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【本】ジェレミー・リフキン「限界費用ゼロ社会 <モノのインターネット>と共有型経済の台頭」感想・レビュー・解説

本書を読んで、改めて思った。
僕らは、実に面白い時代に生きているんだな、と。

変化の只中にいると、その変化に気づきにくいものだが、今僕らを取り巻く環境は大きく変わろうとしている。それは、第三次産業革命と呼べるものであり、資本主義が完全になくなることはないにせよ、新たなパラダイムに敗北するということでもある。

本書の冒頭に、確かに考えてみればその通りだな、と思う記述があった。まずはそれを抜き出してみる。

『だが、資本主義の経済理論の指針となるこうした前提(※製品が生まれれば需要が高まり、より製品を安く作れるようになる、という前提)を、その論理的帰結まで突き詰めたとしよう。こんな筋書きを想像してほしい。資本主義体制の稼働ロジックが、あらゆる人の想像を絶するまでの成功を収め、この競争過程の結果としてこれ異常ないというほどの「極限生産性」に、そして経済学者が「最適一般福祉」と呼ぶものに至るとする。それは、資本主義経済の最終段階において、熾烈な競争によって無駄を極限まで削ぎ落とすテクノロジーの導入が強いられ、生産性を最適状態まで押し上げ、「限界費用(マージナルコスト)」、すなわち財を1単位(ユニット)追加で生産したりサービスを1ユニット増やしたりするのにかかる費用がほぼゼロに近づくことを意味する。言い換えれば、財やサービスの生産量を1ユニット増加させるコストが(固定費を別にすれば)実質的にゼロになり、その製品やサービスがほとんど無料になるということだ。仮にそんな事態に至れば、資本主義の命脈とも言える利益が枯渇する』

そう、すべてはこの矛盾から始まるのだ。

本書には、資本主義経済がどんな風に生まれ、どんな風に成熟していったのかの過程を描くパートもあるが、資本主義というものが生まれ運用されるようになった頃は、「限界費用」がほぼゼロに近づくなどという想定はあり得なかっただろう。本書にかなり詳しく描かれているが、第一次・第二次産業革命は、財を生み出すための費用が恐ろしく高い時代だった。石油や電力や道路など、圧倒的な資金力を必要とするものを生み出すのに、垂直統合型の巨大資本が生まれ、そういう少数の大企業が経済を牛耳っていく、という流れは、ある意味で必然だったのだ。僕らは、そういう資本主義しか知らないで生きてきたから、限界費用がほぼゼロになる想定などしてこなかった。

しかし、インターネットが生まれて世界中を繋ぎ、さらに「IoT(モノのインターネット)」が登場したことで、状況が一変した。

その状況について触れる前にまず、インフラについて考えてみよう。著者も参加したある会議で、「歴史上あらゆるインフラ・システムに共通なものは何か」と尋ねた時の返答がこうだ。


『インフラには三つの要素が必要で、そのそれぞれが残りの二つと相互作用し、システム全体を稼働させる。その三つとは、コミュニケーション媒体、動力源、輸送の仕組みだ』

第一次・第二次産業革命においては、この三つの要素それぞれに革命が起き、その相互作用によって産業革命が進んでいったのだということが本書で描かれていく。

そして、第三次産業革命の真っ只中にある現在において、その三つの要素とは何なのか。「コミュニケーション媒体」は当然インターネット。「動力源」は、再生可能エネルギーを分散型のシステムで繋いだスマートグリッド。そして「輸送の仕組み」については、輸送の必要など一切必要な3Dプリンタを挙げることが出来る。これらはすべて、インターネット、IoTによるものであり、やはりインターネットの登場が、限界費用ゼロの社会を生み出すきっかけとなったと言える。

さて、本書は決して、第三次産業革命の具体例を挙げていくだけの本ではない。本書は、資本主義の根幹にある大きな矛盾が現実のものとなることで資本主義が終焉を迎え、その代わりに「協働型コモンズ」と呼ばれる新たな経済の仕組みによって社会が動いていくだろうと予測している。本書は、日本語訳は2015年、原初は2014年の発売だ。そして2018年の今、まさに本書で予測したような世の中が生まれている、と感じる。

そもそも、「コモンズ」とは何か?

『現代のコモンズは、生活の最も社会的な側面にかかわる場であり、何十億もの人々が関与している。それはたいがい民主的に運営される、文字どおり何百万もの自主管理組織から成り、慈善団体や宗教団体、芸術団体や文化団体、教育関連の財団、アマチュアスポーツクラブ、生産者協同組合や消費者協同組合、信用組合、保険医療組織、権利保護団体、分譲式集合住宅の管理組合をはじめ、公式あるいは非公式の無数の機関がそれに含まれ、社会関係資本(社会における人々のネットワークや信頼関係)を生み出している』

そして、「協働型コモンズ」に関して、こんな風に書いている。

『資本主義史上は私利の追求に基づいており、物質的利益を原動力としているのに対して、ソーシャルコモンズは協働型の利益に動機づけられ、他者と結びついてシェアしたいという深い欲求を原動力としている』

まさにこれは現代社会のことを言っていると感じられるだろう。もちろん、まだまだ変化の過渡期であり、物質的な欲求もまだまだ完全には廃れてはいない。しかし書店で本を売っている立場の人間としても、モノが売れなくなったという実感はあるし、所有するのではなく、みんなでシェアしてアクセス権だけ確保する、というあり方は、今や普通の感覚になったと言っていいだろう。


本書は、システムの変化が人間をどう変えているか、あるいは人間の意識の変化が現実をどう動かしているのか、という観点からも様々なことが描かれていく。

例えば、人間の意識の変化が現実を動かしている例として、発電の話がある。現在世界の多くの国で、クリーンエネルギーの固定価格買取制度がある。これは、地方の行政体や中央政府が、再生可能エネルギーを一定以上の金額で買い取るという制度だ。原発や火力発電など、環境にも悪くコストも掛かる発電方法から脱しようとする多くの人がこの固定価格買取制度に関わったことで、『世界の風力発電の三分の二近くと、太陽光発電の八七%が、固定価格買取制度による後押しを受けたものだ』という状態になっているのだ。

本書には、そんな例が様々に載っている。これまでは、限界費用が高すぎたせいで、垂直統合型の巨大資本にしか出来なかった様々なことが、様々なテクノロジーの進化によって限界費用が驚異的に下がったために、個人レベルで出来るようになった。しかも、その個人同士を繋ぐコミュニケーションツールも発達しているために、資本主義経済では不可欠だった中間業者を一掃出来、さらにコストを下げることが出来る。一人ひとりがプロシューマー(生産もするし消費もする)となり、ピア・トゥー・ピア(個人同士のやり取り)によって流通する世の中が、巨大資本を脅かすまでになっている、という事例が、様々に存在するのだ。

もちろん今はまだ資本主義の方が強い。しかし、本書を読むと、資本主義がどこまで持ちこたえられるかは怪しいと感じられる。少なくとも今、資本主義経済にとって何か明るいニュースがあるかと言えば、それはないだろうと思う。垂直統合型の巨大資本が、今の状態のまま生き残れる可能性はとても低い。

とはいえ、協働型コモンズがなんの問題もなく広まっていけるのかと言えば、そう単純でもない。本書には、考えてみれば当然の、こんな問いかけがある。

『協働型コモンズでは、売り手と買い手に代わってプロシューマーが登場し、所有権はオープンソースのシェアにその座を譲り、所有はアクセスほど重要ではなく、市場はネットワークに取って代わられ、情報を作成したり、エネルギーを生産したり、商品を製造したり、学生に教えたりする限界費用はほぼゼロとなる。そこで肝心の問いが浮かんでくる。これらをすべて可能にする新しいIoT(モノのインターネット)インフラの資金はどうやって調達されるのだろうか?』

まあ確かにその通りだ。いくら限界費用がゼロだとはいえ、例えば3Dプリンタを設置したり、発電用の何かを設置したりしなければならず、そのインフラ整備のお金は必要だ。しかしその答えの一部は、既にこの文章の中でも提示した。固定価格買取制度によって風力発電と太陽光発電のインフラがかなり大規模に整備されているのだ。それと同じように、IoTを実現するためのインフラは、急速に整備されていくだろう、と著者は見ているようだ。

また本書では、これまでは封建制度と不可分だと思われてきたコモンズというシステムが、現在でも世界の多くに散見され、確実な成功を収めていると指摘した経済学者の話も登場する。コモンズという名前だとなかなかイメージが湧かないが、「生協(生活協同組合)」「農協(農業協同組合)」という言い方をすれば馴染み深いものになるだろう。資本主義経済の中ではなかなかその成果が適正に評価されることがなかったコモンズという形態こそが、これからのIoT時代を担うシステムであり、今まさに多くの人がコモンズのような、利益ではないものを追求する組織で働くようになっている、と指摘している。

本書は実に幅広い分野について描かれる作品で、正直ちゃんと消化しきれないまま読んだという感覚がある。全部を理解できたとはとても言えないが、しかし一つはっきり分かったことは、僕が死ぬまで(今僕は35歳です)の間に、社会は劇的に変化するだろう、ということだ。その事実は単純に、僕をワクワクさせる。正直なところ僕は、共感をベースにした人間関係(SNSなどで繋がり合うような関係)は得意ではなくて、協働型コモンズの中でうまく立ち回れるような気はしないんだけど、それはそれとして、これからの社会がどうなっていくのかは興味があります。本書には巻末に、著者が日本版にオリジナルで書き起こした「岐路に立つ日本」という章があります。要約すると、「日本やべぇぞ、早く気づけよ、気づけば日本は世界をリードする存在になれるんだからな」という内容で、世界の状況の中での日本の立ち位置を理解させてくれる文章でした。


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