【映画】「スキン」

僕は、刺青そのものは嫌いではない(好きでもないけど)。ただ、自分の考えは一生変わらない、と思っている人のことは好きではない。だから、刺青を入れている人のことは嫌いだ。

確かに、刺青を除去する方法は存在している。しかし、費用も労力も苦痛も相当なものだ。だから普通、除去することを前提に刺青を入れることはないはずだ。ということはつまり、刺青を入れるという行為に対しても、刺青として刻んだ文字や絵も、自分は一生好きなままである、と信じているということだろう。つまりそれは、自分の考えが一生涯変わることはない、と考えているということだろう。そういう人は、好きになれない(とはいえ、若気の至りというのは存在すると思うし、若い時にしてしまったと後悔しているのであれば許容する余地はある)

同じように、「自分のことは正しい」と思っている人も好きではない。ある個人の考え方が、どの社会でも、どのコミュニティでも正しいなどということはあり得ない。そもそも「正しさ」というのは外的要因によって大きく左右されるものだし、「正しさ」を定められるとするなら、「明確な定義を作り、その定義に沿ったものはすべて「正しい」と認める、という共通理解を持ったコミュニティを作る」以外にはない。そのコミュニティ内で「俺は正しい」と言っているのであれば何の問題もないが、そのコミュニティが社会そのものであると勘違いしてしまっている人というのは世の中にいる。

この映画で描かれる「差別主義者(レイシスト)」も同じだろう。彼らが、彼らのコミュニティの中で白人至上主義を主張しているだけなら、何の問題もない。勝手にやってくれ、という話だ。しかし彼らは、それを社会に対して要求する。自分のコミュニティの外部の人間にも、その「正しさ」を押し付けようとする。押し付ける、などという生易しいものではない。暴力的に、強制するのだ。なんの権利があってそんなことが許されると思うのだろうか?

もちろん、明らかに間違っている場合もある。例えば、未だにアメリカでは、進化論を信じていない人がたくさんいる。学校で進化論を教えるな、と抗議する人もいるようだ。もちろん、多数の人間が信じているからと言って正しいとは限らない。進化論も、今後間違っていることが証明されることがないとは言えない。しかし、仮に進化論の間違いが証明されることがあったとしても、進化論に反対している人たちが信じている「インテリジェント・デザイン論」(昔は「創造論」と呼ばれていた)が正しい可能性は低いだろう(これはつまり、造物主的な存在が生命を設計した、という考え方である)。つまり、「多数派が信じているから進化論が正しい、つまりインテリジェント・デザイン論が間違っている」ということではなく、「進化論が正しいかどうかに関係なく、インテリジェント・デザイン論は恐らく間違っている」ということだ。

そして、そのような明らかに間違っている考えを持つ人を「転向」させることは「正義」と言えるかもしれない。しかし僕は、やはり、その「正しさ」がコミュニティの外部に漏れ出てこないのであれば、誰がどんな考えを持っていても許容したいと思う。コミュニティ内部での「正しさ」を、外部の人が否定することは、「正義」ではないと思う。

さて、こういうことを前提にした上で、僕は、人間は変わりたいと思えばいつでも変わればいい、と思っている。しかし、これは、言うほど簡単ではない。

つい先日、友人から興味深い話を聞いた。携帯ゲームに関して、こんなことを言っていた。

「携帯ゲームは全然面白いと思わないのだけど、でもなんとなくやってしまう。時々、泣きながらやっている時もある。」

その人は、そもそもゲームをするようなイメージのある人ではなかったので、余計にびっくりだったのだけど、要するに、「止めたくても止められない」自分に気づいて驚いた、という話だ。

「あなたの知らない脳」という本は、基本的に脳科学に関する本なのだけど、その本の後半に、犯罪者の更生について書かれている。色々書いているが、ざっくり結論だけ書くと、

「犯罪者の脳は変質していると判断すべきではないか」

ということだ。刑務所や更生プログラムなど、犯罪者をどう扱うかについて様々な考え方があるが、そもそも、犯罪に手を染めている時点で、それは脳の何らかの異常であるとみなすべきではないか、というのが著者の提案だ。薬物などによって脳が物理的に変質することはよく知られているだろうが、それと同じように、犯罪者の脳は何らかの意味で変質しているのではないか、ということだ。現在も、精神鑑定などによって「責任能力の有無」が判定されるが、しかし、それがどんな手法であれ、調査や測定の限界はある。精神鑑定などによって異常が判明したかどうかというのは、実際に脳に異常があるかどうかとは関係がない。「現在の技術の範囲内で」それが判定できるかどうか、ということでしかないのだ。だから著者は、そもそも何か犯罪を行なっている時点で、それは脳の異常であるとみなして対処すべきではないか、と主張している。

先程の、「携帯ゲームをやりたいと思っているわけではないのに止められない」という話も、脳の異常だということであれば納得しやすいだろう。

強い意志によって状況や人生を変えられることはもちろんあるだろう。しかし、もし本当に脳が変質してしまっているとすれば、もはや意志の力でどうにかなるレベルの話ではない。この映画の中で重要な役回りをするジェンキンスという人物が、父親は薬物依存症患者のカウンセラーだった、と話す場面がある。意思の力でどうにか出来るレベルではない人達の存在を知っていたからこそ、普通ではなかなか出来ないような振る舞いが出来ている、ということだろう。

こんな風に考えているから、僕は、自分を変えようとして変えられなかった人を「頑張りが足りない」などとは思わない。ただ、だからこそ、強い意思で自分を変えることが出来た人間は、凄いなと思う。

内容に入ろうと思います。
ブライアンは、顔を含む前身に差別的な刺青が入っている、筋金入りのレイシストだ。「ヴィンランダーズ・ソーシャル・クラブ」という白人至上主義者の団体に所属し、役員にまでなっている彼は、暴力によって対立する人間を傷つけることも厭わない。酷い家庭環境で育ち、一時期路上生活をしていた彼は、団体の主宰者であるクレーガーとシャリーンに拾われ、以来二人を本当の両親のように思い、彼らに一生分の借りがあるとして、レイシストとしての活動に精を出している。一方ジェンキンスは、「ワン・ピープル」という反ヘイト団体を主宰しており、ブライアンのようなレイシストを転向させる活動を続けている。
ある日、団体のイベントで歌を歌いに来た家族と、ブライアンは仲良くなる。ジュリーは、デジリー、シエラ、イギーという三人の娘を育てるシングルマザーであり、ブライアンから寄せられる好意を受け入れる。ジュリーは、人間としてブライアンを好きになるが、しかしレイシストとしての彼はまったく受け入れるつもりはなく、三人の娘も危険に晒したくないと考えている(以前交際していた男性が娘に暴力を振るっていたことが分かってからは特に)。ブライアンは、ジュリーと三人の娘との生活を考えるが、しかし、そのためには、団体を抜けなければならない…。
というような話です。

アメリカでは、黒人差別に対する反感が高まっていて、それが全世界的に広がっている。そういう状況下であるということもあって、考えさせられる映画だった。これは、実話をベースにした物語で、映画の最後には、ブライアンとジェンキンス本人の写真と映像も流れる。

実話がベースになっている、ということを考えた時、一番強く思うことは、ジュリーは凄いな、ということだ。人間の思想信条は、外側からは分からないものだけど、ブライアンの場合は、隠しきれない刺青が、レイシストであることを明らかにしてしまう。僕は、一般的な人よりはいろんなことに対する偏見が少ない方だと思うけど、それでも、ジュリーと同じ立場に置かれた時に、ブライアンを純粋に人間として捉えることが出来るかというと、難しいだろうなと思う。また、仮にブライアンを純粋な目で見ることが出来たとしても、彼女には三人の娘がいる。ブライアンのような人間に近づくことで、娘たちに危険が及ぶ、という可能性は当然よぎるだろう。実際、彼女たちには危険が及ぶことになる。そういう状況にあって、ブライアンと生活を共にしようと決断することは、相当なものだろうと思う。正直そういう意味で、ジュリーに共感できない部分もある。凄いなと思う一方で、最初から近づかなければ良かった、という気持ちもある。もちろん、好きになってしまったから仕方ない、ということなのだろうけど。

あと、映画を観ていて感じたのは、日本で同じ状況にあったらどうすればいいだろうか、ということだ。アメリカには、正式名称は知らないけど、「証人保護プログラム」みたいなものがあって、警察組織などに対して証言をすることで、身分をすべて変えて人生をやり直すことが出来る、という仕組みが存在する。日本にもあるのかもしれないけど、僕は知らない。どうなんだろう?

人生をやり直すためには、過去をスパッと断ち切らなければならない。お笑い芸人のEXITの兼近大樹も、北海道から東京にやってくる時、信頼できるたった一人にだけ連絡先を教えておいて、他のすべての人間を断ち切ったと何かの番組で話していたように思う。本人にどれだけ意思があっても、環境を変えなければ状況は同じままだ。そのことを、改めて実感させられる作品でもあった。

僕は、巨大な憎しみの連鎖に巻き込まれたことはない。だから説得力はないが、それでもやはり、憎しみによっては何も解決しないと思う。何か巨大な憎しみの連鎖に巻き込まれてしまった時、自分のところでその連鎖を止められる人間でありたいと思う。

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