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偶然の連鎖を信じるか?/「小石川植物園」ニュートンのリンゴの木

今日は、かなりマニアックな話。

2年前の2018年、久しぶりにおのぼりさんする機会があった。東京に出てきてひとり訪れたのは、偶然知人から薦められた「小石川植物園」(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)だ。

155小石川植物園

私には好きな本草学者がいる。初めてその人の植物図を見たとき、自分でも信じられないぐらいときめいた。別に絵や植物を学んでいるわけではない。ただ、その図があまりにも具体的且つ美しく描かれていたため、見惚れてしまったのだ。そして後に、その人と生まれたまちが同じだと知り慄いてしまった。

彼が晩年、小石川の研究所のようなところにいたのはうっすら覚えていたけれど(小石川と聞けば養生所しか思い浮かばなかったというのもある)、それが「小石川植物園」だと気づいたのは東京を訪れる直前だ。

なんだ、この偶然の連鎖は。


植物園はとにかく広かった。四季折々の花や樹木、森を楽しみながら、半日ほど散策。そろそろ一周してしまうぞ、というときに見つけたのが「ニュートンのリンゴの木」

ニュートンのリンゴの木とはニュートンの生家にあった木のことで、接木により世界各国の研究所などで育てられている。1964年、その木の枝がイギリス物理学研究所のゴードン・サザランド博士から日本学士院長の柴田雄次博士へ贈られた。贈られた枝は、当時リンゴ高接病というウイルスに侵されていたそうだ。しかし無毒化の研究が進み、ウイルスを除去した株を得ることに成功。そして1981年、小石川植物園に植樹された。その後、全国の研究所や植物園に分けられているが、大元はこの植物園のものだ。

……と、ニュートンのリンゴの木について熱く語ったところで、話は元に戻る。

いや、それが戻らないんだな!

それから2年経った2020年。しんどいできごとが続いた夏の終わり、我がまちの市報に市内の動植物園の記事を見つけた。そこにあったのは「ニュートンのリンゴの木」の文字。

ん? あの木のこと? あれって、近所の動植物園にもあるの!?

そう思いながら読み進めたら、それは約2年前の2018年春に「小石川植物園」のニュートンの木から分けられ、12月に植樹されたものだった。

私が東京で見た後に、実は分譲されて近所の動植物園に植えられていたという偶然。

いやいや、もっと違うものならあるかもしれないけれど。「小石川植物園のニュートンのリンゴの木でっせ! ?」という自分の中の驚きがすごい(笑)。これを読んでいて、皆さんきっとポカーンとしているはず。マニアックすぎて。

東京で実際お目にかかった木が、はるばる私の住むまちまでやって来た。そしてその木が元々あった「小石川植物園」は、自分の好きな本草学者が老齢ながら勤務し研究に没頭した場所だった。

100年以上かけて連鎖する偶然に、ドキドキした。

これは、これはもしかして……、『JIN ‐仁‐』みたいじゃないかーーーー!!! 
「私も、お慕い申しておりました」(違う!!! 全然違う……笑)

というわけで、いても立ってもいられなくなり、動植物園へ向かった。

約1年ぶりの動植物園。本当は年に何度も出かける場所なのに、今年は一度も訪れていなかった。孫悟空のモデルとなったキンシコウも元気で良かった。ジュウガツザクラが咲いていた。

153キンシコウ

154十月桜

そして、ニュートンのリンゴの木に再会した。

152-2動植物園のニュートンの木


感動!(たぶん感動しているのは私だけ)


久しぶりに園内を散策し、生きものの息づかいにホッとした。なんて気持ちいいんだろう。

そもそもネガティブな人間なのに、いいことがあったら「もしかして誰かに守られているのでは?」とすぐ思っちゃう。変なところでポジティブだ。でもこれは、誰にでも起こりうる、「気づくか気づかないか問題」なのではないか。

茨木のり子の詩「鍵」にあるような心情。

茨木のり子 「鍵」

一つの鍵が 手に入ると
たちまち扉はひらかれる
硬く閉された内部の隅々まで
明暗くっきりと見渡せて

人の性格も
謎めいた行動も
物と物との関係も
複雑にからまりあった事件も
なぜ なにゆえ かく在ったか
どうなろうとしていたか
どうなろうとしているか
あっけないほど すとん と胸に落ちる

ちっぽけだが
それなくしてはひらかない黄金の鍵
人がそれを見つけ出し
きれいに解明してみせてくれたとき
ああ と呻く
私も行ったのだその鍵のありかの近くまで
もっと落ちついて ゆっくり佇んでいたら
探し出せたにちがいない
鍵にすれば
出会いを求めて
身をよじっていたかも知れないのに

木の枝に無雑作にぶらさがり
土の奥深くで燐光を発し
虫くいの文献 聞き流した語尾に内包され
海の底で腐蝕せず
渡り鳥の指標になってきらめき
束になって空中を ちゃりりんと飛んでいたり

生きいそぎ 死にいそぐひとびとの群れ
見る人が見たら
この世はまだ
あまたの鍵でひびきあい
ふかぶかとした息づきで
燦然と輝いてみえるだろう

※上記については、まずかったら削除します……。

まだ見えていない扉と鍵が、私たちの周りにはいくつもある。それに気づくのは自分次第。偶然と偶然が重なる。それを必然にするのも、自分次第ではないか。そう考えれば、ポジティブ悪くないかも。


眠りの浅い日々に考える。

明日、何かひとつ鍵が見つかるといいな。


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