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【本】史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち(飲茶)感想・レビュー・解説

相変わらず、べらぼうに面白いな!
「史上最強の哲学入門」ももちろん面白かったけど、こっちも最高だった!
相変わらず、読みやすく、それでいて奥深いところまで説明されていて、ホントに、東洋哲学はこの一冊を読めば入門としては十分理解できちゃうという感じがする。

本書は、インド哲学に始まって、中国の哲学、そして最終的には日本の哲学と進んでいくが、それらを詳しく紹介する前にまず、「東洋哲学は西洋哲学とどう違うのか?」という話から始めよう。

【まず最初にはっきりと断っておくが、本書を読んで東洋哲学を理解することは不可能である】

本書は、そんな文章から始まっている。ムムム…という感じだが、その後の説明を読めばなるほどと納得できる。

まず西洋哲学というのは基本的に「無知」を前提とするらしい。自分はまだ何も知らない、というところから始めて、色んな人間が知力を振り絞って、一段ずつ階段を上がるようにして知を積み上げていく。

しかし東洋哲学はまったく違う。東洋哲学の場合はまず、「私は悟った!」と主張する人間が現れるのだ。

【(東洋哲学とは)ある日突然、「真理に到達した」と言い放つ不遜な人間が現れ、その人の言葉や考え方を後世の人たちが学問としてまとめ上げたものであると言える。】

この違いを著者は、テレビドラマに喩えている。

「西洋哲学が難しい」という時、それはテレビドラマの18話だけ見ているようなものなのだ。初回から17話までの話を知らないのだから、理解できなくて当然だ。こういうように西洋哲学の場合は、順を追っていけばちゃんと理解できるものであり、難しく感じられるのは、途中から学ぼうとしているからなのだ。

しかし東洋哲学の場合は違う。東洋哲学の場合、テレビドラマには最終回しか存在しない。最終回が放送されたら、そこでドラマは終了である。その最終回を見ながら色んな人が、「きっとこうだ」「いやこうに違いない」と話している。これが東洋哲学だ、と。だから難しいし、理解できなくて当然なのだ、と。

なるほど、そう説明してもらえると、東洋哲学を学ぶ心構えが出来る気がする。

そしてもう一つ、西洋哲学と東洋哲学の大きな違いが存在する。それは、「知った」とはどういう状態であるか、である。

【西洋であれば、「知識」として得たことは素直に「知った」とみなされる。(中略)
しかし、東洋では、知識を持っていることも明晰に説明できることも、「知っている」ことの条件には含まれない。なぜなら、東洋では「わかった!」「ああ、そうか!」といった体験を伴っていないかぎり、「知った」とは認められないからだ】

要するにこれは「悟った」ということなのだけど、結局のところ、悟りに達しないと理解したことにはならないのだ。いくら言葉の上でそれを理解できたと思っても、捉えられたと思っても、東洋ではそんなことに意味はない。本来的に、真理というのは言語化できないものであり、言語で捉えようとすること自体が間違っているのだ。この辺りの説明を著者は、「白と黒のものしかない部屋でずっと生きてきた人に、「赤」をどうやって説明するか」という問題を取り上げながら、具体的に説明していく。

こういう説明をしてもらえると、禅の公案なんかも理解しやすくなる。公案というのは、要するに「意味不明なナゾナゾ」であり、最も有名な公案はこうである。

【両手で拍手するとパチパチと音がするけど、では片手でやるとどんな音がする?】

師匠から出されたこの問い(ナゾナゾ)を、弟子は数十年掛けて考え続けるわけだけど、本書では、そのことによって何が起こるのかを精妙に解説していく。なるほど、確かにそういう理屈なのであれば、こんなわけの分からない公案なるものの存在意義も理解できるなぁ、と感じた。

とはいえ、そうやって公案の仕組みを「知ってしまうこと」は、ダメなことなのだ。要するに公案は、「何にも知らない状態で、それについて超真剣に考え続けるからこそ、効果が出る可能性があるもの」なのであり、「公案ってこういう仕組みらしいよ」ということを頭で知ってしまえば、その効果は半減どころかほとんどなくなってしまうだろう。本書にも巻末にこう書かれている。

【そう、だから、ネット検索による知識の公開、そして本書のようなお手軽な入門書といったものは、本当は伝統的な東洋哲学を破壊してしまう存在なのだ】

本書を読めば、その意味も実によく理解できるだろう。

また、東洋哲学の特徴としてもう一つ挙げられるのが、「ウソも方便」というものだ。

【東洋哲学はあらゆる「理屈」に先立ち、まず「結果」を優先する】

東洋哲学というのは要するに、「あの体験に至るにはどうすればいいか?」と体系化してきたのだ。そのための手段や方法論こそが東洋哲学であり、だからこそ、体験に至る過程はどうでもいい。あの体験にさえたどり着ければいいのだから、色んな天才が色んなことを考えながら、そこに至る様々な手法を開発してきた、というのが東洋哲学の歴史なのだ。

【このように東洋哲学は「とにかく釈迦と同じ体験をすること」を目的とし、「その体験が起きるなら、理屈や根拠なんかどうだっていい!ウソだろうとなんだろうと使ってやる!」という気概でやってきた。なぜなら、彼らは「不可能を可能にする(伝達できないものを伝達する)」という絶望的な戦いに挑んでいるからだ。そういう「気概」でもなければ、とてもじゃないがやってられない!
そして、事実、東洋哲学者たちは、そのウソ(方便)を何千年もかけて根気強く練り続けてきた】

この「ウソも方便」を説明するのに、法華経に載っているというある例を引き合いに出している。父親が家に帰ると家が燃えていたが、子どもたちは「火事」というものを知らず、家の中で遊んでいる。ここで子どもたちに、「火事というのはこれこれこういうもので危険だからそこからすぐに離れなさい」と言っても、理解できないかもしれないし、興味がないから聞かないかもしれない。でも火の手はもうすぐそこまで迫っている。どうする?そこで父親は、「こっちに凄く楽しいおもちゃがたくさんあるよ!」と呼びかけた。子どもたちはわーっと父親の元へと駆け寄り、命は助かった。

こういうことを、東洋哲学もやっているのだ。あの体験へと誘うために、ウソでもなんでもいいからついて、一人でも多くの人をそこに行き着かせようとする。だから、宗派によって言っていることが違うし、師匠は何も教えないし、わけのわからない状況が度々やってきたりするのだけど、そこにはそういう意味があるんだ、ということのようである。

本書では、釈迦や孔子や最澄なんかがどういう教えを導き出したのか、みたいな話も事細かに説明されるのだけど、まずこういう、「東洋哲学の特殊さ」を非常にわかりやすく説明してもらえたので、それだけでも十分に面白いと感じた。

さて、ではインド哲学からいこう。インド哲学はヤージュニャヴァルキヤから始まった。彼は「梵我一如」として知られる哲学を打ち出した。これは、「私(=アートマン)と世界(=ブラフマン)が同一である」という考えであり、さらにヤージュニャヴァルキヤは「アートマンは捉えられないものだ」と主張する。これだけだとなんのこっちゃ分からないだろうけど、それを本書よりさらに短くわかりやすく説明することは不可能なので、是非本書を読んでもらうとして、本書に登場する映画の喩えだけ書いておこう。

あなたが真っ暗な空間で映画のスクリーンのようなものを見ているとしよう。映画を見ていると、その映画の登場人物になったかのような錯覚に陥ることがある。あなたが、ただの観客であるのだけど、次第に登場人物であるように錯覚され、そうなればなるほど、その映画の内容に自分自身が影響されていく。映画の中で起こったことであるのに、さも自分自身に起こったことであるかのように錯覚し始める。

しかしここで、その空間の電気がつけば、あなたは自分がただ映画を見ていただけだ、ということを改めて理解する。

人間の悩みもこれと同じようなものだ、と説くのだ。つまり、「あぁ不幸だ」「あぁ辛い」と感じるようなことがあっても、それは映画の中の話であって、映画の中で何が起こっても、それを見ている私が傷ついたり壊されてしまうことはない、ということだ。そして、この境地に達することさえできれば、あらゆる不安は消えてなくなる、という考え方だ。

さて、この「アートマン」は、「~に非ず、~ではない」という形でしか捉えられないものであると彼は主張しており、だからこそ、身分制度が存在するのもおかしい。何故なら、「アートマン」は「~ではない」という形でしか捉えられないのだから、「アートマンは特権階級ではない」し、「アートマンは奴隷ではない」からだ。

当時のインドにおいては、この考えは革命的だった。バラモン(特権階級)や奴隷などの身分差がある中で、ヤージュニャヴァルキヤの哲学は、身分制度に抑圧されていたバラモン以外の人々を勇気づけたのだ。

そんな勇気づけられた一人が、釈迦だった。釈迦は、当時のブームであった「老病死の苦しみを克服する境地」を目指すために出家し、苦行に励んだ。

ちなみに、当時のインドでは苦行が流行していたのだけど、それにはこんな理由がある。「悟った人」と「悟っていない人」をどう見分ければいいか、というのはとても難しい問題だ。悟っていようがいまいが、言動に差はない。しかし「悟った人」は、あらゆる苦痛から開放されているはずだ。つまり、ボコボコに殴られたって平然としているはずだ。そうでなければ「悟った」などとは言えないだろう。

という発想から、彼らは、「苦しい状況に耐えられれば耐えられるほど悟っている」という理屈を作り出し、ガマン大会みたいな状況が生まれてしまったのだ。

当然釈迦も、そのガマン大会に参加した。しかし、どれだけ苦行に励もうとも、一向に悟ることが出来ない。そんな時、ようやく釈迦はある考えにたどり着く。苦行こそ、悟りにとって邪魔なのだ、と。そこで彼は苦行を止め、「中道」という考えに行き着くことになる。釈迦が、ガマン大会になっていた当時のインドに、待ったをかけたのだ。

そんな釈迦の主張で重要なことは、「アートマンは存在しない」というものだ。これは当時のインドでは衝撃的なものだった。何故なら、明らかにヤージュニャヴァルキヤの哲学と矛盾するからだ。

釈迦も、ヤージュニャヴァルキヤを否定しようと思ってこんなことを言ったのではない。ヤージュニャヴァルキヤは正しかったが、一つだけ間違いを犯した。それが、「大衆は誤って理解する」ということだ。ヤージュニャヴァルキヤの、「アートマンは、~に非ずとしか表現できない」という哲学を大衆は、「アートマンというのは、~に非ずとしか表現できないようなものだ」と概念化して捉えるようになってしまったのだ。大衆は、「私は~ではない」という理解の仕方がなかなかできず、どうしても「私は~である」という風に捉えてしまう。しかしそう捉えること自体が、ヤージュニャヴァルキヤの哲学から遠のく原因になるのだ。

だから釈迦は、大衆の勘違いを正すために、敢えて「アートマンは存在しない」という強烈な主張をした。そうしないと、大衆が誤解するからである。

さて、釈迦も人間なので死ぬ。食あたりで死んだようだ。トップが死ぬと、組織は大体大変なことになる。仏教もそうだった。そもそも釈迦は、自分の教えを文章に残すことが好きじゃなかったらしいし、それに東洋哲学らしく、「成果」を出すことが一番なのだから、そのために人によって違うことを言っていた。釈迦の死後、弟子たちが釈迦の発言をまとめようとしても、そんなこんなで紛糾、ついに分裂してしまう。そして、大所帯の方が自分たちを「大乗仏教」と名乗り、小所帯の方を「小乗仏教」とバカにしたという。しかし、とにかく数で勝っているし、またよほどの覚悟がなければ実行できない小乗仏教より、大衆向けにアレンジされた大乗仏教の方が大成功するのは当然だった。後は、その大乗仏教を率いる先導がちゃんとしていれば問題ない。そして、運良く天才がいたから問題なかったのだ。

それが龍樹である。彼は「空の哲学」と呼ばれるものを完成させ、その究極が「般若心経」と呼ばれているものである。「色即是空」で有名なアレである。

さて、この「般若心経」は一体どんな主張をしているのか。これも、本書よりも分かりやすい説明をするのは不可能なので是非読んで欲しいが、ざっくり書くと、「すべてものは実体としてそこに存在するのではなく、人間が言語によって区別を与えているだけであり、実体なんか存在しない」ということだ。まあよく分からないだろう。僕もちゃんとは理解できていないが、なんとなく分かった。「空の哲学」では、言葉ではない形で物事を捉える無分別智が推奨される。

しかし、そんな風に認識をしても、どうしても乗りこられない区別があり、それが「私と他者の区別」である。何故なら、どれだけ色んなものを「ない、ない、ない!」と言って否定しても、「そうやって否定している私は存在する」からだ。

そして般若心経では、その最後の区別を、なんと「呪文」で乗り越えろという超展開によって解決しようとする。呪文そのものには意味はないが、しかしそれでもこの呪文には意味があるのだ、という説明が展開されていく。

さて、これで大体インド哲学は終了である。

さて、中国哲学ももちろん面白いのだけど、こういう感じで書いていくと疲れるので、ざざっと行こう。中国哲学では、孔子・莊子・韓非子・荀子・老子など、僕でも名前を知っている色んな人物の哲学が紹介されるが、ここではそれらについていちいち書かない。ここでは、「なぜそういう哲学者が中国で現れるようになったのか」をメインに書こうと思う。

古代の中国に、「堯」「舜」「禹」という英雄がいた。彼らは、生活に必要ではあるが氾濫によって大きな被害を被りもする「大河」に立ち向かった人物である。洪水が起きないように工事をするという、絶望的に大変な事業に手を出した「堯」は、血族ではなく優秀さで後継者を選び、その伝統は「禹」まで続くこととなった。しかし残念ながら「禹」の後は世襲によって後継者が決まるようになり、そうなれば当然の流れだが、アホみたいな王が出てくるようになる。そしてお決まりの革命が起こる。つまり、「世襲→アホが王になる→革命」という流れを繰り返すことになった。

しかしそんなことを繰り返すわけにはいかない。そこで「周」の国の人は、「ちょっとぐらいアホな王様がいても崩れないくらい強固な政治体系」を作ろうとした。それが「封建制度」である。国を分割し、それぞれの土地を有力な貴族に統治させるというものだ。もちろん、そんな仕組みを作ったところで不届き者は出てくる。まあそんなものは中央の武力で蹴散らしてやりたいが、しかし中国は広い。何だかんだ、地方の貴族が武力を結集させれば、中央の武力では太刀打ちできないのは明白だ。

そこで彼らは、実にうまいやり方を考えた。当時中国の人々は、「天」という名前の神様(人間の頭上におわし、世界のすべての現象をつかさどる神秘的な何か)の存在を素朴に信じていたが、周王は自らをその「天」の使いとし、「天」から命を受けて地上を支配している、と宣言したのだ。さらに、周王は地方貴族の「本家」であると主張し、地方貴族の先祖を祭る儀式は周王にしかできないよ、と主張した。これによって、「周王に逆らうことは天に逆らうことであり、また先祖の霊を怒らせることになるぞ」と理解させたのだ。

このやり方は大ヒット!周王は安泰だったが、一つ問題があった。地方の貴族たちは、王としてその地方に君臨するのだから、やっぱりやりたい放題やりたい。でも、周王に逆らうことは出来ない。だったらどうするか。それは「他の国から奪う」である。周王には逆らえないが、他の国にだったら悪さをしても大丈夫。

そんな理由から中国は、春秋戦国時代に突入するのだ。

しかし、困ったことがある。そういう時代であるから、当然どの国も、自分の国を強くして他の国をやっつけようとする。だから、「国を強くする能力のある者」をとにかく見つけ出してくる必要があった。

そしてこの状況が、平民にチャンスを生むことになる。貴族でなくても、学問を身に着けて貴族に雇ってもらえれば、大出世なのだ。そういう状況の中で、孔子などの天才が世に現れることになったのだ。

この中国の哲学者たちの話で面白いなと思ったのが、孔子と老子だ。孔子は、「思いやりの気持ちを大切にして、礼儀正しく生きましょう」ぐらいのことしか言っていないのに、世界4大聖人の一人に数えられていたりする。何故そんなありきたりのことを言っていただけなのに評価されたのか。

それは、彼が空気を読まずに、徹底的にその主張をし続けたからだ。詳しいことは省くが、孔子の主張は、当時の王様たちの流行とはかけ離れていた。孔子は、正しいと思う政治の実現のために、王様たちに嫌われても自らの主張を通そうとし続けたのだ。この時代、王様に気に入られるようなことを言えば取り立てられて出世できたかもしれないのに、孔子はその道を選ばなかった。だから孔子自身は、存命中は不遇な人生だったらしいが、弟子たちが孔子の考えをまとめたことで、孔子の心意気が伝わり、後世に残る大哲学者として知られているのだ。

老子の話も面白い。老子は、インドから中国に伝わってきた仏教を中国に根付かせた人物だが、彼は周国の衰えを悟って国を出ようとしていた。しかし国境で弟子に捕まり、「あなたの教えを書き残してください」と詰め寄ったのだ。老子は自分の哲学を文章にしておらず、この弟子のファインプレーがなければ、老子という天才哲学者の教えは失われていただろう。

そういう意味で、もう一つ印象的なエピソードがあった。あ、ここで一気に日本の哲学に話が移るが、日本の哲学はこの感想ではちょっと省略しよう。重要なのは、聖徳太子が仏教の真髄を理解していたから仏教が日本に根づいたこと、そして徳川幕府の思惑によって国民全員がどこかの寺に帰属されることになったということ、あとは禅ぐらいだ。禅というのは、インド仏教が中国に伝わり、老荘思想と融合して生まれたものであるが、「禅」は世界でも「ZEN」という日本の音で理解されており、中国が発祥であるが、日本で成熟したものだそうだ。

さて、そんな禅の面白い話がある。禅というのは伝統的に、悟ったものが後継者となる。で、禅を生み出した達磨から数えて五代目である弘忍の元に、慧能という天才がやってくる。慧能は、後に弘忍から後継者と認定されるが、寺にやってきた時は極貧の木こりで、読み書きは一切できず、寺にも雑用係として採用された。

弘忍には弟子がおり、ある時弘忍は、自分のたどり着いた境地を詩にしてみろ、悟ったものがいれば後継者とする、と彼らに告げた。弟子たちは頭を振り絞り詩を作る。中でも優秀と言われていた神秀という弟子がきっと選ばれるだろうと誰もが思い、やはりその詩は素晴らしかったが、そこに通りかかった慧能がその詩の内容を教えてもらうと、「この詩を書いている人はまだ悟ってないみたいですね」と言った。爆笑した弟子たちは、じゃあお前が詩を書けという。字を書けない慧能は、口頭で詩作し、それを弟子が書きつけた。そこにちょうど弘忍が通りかかり、慧能の詩を見て、「こんなくだらない詩を書いたやつは誰だ。こんな詩を書いた人間は悟っていない。消せ」と命じた。

さて、その夜のこと。弘忍は慧能の寝室までやってきて、自分が着ている袈裟(これを受け継いだ者が後継者とみなされる)を渡し、「弟子たちの中で悟っているのはお前だけだ。だからお前が後継者だ。だが、そのことを知れば他の弟子たちが怒り狂い、お前は殺されるだろう。だからこの袈裟を来てさっさと逃げろ」と言ったのだ。

翌日、弘忍が袈裟を着ていないことに気づき、弟子たちは弘忍を問い詰めるが弘忍は何も喋らない。しかし、慧能の姿が見えないから、彼が後継者に選ばれたのだと理解した彼らは怒り狂い、慧能を探し出そうとした。しかしその頃慧能は無事に南に逃げており、こうして禅がちゃんと継承されることになった。

というお話である。これもメチャクチャ面白い話だなと思いました。

そんなわけで、本書の面白さの10分の1も表現できていませんが、とにかくハチャメチャに面白い作品でした!知的興奮に満ち溢れた、超絶面白い入門書です。是非読んでみてください!


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