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結末のないのが人生かも


大江邦昭は、大柄な男だ。三宿に家があり、小さいが、アパレル会社の常務をやっている。109などのレディースショップなどに商品を収めている。地元では、有名なヤンキー気質の男として恐れられていた。高校時代は、「わしかわ、わしかわ、止まれ、止まれ」とパトカーから警官が名指しするくらいに有名な男だった。それだけ、一目置かれた存在でもあった。

邦昭には、千葉の松戸出身の杉浦康雄という親友がいた。康雄も暴走族上がりだが、真面目に働く男であった。若干、ヤクザ気質な社長から潰れそうなアパレル会社を譲り受けて、再建中の会社の社長を営んでいた。元社長は、麻雀をやるにもレートが桁違いに駆けているような連中だった。

そんな危なっかしい会社の後見人になった康雄だが、経営者のセンスがあった。あれよあれよと借金を返していく。工場のある中国で検品会社を作り、そこで利益を上げた。検品会社は、工場が縫製から仕上げまでした商品を針が混入していないか、縫製ミスがないかをチェックして、日本に出荷するまでを行う重要な検品する部門だ。日本人がやった方が安心出来る。

一方の邦昭は、兄が社長で日焼けサロンや様々な事業を手がけている会社の役員である。そんな二人が、大手チェーンと取引があった。ナッパレザーのコートがばか売れしたメンズショプのチェーン店だ。ナッパレザーとは、通常の革よりも、柔らかさとしなやかさを向上させた表皮で、等級の高い原革を使用する他、塗膜を薄くする等で革本来の風合いを残す加工を施したレザーで、アメリカのNappa(ナッパ)地域で作られていたのでその名がついた言われている。

その店のレディース部門が渋谷109にあった。月商4千万円以上も売る化け物のような店だった。中綿のコートが売れたり、ケーブル編みのニットが売れたり、大川というバイヤーの先見性のあるバイイングでばか売れした。ユニクロの単独店のような感じだった。

その邦昭と康雄と大川は、高卒三人組で仲が良かった。当時、既にアパレルが人気商業の一つとなり、大卒が大量に採用され、東大卒まで採用される時代になった。店の閉まる9時を境に、渋谷で飲むのが常であった。居酒屋などを男同士で練り歩き、大騒ぎした。

大川は、酒が弱いのか、泥酔するタイプだった。あまりにも弱いので、黒塗りの外車を見つけて、窓越しに顔を付けて覗いたりする。明らかにヤクザの車だ。機敏な康雄が飛んで行って、平謝りして、その場を収めたりした。元暴走族だから、慣れたモンだと言えばそれまでだが、半グレではないので命懸けだった。

一緒に飲んでいた連中は、一目散に逃げたのに、度胸が座った康雄の勇気ある行動は、後に英雄伝説として語られるようになった。そんな感じで飲んでいた三人組だが、時代の流れで、大手チェーンといえども、バブル崩壊は、リーズナブルなチェーン店を直撃した。「キャビン」「鈴たん」「鈴屋」「三愛」「タカキュー」などのチェーン店が閉店や縮小されて行った。

見る影もない状態が続き、気がつけば、リーズナブルプライスのチェーン店は、ユニクログループだけが生き残った。海外ブランドも続々入って来たが、業績不振や日本での趣味、テイストの違いなどにより撤退、縮小を余儀なくされた。2020年になり、コロナ禍でファッション業界が凍りついてしまった。

それでも、手をかえ品を変えて、生き残りの戦略を考えているが、消費者側の閉塞感や家で過ごすシーンが多すぎて、洋服の必要性が無くなったこともあって、機能性豊かなワークマンのような実用着が人気になってしまった。

それでも生き残っている康雄の会社は、ネット通販で生きている店との取引で、急激の伸びている。既存の店舗は、ダメでも通販に活路を見出して、会社始まって以来の売上を更新している。大川は、幸運にも康雄の別会社の専務になっていた。邦昭は、イベント中心の店で様々な物を売りながら食い繋いでいると噂で聞いた。

「夏休み前までには、マスクを取りたいですね」と主婦が言っていた。康雄も「その通りですね」と心の中で返事をした。不思議と三人が三様に生きている。それを知っただけでも謙也は安心した。「生きるって、面白い」結末のないのが続きのある人生が面白い。こんな寒い時期に、蝋梅を見た。寒さや厳しさに強い花もある。

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コミックの小説家でデビューしました。笑いをお届けしたいと思います。ペンネームは文豪乃冬目創玄てす。 こちらにも https://note.com/bungo_3/