自分の父親が元在日韓国人だった話

僕は中学3年生になるまで、自分のことを純粋な日本人だと思っていた。
ごく普通の家庭だったし、普通の学校に通っていたから、父が韓国系の日本人だということに全く気が付かなかった。
よくよく思い返せば、小学校の宿題で先祖のことを調べるときの父の対応、母方の祖父母の異常な韓国嫌いと母の苦しそうな顔、思い当たる節はいくつかあった。

中学三年の冬だった。
自分が賢いと思っていた僕は、手軽に自分を賢いと思わせてくれるようなものを好んだ。特に政治関連の2chまとめサイトが好きだった。韓国に対する悪評をよく目にした。はじめは興味本位だったが、いつしか楽しんで読んでいた。僕は目も当てられないくらいバカだった。記事を読んで自分の国を大切にしているように錯覚していたし、韓国を下に見て楽しんでいた節があった。幼いころから、祖父母と過ごしていると、ニュースや新聞で韓国が出てくる度、韓国はひどいと聞いていた。本当にそうなんだと思っていた。

ある日、スーパーからの買い物帰りの車中で、母に告げられた。
「あんたのお父さんはね、在日韓国人なんだよ」
すぐには理解できなかった。自分が無意味に見下し、馬鹿にしていた人種は、自分自身であり父だった。

母はそこから、父とのことを語り始めた。
「お父さんと出会ったのはね、大学生のころなの。当時はそのことを知らなくてね、結婚を申し込まれたときに知ったのよ。最初は驚いたけどね、私にとってはどうでもいいことだったの。愛してたから結婚した。
でもおじいちゃんには、猛反対されたの。あの人が韓国が嫌いなのはあんたも知ってるでしょ?」
僕はうなずいて、ただ、うんと相槌を打っていた。
「それでね、私たち駆け落ちしたのよ。東京であんたのお兄ちゃんを産んで、その後あなたを授かった。あなたは体が弱くてね、喘息とアトピーで本当に大変だったの。だから、東京に比較的近くて、自然の多いのおじいちゃんの家の近くに住むことにしたのよ。」
母はつづけた。
「本当はお父さんに話してほしかったんだけど、なかなか言えないみたいでね。お兄ちゃんにももう私から話してあるよ。
あなた達は、もう大人になるんだから、自分の頭で考えなさい。」

差別が自分事になってから、なぜ差別的な言動が行われるのかを、ようやく調べた。信じたいものだけを見ている人たちが、書いて話しているんだとようやく理解した。
祖父母が父と母にしていた差別、僕たち兄弟にしていた差別意識の植え付けに初めて気がついた。
そして自分は無知で無学で、つまらない人間だったと知った。自身の無知で、自分自身のことを気づかずに差別するだなんて。当時の自分にはおあつらえ向きだけれど。

無事念願の高専に入学してから、初めて友人から差別発言を聞いた。高専という環境もあってか、ネットに毒されている子も多く、中学の頃の僕と同じく韓国のことを無意味に嫌う人がいた。
何かの拍子に、話題に上がることがある。もちろん多くはない。そのたびに不安な気持ちになり、傷ついていた。
そして、自分もそうだったことを思い出し、自分に吐き気がした。
馬鹿にしている子たちに、そんな考え間違っているとは言えなかった。自分のことがばれるのが怖いと思った。
なぜ言えないのか、少し悩んだ。馬鹿にされるのが怖いから?もちろんそうだ。でも何より自分自身が、自分のルーツを認められていないことに気が付いた。

僕は普通の学生生活を送っていた。休日は時間を持て余し、たいした目的もなく、なんとなく悩んで物思いにふけっていた。2chまとめも、たまに読んでは傷ついていた。
父の仕事の影響もあり、海外にあこがれを抱いていた僕は、あるpodcastに出会った。英語と日本語で、様々なトピックについて話す、バイリンガルニュースというpodcast。衝撃だった。こんな風に考えられる人たちがいるんだ、こんな考えあるんだ。マイノリティにも色々あるんだ。
自分を見つめなおす大きなきっかけの一つになった。
このころから、全く具体的な案はなかったけど、自分を変えなきゃいけないと思いはじめた。

高専を卒業して、大学生になった。
その大学は、高専生が多く通う大学で、いる人間は変わらなかった。
大学に入っても、そういう風に言う人がいることに驚き、傷ついた。
言う必要もないから、黙っていた。

僕は、大学4年になって、自分を変えるためには行動するしかないと、ようやく気づいた。自分を認めるため、より普遍的な価値観を身に着けるため、3つの行動を起こした。

まず、父方の祖父母のもとに一人で出かけ、祖先について尋ねた。
祖父の方は、貧しい農家だったらしい。出稼ぎに日本に来たが、帰りの船賃を賭博に使って帰れなくなってしまい、日本に住み着いたとか。
祖母の方は学者の家だったそうだが、なぜ日本に来たのかなどは詳しくは分からないようだった。祖母は、岡山の奥地で、農家をして暮らしていたそうだ。
人には言えない差別を受けてきたと、涙ぐみながら話してくれたのは忘れがたい。
帰りの足で実家により、父とも初めてルーツについて話した。落ち着いて話そうと思い、父にいれたコーヒーが驚くほどまずかった。緊張が打ち解けて、うまく話せた。時代は変わったから、お前は大丈夫だと思うよと言っていた。事実、彼女に打ち明けたら、だから肌がきれいなのかと羨ましがられた。

二つ目、母方の祖父母の家を訪ねた。母は、祖父が作った会社の経営難から、社長として祖父と会社を支えていた。経営方針で度々祖父と母は衝突していた。そのたび母は、父のルーツでいじめられていた。それをやめてくれと頼みにいった。差別についても考えを改めてほしいと頼んだ。
話しているうちになじりあいになった。
もう二度と家に来るなと土下座しながら言われた。衝撃だった。
悔しくて涙があふれた。僕達が何をしたんだろう。世代が違えば、環境や教育は異なる。それでもあんまりだと思った。それ以来絶縁状態になっている。

三つ目、マレーシアの多国籍企業でインターンシップをさせていただいた。アジアの多民族国家、多国籍企業というところに惹かれて挑戦した。
自分自身を日本の中のマイノリティだと思っていたけど、外に出てみて自然とその枠を広げられた。自分は日本人である前に、人間だし、何より僕は僕なんだ。

3つの挑戦もあって、自ら育んだ韓国と自分自身への差別意識はなくなった。
だが、僕のルーツがもし純日本人だったら、どうなっていたんだろう?僕はたまたま気づくきっかけを持ってただけ。周囲にも恵まれていた。
そう思うと怖いし、情けないけど。
僕のような考えに陥ってしまったことのある人、今そうである人は、ほんの少し、でも無視できない数いると思う。
自分のことを一度省みてほしい。

メディアの報道やネットの記事、ツイッターのどこかのだれかを見て、何となく、自分が何かに対して考えを持っていると錯覚するのをやめてほしい。
どこかの国、人種、特定のだれかを嫌いになるのをやめてほしい。
陳腐に聞こえるかもしれないが、情報をどう捉えるか、更にそこから世界をどう見るかは、結局のところ自分次第だ。
どうか、無意味に人を傷つける世界をつくりあげないでほしい。

僕は、今月末に24歳になる、大学院二年生だ。
来年度から社会人になる個人的な節目であること、韓国と日本の関係が過去最悪レベルであることから、なんとなく社会によくいるマイノリティとして、自分を省みて文章に残そうと思った。
誰かに届いてほしいなぁ。最後まで読んでくれて本当にありがとうございました。

#こんな社会だったらいいな
#韓国

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