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2019年の失敗

失敗と言うべきなのか...?とにかく、去年は過酷でした。

大学院1年。始まる前は、授業もほとんどないし、暇なんだろうと思っていました。ところがどっこい世の中そんな甘くはありませんでした(個人差あり)。

自分の研究テーマをいくつも抱えこみ、両立に苦労するところから始まり、後輩の指導(ワタシとかなり違うことをやっているので、ワタシもいっしょに勉強)、学部生の実験のアシスタント、合間を縫うようにある就職活動のガイダンス。怒涛のような毎日。

そして何より研究室のお金を稼ぐためにテーマとは関係ない山のような実験がなぜかワタシにだけ降ってくることが一番しんどかったです。

それの締め切りに追われ、でも他にもやることがある。インターンのエントリーシートだって書かなきゃだし、業界のことだって調べなきゃだし、本業のテーマの実験が進まない!

そして、データを出す締め切り直前まで頑張ってボスに怒られ...。

ほぼボランティアなのが納得いかず、周りを責めてしまっていました。

どうして他の人は帰るのにワタシには締め切りのある実験が山積みなのだ?みんなの実験のお金の一部なのになぜ1人でがんばってるんだ?なんで頑張ってるのにこんなに怒られなきゃいけないの?

夜ご飯も食べずに夜な夜な実験していて、気が付いたら涙が溢れている日もありました。

ストレスや周りへの不信感でみるみるうちに痩せたし、ストレスがきっかけで体のあちこちに不調が出て病院へも通いました。

平日はそんなんだから、休日は灰のようだった。今まではサークルだって、趣味だってやりたいことはなんだってやるぜ!って人だったけど、誰とも会いたくない。

誰にも何からも追われずに寝て、ぼーっとして一瞬で休みが過ぎ去る(それか平日に読む時間がない論文読むのに追われてたっけ)。

そんなワタシを支えてくれたのは友人、家族でした。

話したら全力でワタシの状況に一緒に怒ってくれて。と同時にだめなときはだめだって言わなきゃと怒られ。笑

たくさん話を聞いてくれました。

研究室の人に言ってしまったら、言った相手を責めてしまいそうで皮肉を言っちゃいそうで、すべてを打ち明けることはできませんでしたが(研究室の雰囲気も、研究室の人たちも好きで、壊したくなくてっていう矛盾)

そのかわりにいろいろ聞いてくれた人すべてにほんとうに感謝しています。

あとは、しんどいタイミングで数日のインターンシップへ逃げ出したことが大きかったな。行くときもちょっと良くない顔されたけど今後1、2年より一生を左右することの方が重要だ!って思いきってすべて置き去りにして。

1人で頑張るのが当たり前、遅くまで頑張って当たり前、頑張ってなんぼだと思っていましたが、その数日間でその当たり前が当たり前じゃないことに気づかされました。

メリハリつけて、いかに効率よく行動するか?周りといかに協力・共有して物事を進めるか?正直にいかに周りに意見を発信するか?ということの大事さをそこでは学びました。

イエスマンではだめだ。すべてを受け入れるのはかなり自分を追い込んでぼろぼろにする。帰ったあとは自分の行動に少しずつ少しずつ生かしていきました。するとうまくいろいろと回り始め、物事と向き合えるようになり、いっぱいいっぱいだった状況を改善できました。

このように「周りへ頼ること」と「当たり前が実は当たり前じゃないっていうことを知ること」でなんとか山を乗り越えることができました。

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ワタシ以上の。ワタシのなんて、なんてことないのでは?と思うぐらいの困難を乗り越えた友人が先日こんなことを言っていました。

「自分のご機嫌は自分で取らなきゃって思うんよ」

去年の失敗をとこか人のせいにばかりしていた自分がいました。なんでワタシだけ。どうして!なぜ!

失敗につけこんで、大変だったことを棚にあげて、不機嫌を人のせいばかりにしていました。

大変な状況だったし、それは周囲にも少なからず原因があると今でも思っている部分はあります。

ですが、それに漬け込んでストレスを感じたり、不機嫌になって自分の感情が制御不能だったのは自分が勝手にやっていることだったんだな。って友人の言葉を通して感じました。

「どんな状況であれ時間は進むし突き進まなきゃいけない。ここで腐ってるわけにはいかない。

自分のこと、自分の変化は自分が一番わかってあげられる。

だからこそ少しずつチューニングして、チューニングしてバランスをとることが大切なんだ」と友人は言っていました。

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これらを踏まえて思うこと。

大事なことは「チューニングすること」と「抱え込まないこと」。「チューニング」と「全て自分で背負って抱え込むこと」は違う。

コップの中の水が溢れないように、毎日整えて、時には誰かに相談をして、別の形で発散する術を身につけて(趣味とかオンオフがはっきりする何か)。

コップの中の水が溢れなくてスペースに余裕があると、周りの景色や美味しい食べ物や自分自身の身支度などに目が行きます。暮らしも丁寧になるし、会いたい人、喋りたい人もふわーっと思い浮かんできます。

やるべきことをしつつ、でもそういったことに目が行き、そういう時間に手が届いている1日のおわりには「良い1日だった。」って思うんです。

それがワタシにとってのゆたかさです。

「失敗」と「尊敬している友人」を通して、そんなことを感じる日々です。今日も1日えいえいおー。

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