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【taboo持ち寄りぶんじ寮 vol.5 介護 @ぶんじ寮 20210516 】 イベントレポ文責:Masamasa & Aki iwaya

こんにちは。taboo持ち寄りぶんじ寮の5回目。今回のテーマは「介護」でした。

Akiです◎

参加者は5名ほど。
個人的には、「介護」の人工性をどう処理するか?が焦点となった時間。

小さい頃に触れた祖母との時間は、なんの夾雑物もなく寄り添う時間と言ってよかった。それが、祖母思い、老人に優しいなどといった「評価の言葉」に置きかえられていく。いつしか自分の時間を持つようになって関わりの薄れた頃、祖母は老人専門施設に入居することとなり、「介護」職の領域へと移管された、という流れになるのだろう。

了解しがたい部分が残る。自然にやっていたことが、評価の対象へ移り、労働の対象に辿りついた。そしてその先にあったのは、死の報告。死という言葉に還元されたわけだ。人間の一生の終わりは、現代において漢字一文字で記録され、処理され、納得の対象となる。

私が、介護という言葉と職域の登場によって事後的に教えられたこと。それは、人間は有用性によって価値が測られ、分断線が走り、そしてカテゴリーが分けられるということ。病気のみならず、幼児期、怪我、終末期、すべてが減点の対象である。
ー健康で五体満足な生産年齢層以外は、それとの差分を減点されて価値化される。

一方で、介護とは、巻き込み/巻き込まれるプロセスのことではないのか?という期待も抱えている。する/されるの間のスラッシュはここで宙づりにされ、別の場へと移管される。
ーしながらされる、することでされる、されるというかたちでさせている、主体がとろけて甘やかな依存に身を任せる、その、どことは定位できない連続的なプロセスのどこかに冥い喜びを見出すこと。

主体?そんなものは知らないよ。客体?誰の目に映るそれなのか。甘い。
ー唾液と咀嚼された物体がその前後を不覚にしながら千切れて混ざって、私はもう言葉であることをやめている。

ここからはまさまさがお送りします。

参加者の中で介護の現場とよばれる場所で働くのは、僕だけだったろうか。僕の個人的な疑問は、介護…介入して護る?管理という言葉が似合う現場が多いのは、どうしてなんだろう?そこにいる当事者(主に要介護の高齢者)・働くスタッフ・施設運営者、一体だれが幸せになのだろう?だった。少なくとも有料老人ホームへ足を運ぶことがある僕が、その瞬間の僕が、幸せではないことは、己が一番知っている。

参加者が言った。

介護? 家畜の誘導に見えますよ。

taboo持ち寄ってるねーw 結構ショックだったけど、うなずける自分がいた。それもまた、少し悔しいというか。朝昼晩のご飯の時間が決められ、おやつの時間も決まっている、お風呂も決まっている。そこに当事者の主体的選択や決定はないのだ。(そんな職場ばかりではないことも知っているけどね)

一応、介護の現場で働く私ですので、介護とはなんなのか現状の定義くらいはお伝えしておこうと思う。

may be
・1960年代:身の回りのお世話
・1987年(社会福祉士及び介護福祉士法):入浴・排泄・食事・その他
・2007年(社会福祉士及び介護福祉士法):心身の状況に応じた介護

介護の定義で”介護”という言葉を使うあたりがちょっと意味がわからないよね。2000年から始まった介護保険法ではこうだ。

(目的)
第一条 この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者がその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。

(介護保険)
第二条 介護保険は、被保険者の要介護状態又は要介護状態となるおそれがある状態に関し、必要な保険給付を行うものとする。
2 前項の保険給付は、要介護状態の軽減若しくは悪化の防止又は要介護状態となることの予防に資するよう行われるとともに、医療との連携に十分配慮して行われなければならない。~中略~
4 第一項の保険給付の内容及び水準は、被保険者が要介護状態となった場合においても、可能な限り、その居宅において、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように配慮されなければならない。
(保険者)
第三条 市町村及び特別区は、この法律の定めるところにより、介護保険を行うものとする。
(国民の努力及び義務)
第四条 国民は、自ら要介護状態となることを予防するため、加齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、要介護状態となった場合においても、進んでリハビリテーションその他の適切な保健医療サービス及び福祉サービスを利用することにより、その有する能力の維持向上に努めるものとする。
2 国民は、共同連帯の理念に基づき、介護保険事業に要する費用を公平に負担するものとする。
(定義)
第七条 この法律において「要介護状態」とは、身体上又は精神上の障害があるために、入浴、排せつ、食事等の日常生活における基本的な動作の全部又は一部について、厚生労働省令で定める期間にわたり継続して、常時介護を要すると見込まれる状態であって、その介護の必要の程度に応じて厚生労働省令で定める区分(以下「要介護状態区分」という。)のいずれかに該当するものをいう

詳しくは、下記をどうぞ。

介護=〇〇だ…とは書かれていない不思議は残る。要介護状態の説明はあれど、介護はお世話とは書かれていないし、管理とも書かれていない。それでもそうなっているのは、tabooを持ち寄ったあとも不思議なままだ。

ひとりひとりの生活スタイルは、複雑であり、それを他者が実現するのは面倒なことだろう。その複雑性の処理をテンプレート化したものが、管理型介護かもしれない。ただ、一方で、どこまで複雑性を引き受けますか?という問いも同時に投げかけられる。

介護:介入して護るだとすれば、今の介護はいい線いっているねよね…と話を聴く機会があった。介護は介入して護ることで、その対価として金銭的報酬を得ている。また、介入し護ることで、当事者からは「ありがとう」と感謝され、精神的報酬もスタッフは得る。僕は、ある意味で「ありがとうヤクザ」だと感じる。

一方、福祉は人の幸せに関わること、その対価は、金銭的ではなく精神的報酬なのだと、聴いた。人が幸せになるために、幸福学からの学びのシェアをして終わろうと思う。

幸せになるための4つの因子ー前野隆司さん

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(リンクはインタビュー記事です)

話は変わってしまったが、あなたの幸せ度を見える化してみたらどうですか?

上記、Akiさんが言うように、介護とは「職」ができ、その職能者の領域に移管され、金銭的な報酬がつくものとなり、資本主義のレールに乗っかり、人生は効率化と生産性で語られるようになってしまったのだろう。僕は、高齢者”介護”よりも、高齢者”福祉”の世界で生きていきたい。

次回のtaboo持ち寄りぶんじ寮のテーマは「地域」で参ります。

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