見出し画像

パリと遊び人、永井荷風の遊興伝は、後世の我々への伝言。

日本の文学者や芸術家の多くが、フランスに憧れ、パリを目指した20世紀前半。パリは、芸術家達のコミュニティが出来上がり、世界中から芸術家達が集まっていった。永井荷風も例外ではない。

1913年に出版された、翻訳家でもない永井荷風が訳した仏蘭西近代抒情詩選『珊瑚集』は、文語体がほとんどで、漢詩の感覚が強い。意外だが、それが読者の記憶をより鮮明にさせる。翻訳家が、フランス語をそのまま訳すのでなく、文学として、書き下ろしたオリジナル作品のように思える。

ボードレールやヴェルレーヌ、ランボオ、ゴオチエ、ピカアル、ヴォオケエル、エロオル、レ二エ、ゲラン、カアン、イワイエ夫人、メリル、サマンなど13人のフランス近代の詩人の作品から,荷風が自らの琴線に触れた詩を選んで流麗な日本語に移した訳詩集で、甘美な恋愛をうたう一方で悪や死に牽かれてゆく冷酷な心理,また享楽主義といった荷風文学の諸要素が表わされた作品だ。

「24歳の永井荷風は、1903年9月22日、父の意向で実業を学ぶべく渡米、1907年までタコマ、カラマズー、ニューヨーク、ワシントンD.C.などにあって、フランス語を修める傍ら、日本大使館や横浜正金銀行に勤めた。銀行勤めと米国に結局なじめず、たっての願いであったフランス行きを父親のコネを使って実現させ、1907年7月から1908年にかけてフランスに10ヶ月滞在した。横浜正金銀行リヨン支店に8か月勤めた。当時のリヨンは一大金融都市だった。退職後パリに遊び、モーパッサンら文人の由緒を巡り、上田敏と知り合った。」とWikipediaに載っていた。


またまたwikipediaの情報だが、「上田敏は、 1905年(明治38年)に本郷書院から刊行された訳詩集『海潮音』で知られ、日本にベルギー文学やプロヴァンス文学、象徴派や高踏派の詩を紹介した人物。
『海潮音』に収められたドイツの詩人カール・ブッセの詩『山のあなた』より「山のあなたの空遠く 「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。 噫(ああ)、われひとゝ尋(と)めゆきて、 涙さしぐみかへりきぬ。 山のあなたになほ遠く 「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。」や、フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの詩『落葉(らくよう)』より「秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。…」は、現在もなお名訳として広く読まれている」ほどの評論家であり、詩人、翻訳家である。

謙也は、荷風の代表作『濹東綺譚』を読んだが、ヨーロッパのヨの字も出ない内容だったので驚いた。旧東京市向島区に存在した私娼窟・玉の井を舞台に、小説家・大江匡と娼婦・お雪との出会いと別れを、季節の移り変わりとともに美しくも哀れ深く描いている『濹東綺譚』とのギャップに驚いていた。

1959年(昭和34年)4月30日に亡くなるまで、結婚、離婚を経て、独身を通した荷風は、1952年頃には相変わらず浅草へ通い、フランスやアメリカの映画を繁く見ている。本当に、フランスとアメリカが好きだったようだ。

もちろん、1926年(47歳)頃から、銀座のカフェーに出入りし、荷風の創作の興味は旧来の芸者から新しい女給や私娼などに移り、女遊びを繰り返していたそうだ。謙也の知識は、こちらの方で、羨ましいほどの明治生まれの文豪のライフスタイルだった。もう女を買うと言うことが、コンプライアンス的にアウトの時代だ。政治家たちが今でもそんなことをして、マスコミに暴露されているが、普通の人間は、まともに暮らしている。

「男女7歳にして席を同じゅうせず」と言う古事がある。7歳と言えば、小学一年生。みだりに交際すると思うこと自体が異常だ。異常だから、「浅草の歓楽街や玉の井の私娼街」など大人の遊び場が男女入り乱れていた。謙也は、全く真逆で笑ってしまった。

政財界のエロジジイは、今も昔も変わらないように思う。性をビジネスにした職業も現存している限り、永遠に続くように思う。永井荷風の他の一面を見たような気がした。粋でおしゃれであることが大事だと思う。単に獣のように性欲だけで生きるいる政治家とは違う爽やかさを感じた謙也であった。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
ありがとうございます。
7
コミックの小説家でデビューしました。笑いをお届けしたいと思います。ペンネームは文豪乃冬目創玄てす。 こちらにも https://note.com/bungo_3/