見出し画像

おには~うち 、ふくは~そと / そののち 知ることになる 芥川さんの桃太郎

我が家で15年を数える恒例の2人豆まき

喜寿を迎えた母は今なお  おには~そと  ふくは~うち  の自分の掛け声にキャッキャしながら両手と声をあげる

今年も今から待ち遠しい一大イベントが近づく

季節の分け目が大好きなのだ

春が見え隠れするこの暦が1年を無事に過ごさせてくれるのかもしれない

    *


30年ほど前だろうか 

鬼が家から出て行ったとしてどこにいく?

ウチには来るな、隣の家へ行けってことか?



母の部屋に居るようであれば ぜひ自分の部屋にしてくれ と思った


我が家は集合住宅だ。隣家はすぐそこ、ベランダから顔を出せば目が合う

天の邪鬼な自分の素が むくむくもたげる


おには~うち 、ふくは~そと 、こころのなかで てれこに挟む

揚げ足取りや過保護腰抜け的洗脳で童話の結末が一転する昨今の事象には反対派なのだが似たことをしているのかもしれない

風習の掛け声は それはそれで継承はすべきであろう


鬼は外

災いはウチに来るな、隣も行くな、遠くへ行け が真っ当な思考だろうか

だが災いってやつは無くならないのが困ったところなのである


その上で近隣に鬼を押し付けるようなら こっちで買ってでてやる ぐらいの家庭が幾つかあってもよいのではないだろうか

隣宅はご長寿さんの一人暮らしで日常の買い物すら不便なのだ

少々の困難苦難、鬼の程度によっては我が家で引き受けてもよいのです

母も たぶんそういう人物だ


ウチには来るな、近隣にも行くな では鬼も困ろう
少しなら我が家で受け持ちますよ


福については言わずもがな

自分たちの福は自分たちで招くよう日々精進しますので、どうぞ 近隣宅へ



おには~うち   、  ふくは~そと


    *


文学どころか国語レベルでも自分の知識と経験値は劣る


本を読んでもテストの点数があがるとは考えずに ましてや読みたいという衝動のない小中

点数が下がらないように感想文のためだけの読書

成人するまで理数系に関係ないもの と決め付けていた読書


大人になりそうだから とブックオフの100円コーナーを立ち読みしていた芥川さん の桃太郎

ムフフ である ☆     ステキ! と記したくなった ☆

おには~うち 、ふくは~そとごっこ を始めた数年後だ

なるほど☆

鬼は除するべきものなのか否か という自分の中にもあった好みの視点が こんなにあっさり簡潔に名のある文豪さんが題材にしている

数年後 水曜日のカンパネラちゃんが歌って踊ることになる



なにが鬼で何が福か。

美味い話には裏がある というではないか

苦労は買ってでもしろ というではないか


なにが内で何が外か。

世界は一家人類はみな兄弟ではないのか


災いを鬼になぞらえた風習だと承知の上で、受け容れられる災いなら他者ではなくどうぞこちらへ という節分も乙なものではないだろうか

みんながみんな100点満点、不満ゼロなんて人間社会にはありえない
苦難の加減によっては買ってでるのだ
年に一度 これを試されるのが節分だ




鬼は外、福は内

さて 鬼はどんな鬼だ?


まさか!!!

紅白歌合戦でさらに株を上げた大好きな金髪カメレオン俳優さんか??

菅田くんの鬼ちゃんなら大歓迎で母も  おには~うち  であろう


福も内ばかりではダメだ。

掛け声5回に1回は 、ふくは~全ての生けるものに~  ぐらいのオリジナリティがあって欲しいものである


自分にもみなさんと同じように大好きなnoteがある

芥川さん桃太郎に背骨を摑まれたような刹那

そして余韻が数年にわたり記憶されそうな心地好さ


今年の
おには~うち  、ふくは~そと  は鬼ちゃん菅田くんへのエールと 全ての生けるものに



*このnoteは【共同マガジン】これが私のイチオシnoteだ!寄稿作品です。
*マガジンの内容を充実していきますのでフォロー頂けると嬉しいです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?