーマについて、二人の若手物理学者が同様な論文を発表したばかりだと知った。既に著名だったファインマンがここで論文を出せば、ファインマンに注目が集まってしまうだろう。それを避けるため、ファインマンは敢えて論文を出さなかった。その現象は、その二人の物理学者の名前を取って「コスタリッツ―サウレス転移」として知られている。

さて話を戻そう。ホイーラーとファインマンの考えていたアイデアが実は間違ってた、という話だ。その後2人は、古典電磁気理論に関する研究をまとめた。次の問題は、その古典電磁気理論に量子論を組み込めるか、という話だった。これについて考える中で、ファインマンは革命的な発見をする。それは、高校時代に知った「ラグランジュの最小作用の原理」と呼ばれるものを、自身が考えている理論に当てはめる、というものだった。当時すでに、シュレディンガーが量子論に関する方程式を作り上げ、さらにそこに一般相対性理論を組み込んだ方程式をディラックが生み出していた。しかしファインマンは、「彼自身の方法を使って第一原理から自分で導き出したもの」以外信じなかったので、結果的に量子論を自分なりのやり方で定式化することとなった。その際に、「経路」と「最小作用の原理」を軸にできないかと考えていた。

そのアイデアを、とあるパーティーに来ていたヨーロッパの物理学者・イエラに話したところ、ディラックが発表した論文にヒントがあるのでは?と示唆した。即座に図書館に行き、ディラックの論文を読んだファインマンは、イエラが驚くほどのスピードで計算をし、自分の考えの正しさを理解するに至った。

ちなみに余談だが、本書で爆笑してしまった、ファインマンに関するこんな表現がある。

【ファインマンは第二のディラックだ。唯一の違いは、今度のディラックは人間だというところだ】(ユージン・ウィグナー)

どちらも天才だが、ディラックは色んな本で出てくるが、人間関係的になかなか難ありの人物だったようだ。

さて、この考えについてきちんとまとめる前に、世界は第二次世界大戦に突入する。この期間ファインマンは、魂の伴侶であるアイリーンとの結婚・死別や、ロスアラモスでの原爆開発などを経験する。一般的なファインマンに関する本では、ここの話はメインになるだろう。本書では、割とさらっと進む。

ファインマンにとっては、戦争という状況は悪くなかった。一つは、病のために入院し続けなければならなかったアイリーンに、冒険を経験させてあげられたことだ。仮にファインマンがロスアラモスに勤務にならなければ、彼らは冒険的な経験を一切することなく、アイリーンの死を迎えることになっただろう。もう一つの理由は、大学院生という立場でありながら、ロスアラモスに集まった世界的天才物理学者たちと身近に接する機会があった、ということだ。彼の天才的な能力はすぐに知られるようになり、ファインマンは、経験豊富な年長の同僚を差し置いて、理論部門のグループのリーダーに指名されたのだ。あまりに計算が早く、「ファインマンを失うくらいなら、誰でもいいからほかの物理学者を二人失ったほうがましだ」とさえ言われた。

ロスアラモスでもファインマンは、運命的な出会いを果たす。それが、ファインマンをリーダーに指名し、「ファインマンを失うくらいなら~」と発言したベーテだ。ベーテは「太陽はどのようなメカニズムで輝いているのか?」という難問を解き明かした人物だ。ベーテは、考えをまとめる際は誰かと話したいようで、たまたまロスアラモスにファインマンしかいなかった時、ベーテの話し相手に選ばれた。二人は互いに補い合う性格であることをすぐに見抜き、よき議論相手としてお互いを尊重した。終戦後、やはり引く手あまただったファインマンだったが、ベーテがいる、という理由でコーネル大学を選んだのだ。

結果的にこの選択は大正解だったと言っていい。もちろんベーテとの関係性もそうだが、後にダイソンと出会ったことも大きい。ケンブリッジ大学にいたダイソンもまた天才と認められていたが、彼は「わくわくする最新の展開に追いつくにはどこにいけばいいか」と幾人かの物理学者に尋ねた。そしてその全員が、コーネル大学のベーテのグループだ、と答えたのだ。ダイソンは後に、ファインマンにとって決定的に重要な役割を果たす。

さてこの頃ファインマンはこういうことを考えていた。元々、古典的電磁気理論に量子論を組み込むことには成功した。これは「量子電磁力学(QED)」と呼ばれている。このQEDに、さらに一般相対性理論を組み込みたい、と考えた。前述した通り、シュレディンガーが生み出した量子論の式に、一般相対性理論を組み込んだ方程式をディラックが生み出していた。であれば、このQEDにも一般相対性理論を組み込んだものが作れるはずだ。そしてファインマンは、そのやり方を見出したのだ。後にこの業績で、ノーベル賞を受賞することになる。

しかし、ファインマンが生み出した方法(後に「繰り込み」と呼ばれるようになる)は、シュウィンガー、そして日本の朝永振一郎という2人も独力で導き出していた。戦争で孤立していた日本から、朝永振一郎のような業績が生み出されたことに世界は驚嘆した。また朝永振一郎のやり方はシュウィンガーより簡潔だったようで、ダイソンは、

【朝永は、彼の手法を簡潔で明瞭な言葉で表現し、誰にでも理解できるようにしたが、シュウィンガーはそうしなかった】

と言ったという。ノーベル賞は、この三人の同時受賞だった。

もしこれだけであれば、ファインマンの名声はそこまで大きなものにならなかったかもしれない。しかし、ファインマンの名声を決定づけたのは、後に「ファインマン・ダイアグラム」と名付けられる図である。このファインマン・ダイアグラムではなんと、ホイーラーと検討して、結局間違っていると分かった理論に含まれていた「粒子が時間を遡って作用する」という考え方も図示されている。華麗な復活である。

このファインマン・ダイアグラムは革命的だったようだ。

【物理学者たちはシュウィンガーに信頼を置いていたが、彼の手法はあまりに複雑で、意気をくじかれるほどだった。ファインマンのアプローチも等しく信頼できて、一貫性もあり、そのうえ、はるかに簡単で、量子力学のより高次の補正を計算する完全に体系的な手法である】

本書の解説の竹内薫はこんな風に書いている。

【ファインマン・ダイアグラムというのは、「グラフィック」を利用して量子電気力学の計算をやってしまう方法で、この発見により、計算が何百倍も早く効率的にできるようになった。よく引き合いに出されるのは、「クライン=仁科の公式」という超難しい計算にかかる時間が、一年から一日に短縮された、というもの(すみません、一年や一日というのは個人差があるので変動します)】

僕は色んな本を読んでも、「グラフィック」で「計算する」という意味が全然理解できないけど、とにかくメチャクチャ計算が早くなったようだ。

そして、このファインマン・ダイアグラムを広めるのに重要な役割を演じたのが、ダイソンなのだ。ファインマンは、直観的に考える人物で、自身が生み出したファインマン・ダイアグラムの有用性を自身では理解していた。しかし、量子論の重鎮たちの前でプレゼンした時、その有用性はまったく伝わらなかった。そのため、彼自身がきちんと論文を書くしかないと考え取り組み始めたのだが、直観的に導き出したアイデアを、どう他人に納得させればいいか苦労した。しかし、ファインマンからそのアイデアを聞いたダイソンは、ファインマンが論文を発表する以前に、「シュウィンガー、朝永、ファインマンの手法は、どれも数学的に同じだ」ということを示す論文を発表したのだ。これによって一気に、ファインマン・ダイアグラムは物理学の世界に浸透することになった。ダイソンがいなくても、ファインマンの手法はいずれ広まったかもしれないが、もっと時間が掛かっただろう。

さてしかし、ファインマンは、ノーベル賞を受賞しても(というか、彼は賞や権威を嫌ったのだけど)、自身が生み出したファインマン・ダイアグラムを大したものだと思えないでいた。

【1965年に業績を評価されてノーベル賞を受賞したまさにその瞬間に至るまで、そして、この受賞のときも含め、じつに長い年月にわたってファインマンは、自分の方法は単に便利なだけで、深さはないと感じていた。量子電磁力学から無限大を一掃するような、自然が持つ何か根本的な性質を新たに暴露したわけではなく、それらの無限大を無視しても他に支障が出ないような方法を見つけただけだった。ほんとうの望み―経路積分によって、自然の根底についてわれわれが持っている理解が刷新されて、相対論的量子力学が抱えてきた病が治癒されるという望み―は叶わなかったのだと彼は感じたのだ】

彼自身はずっとそう感じていたが、結局これは、ファインマンが先取りしすぎていただけ、ということに過ぎなかった。そしてその理由は、ファインマンが生きていた時代には知り得なかったことがたくさん存在した、ということなのだ。

【驚くべきことに、ファインマンが研究を行なった時代には、宇宙の最も大きな尺度について今日科学者たちが知っているほとんどすべてのことが、まだ知られていなかったのである。それでも、多数の重要な領域に関する彼の直観は、一つの例外を除いてどれもみな正しかった。そして、観測的宇宙論の最先端での実験が、重力子を重力場の基本量子であるとする彼の描像が正しいという、最初の証拠をまもなく提供してくれるだろうと期待される】

本書は2015年の発売であり、その後発表された「重力波の発見」によって、ファインマンの直観はすべて正しかった、ということになる。上記の引用は、あくまでも宇宙に関するものだが、物理学の様々な事柄について、知られていない情報は多々あった。もし今、ファインマンが生きていれば、その天才的な洞察によって、それこそファインマン自身が追い求めた「根本的な発見」に至ったかもしれない。

また、僕の理解が乏しくて上手く説明できないが、結局のところ、ファインマンの考えというのは、単なる「誤魔化しの方法」を発見したのではなく、物理学の根本に触れていたのだ、ということが本書で語られている。

【彼は、新しい領域を探っては、そこで使える極めて独創的な数学手法を創出し、また、その分野の物理学の洞察を新たにもたらした。これらのものは、その後ほかの者たちが成し遂げる重要な展開―やがては、たくさんの大発見につながり、実質的に現代理論・実験物理学のほとんどすべての領域を推進した展開である―に大いに貢献した。これは、彼の凝縮系物理学の研究から、わたしたちが共有している弱い相互作用と強い相互作用の理解、現在の量子重力や量子コンピュータの研究に至るまでの広い範囲にわたる。だが、彼自身は、発見をすることもなければ、賞を取ることもなかった。この意味で、彼は現代の科学者ではほとんど並ぶ者のないほど物理学を前進させ、新しい研究領域を拓き、鍵となる洞察をもたらし、それまで何もなかったところに関心を引き起こしたが、後方、あるいは、せいぜい側面から指揮をとるという傾向があった】

【自然についての根本的な謎の多くについて、それを解決し、答えを求めることには失敗したけれども、今日に至るまで科学の最前線にあり続けている問いに、彼は的確に光を当てたのである】

冒頭でも書いたが、ファインマンについては、物理学者として以外のエピソードの方があまりにも有名だ。しかしやはり、歴代の物理学者の中でも傑出しているということが、本書で理解できる。彼の業績そのものを理解することは非常に難しいが、彼が物理学に対してどのように貢献したのか、ということは伝わってくる。彼と同じ世界で研究ができた人(著者も、2度ファインマンに会ったことがあるという)は、非常に刺激的だったことだろう。


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