見出し画像

【本】箕輪厚介「死ぬこと以外かすり傷」感想・レビュー・解説

内容に触れる前に、まず、僕なりの本書のオススメの読み方について書いてみよう。

それは、「行動」と「思考」を分けて読む、ということだ。

著者のことは、本書を読んで初めて知った。僕としては、著者が本書で書かれていることを鵜呑みにする他ないが、彼が本書で書いている「行動」は、ちょっとイカれている。ちょっとどころではないだろう。だいぶイカれていると言っていい。

高校時代は、机の上で亀を飼っていたらしい。早稲田大学時代は、昼間からあまりにも学校内で飲みまくっていたから、キャンパスで酒の販売が禁止になったのは著者のせいだという噂があるらしい。イベントをドタキャンしたり、泥酔状態で偉い人との会食に行ったり、ノリで芸人とプロレスの試合をしたりする。ある覚悟を持って、月収の2/3以上の家賃のマンションに住み始めたりもした。

これらの「行動」だけ拾い上げてしまうと、(いやいや無理でしょ…)となってしまうだろう。だから、とりあえず本書に書かれている「行動」は無視していい。

大事なのは「思考」の部分だ。

著者は、どう見てもハチャメチャだが、僕は、すげー考えている人だな、と感心した。考えて考えて考えまくったからこそ、今メチャクチャ面白い環境にいられる。

著者は、双葉社という出版社で広告営業をしていたが、ロクに仕事もしないダメ社員だったという。広告部に在籍しながら、与沢翼を口説いて「ネオヒルズジャパン」という、今では伝説となっている雑誌を艱難辛苦を乗り越えながら制作した。その後、なんのツテもないところから、考え抜いて行動した末に、見城徹と堀江貴文(どちらも、双葉社の社員から、なかなか会えないし、忙しいから連絡も取れないと言われたという)を口説き落とし、堀江貴文には多数の本の執筆依頼が来ていたにも関わらず、それらを飛び越して本を出版できることになった。見城徹の本を担当したことで、彼が経営する幻冬舎へ移った。入った当初の幻冬舎は、インターネットにも強くないし、服務規程が自由だったわけでもないし、そもそも文芸と芸能の強い会社だった。著者自身も、その当時のツイッターのフォロワーは1000人に届かない程度。そこから彼は、「NewsPicks Book」というビジネス書の新レーベルを立ち上げ、毎月1冊本を出すという地獄のようなスケジュールで、ビジネス界のトップリーダーを口説き落としては本を書かせた。今では、立ち上げたばかりの同レーベルの出版部数は100万部を超えた。ツイッターなどを駆使して、他にもありとあらゆることをやり、出来ることは何でもやって本を売った。また、自身で「箕輪編集室」というオンラインサロンを開いている。会社に内緒で始めたこのサロンには、あっという間に数百人が集まり、月収の10倍以上のお金が入ってくるようになった。「箕輪編集室」は、月額5940円を会員が「支払って」、著者が手がける仕事の手伝いをするのだ。今では、堀江貴文に何か頼む時は、LINE一本入れれば済むという。


長々と書いたのは、著者が「元々持っていた人ではない」ということを伝えたかったからだ。早稲田大学を卒業し、出版社に入社するのだから、自頭とか要領みたいなものは元々良かったのだろう。しかし、そういう人間は世の中に他にもいるだろう。彼が、特別何かあったわけではない人間からスタートし、たった数年で現在の立場を築き上げたのは、まさしく「思考」の為せる業だ。とにかく、人一倍、どころか、人十倍ぐらい考えただろう。本書には、そんな彼の「思考」が凝縮されている。だからこそ、読む上で「思考」に注目すべきだと思うのだ。

本書を読めば、彼が「思考」を土台として「行動」しているということがよく分かるはずだ。何の考えも無しに、イカれた行動をしているわけではない。そこには、彼なりの理屈がちゃんとある。

だからこそ、「行動」だけ真似しても痛い目に合うだろう。何故なら、人それぞれ置かれた立場が違うからだ。

著者には著者なりの現状というものがあった。そして、明確なものだったり漠然としたものだったりしただろうが、そこから自分がどうなりたいのかという理想みたいなものがあった。そして彼は、そのギャップをどう埋めるのかを「思考」し、それを元に「行動」に移したのだ。人それぞれ現状も理想も違う。だからこそ、ギャップも違うし、ギャップをどう埋めるべきかという「思考」も変わるはずだ。自分自身で死ぬほど考えて築き上げた「思考」を土台にして動かなければ、「行動」が自分自身とうまくリンクしていかないだろう。

人によっては、本書を読んで、「そうか、月収の2/3以上の物件に住めばいいんだな!」と、「行動」だけを捉えて実行する人がいるだろう。いやいやいや、そんな読み方をしていたら、本書を読んだ分の時間を無駄に過ごした、と言っていいだろう。本書を読んで捉えるべきは「思考」だ。そして、その「思考」が、どんな現状を踏まえた上で現れたのかを考えるべきだ。そうすれば、自分が今いる現状でどんな「思考」をすべきかが見えてきやすくなるだろう。そうなれば、後はその「思考」をベースに「行動」するだけだ。

本書で一番印象的だったのは、実は「おわりに」だ。

『こうして一冊の本を世に出した時点で、今までの僕は死んだも同然だと思っている。自分の経験やノウハウを語ったり、本にしたりした時点でもう、腐り始めている。

NewsPicks Bookが軌道に乗って、僕はヒットメーカーのようにちやほやされはじめ、会議で大していいアイデアではなくても「さすが箕輪さん」と言われ、多くの立派な著者から「箕輪さんに編集してほしい」と言われる。とても、ありがたいことだけれど、その時点で僕の腐敗は始まっている。居心地がいいということは挑戦していないということ。成長していないということだ。


NewsPicks Bookを始めたとき、このレーベルがこけたらどうしよう、「多動力」が売れなかったら終わりだ、と常にヒリヒリする危機感と戦っていた。しかし、今ではどこか落ち着いていて、切実に震えるように何かを願う気持ちはない。』

この自覚は、僕はさすがだなと感じた。著者ほど大したことをしていない僕が「わかる!」などというのはさすがに傲慢な気もするが、僕もこの感覚は凄く理解できる。過去を振り返るためには立ち止まらなければならないが、僕は、人間の主張というのは結局、走り続けている人間のその後ろ姿やスピード感からしか感じ取れないのだ、と思っている。言語というのはとても便利だし、より多くの人に何かを伝えるのに最適だが、しかし、言語に頼れば頼るほど不正確さが増していくような感覚がある。結局、本当に伝えるべきことというのは言語では伝わらないのだろうし、だったら、その「何か」を感じ取れるぐらいまで近づかなければならないし、そのためには自分が死ぬほど努力しなきゃいけない、ということなんだろうと思っている。

『読者には申し訳ないが、一冊の本によって一番成長するのは編集者だ。読むより作るほうが本のエッセンスが身に付くのは当たり前だ』

『自分が読者として絶対に読みたいと思うものを作る。面白い、面白くないかの基準なんてないんだから、偏愛でいい。自分が「この原稿を世に出せたら編集者を辞めても良い」と思えるようなものを作る。まずはそこが大事。』

そんな風にして本を作ってきた著者が、自著を出したことで今までの自分の死を感じている。それでも著者が本を出したということは、そこに何らかの価値を見出したということだ。何故なら、こんな風に書いているからだ。

『自分はその仕事で何を稼いでいるかを明確に言語化すべきなのだ』

僕にもこの感覚はある。僕も、一応会社組織にいて会社から給料をもらっているが、それ以外にも、お金をもらってやる仕事だったり、お金をもらわないでやっていることだったりがある。僕は、後付けになることもあるが、それぞれの仕事をすることで何を得ているのか、割と言語化しているつもりだ。結果的にお金がもらえるのならその部分でもプラスだが、決してそれだけではない。自分がその仕事をすることで、あとあとどんな手が打てるようになるか、どんな可能性が生まれ得るかを意識してやっている。そうしなければ、ただ時間とお金を交換しているだけになってしまう。そんなのは面白くない。

『しかし、これからはオンラインサロン的な働き方が主流になっていくと確信している。
彼らはオンラインサロンで、「お金」を得るために働いていない。
「楽しい」とか「面白い」とかいうやりがいのために動いている。
お金や物質を得ることよりも、高次な欲望を満たすために働いているのだ。若い世代はどれほど給料が高くてもやりたくない仕事はやりたくないが、楽しい仕事はお金を払ってでもやりたいという価値観を持っている。もはや、遊びと仕事の区別はない。』

そうだよな、と思う。僕も、まだそこまでの「行動」レベルにはたどり着いていないけど、「思考」レベルでは超共感出来る。基本的には、自分のテンションが上がることをやりたいし、それが出来るならお金を払ってもいいな、と思っている。そんな時代に、『スマホは飼い主が見たいものしか差し出さない。ゲームが好きな飼い主にはゲームを、ゴシップが好きな飼い主にはゴシップを。バカはますますバカになる』なんて言われているスマホと戯れているような時間はない。


『一億総老後時代のように、自分が人生をかけるほど好きなものを皆が探すようになる。今まではお金を稼ぐのが上手な人が豊かであったが、これからは夢中になれるものを見つけている人が豊かになる。儲からなくても夢中な何かがある人は幸福で、お金はあっても何をしたらいいか分からない人は苦しくなる』

僕が著者のように生きられない最大の理由は、特にやりたいことがないからだ。まだ見つかっていないだけかもしれないし、探し方が下手なだけかもしれない。けど、『僕には毎日のように様々な案件が降ってくる。本当に興味ないものを除いて、少しでも気になれば1秒で「やります」「行きます」と即レスする』と著者が書いているように、決して同じレベルとは言えないが、僕もなんでも手を突っ込んでみるようにしている。

『書籍の企画やプロデュースなどの結果を見て、僕が次から次へと新しいことを思いついているかのように見えるかもしれないが、あのころ徹底的に吸収していたものが大きい』というのは僕も同じで、今自分の内側から出てくる様々なものは、20代の蓄積のお陰だと思っている。興味がなくても声を掛けられたことは大抵やったし、自分でわけのわからないチャレンジを色々してみたこともある。そんな風にして手当たり次第やっていたことが、今生きている。

考えて考えて考えまくった先に何があるのか、それは分からない。でも、考えて考えて考えまくらなければたどり着けない場所があるのは確かだ。多くの人は成功した人間をただ羨むだけだが、成功者のほとんどは、圧倒的な努力をし続けている。

『ここがすべての真実だと思う。あらゆることを手がけ何でも屋さんに見えるような人でも、トップに居続ける人は地味なことを誰よりもやり続けている。
落合陽一は誰よりも研究しているし秋元康は誰よりも詞を書いている。
いわゆる成功者を見るとき「勝ち組でうらやましいな」と思うかもしれない。
だが彼らの本を作りながら、間近で見ていて僕はいつも思う。
「これだけ血の滲むような圧倒的努力をしていたら、そりゃ成功するに決まっているわ」と。』

本書は、「行動」の仕方を教えてくれる本でも、「思考」の展開のさせ方を教えてくれる本でもない。ただ、圧倒的な「行動」と「思考」が羅列されているだけだ。だから、本書の主張はシンプルだ。「考えろ、そして行動しろ」ただそれだけだ。「思考」や「行動」を真似すればいいのではない。自分で「思考」し、自分なりの「行動」をしろ、ということだ。それさえやり続ければ、いつか「何か」にはなれるだろう。

サポートいただけると励みになります!