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男目線の恋愛——『恋愛学で読みとく文豪の恋』を読んで

 森川友義著『恋愛学で読みとく文豪の恋』(光文社新書、2020)を読んだ。
 日本の「文豪」が著した近現代の10作品から、恋愛をテーマに「恋愛学」的に分析したもので、漱石の『こころ』、鴎外の『舞姫』などスタンダードなものから村上春樹の『ノルウェイの森』までが取り上げられている。

 率直に申し上げて、面白かった。
 十代のころ読んだような名作とされる小説の、私のなかでの受け取り方が揺さぶられた。
 特に鴎外の『舞姫』。
 あれは私は中学生のときに読んで以来ひどい男の話だと思っていて、鴎外って冷たいひとなんだなーと怒っていたくらいなので、冷静にエリスと別れざるを得なかった状況を考察すると、致し方なかった部分もあったのかな、くらいに印象が変わった。
 ただ、エリスは鴎外をはるばる日本まで訪ねてきたということを読んだ記憶があるので、鴎外ももうちょっと誠実に接してあげればよかったのに、という思いはいまだにある。

 ただ、帯に鈴木涼美さんが寄せている文のとおり、この本に収録されている作品群はすべて男性作家が書いたもの。
 つまり、「男目線」なのである。
 谷崎潤一郎の『痴人の愛』や、女性を主人公にした太宰治の『斜陽』は、変則的な恋愛小説だとは思うが、あくまでそれも男性の想像力に拠るものであって、女性の感性ではない。
 この問題は、明治から昭和にかけての「文壇」が男性優位の構造を持っていたことに由来するのだろう。文芸系の同人誌をつくる場合、発起人やその仲間のほとんどは男性だった。例外も存在したが、「文壇」を支配していたのは圧倒的に男性だった。結果として現在まで読み継がれている文学作品の著者はほとんどが男性となった。今日においても「文豪」「文士」という呼称が男性のものであり、女性の作家には「女流作家」という但し書きがつくことがその証左である(だんだんとこの呼び方も、廃れてきたかとは思う)。

 今は女性の物書きはたくさん存在しているし、大きな文学賞も女性が候補となり、受賞もすることが多くなった。私も男女半々くらいの比率で作家の本を拝読している。むしろ女性の書く作品のほうが多いかもしれない。それはそれで、いい時代になったといえる。
 この『恋愛学で読みとく文豪の恋』においては女性の読者が「昔の男って、こんなこと考えてたんだ、ふーん」という読み方をするのが、一番参考になるのかもしれない。それくらい、突っ込みどころ満載である。
 また、ぜひ「女性編」も出していただきたいところだ。「文豪」の看板は外して。

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