いつだったか、
「女の人はグループの誰かが褒められたら
自分が貶されたように感じる傾向がある」
と、専門家が言っていた。
それを聞いて、いやあ、そうだったのかあ、とほっとしたりした。
というのも、その通りのこころもちになってしまう自分をなんてひがみっぽいやつなんだあ、とずっと恥じていたからだ。
あたしの周りの強くて素敵な女子たちはごくごく自然に「ひとはひと、自分は自分」と口にする。
でも、あたしときたら誰かの成功話を聞くと「それにひきかえ、わたしは・・・」と落ち込んでしまうわけで、そうなってしまう自分への意識ともども、二重に情けなくなったりしていた。
しかし、データで言えば、女の人はそういうものなのだと聞くと、なあんだ、あたしだけじゃないんじゃん、みんな言わないだけじゃん、あたし、普通じゃん、とにわかに気が楽になった。
落合恵子さんの文章にこういうのがあった。深夜の電話で落合さんの女ともだちが言ったのは
ある集まりで素敵な女性に会い、そのひとをもっと知りたいと自分から距離を縮めていったのだが、あまりに距離が無くなりつつあることに息苦しさを覚えるようなり自分の勝手さに腹を立てながら、もう一人の自分を持て余している、
ということだった。
そこまで読んで、へー、その息苦しさ、おんなじだあ、そういう失敗するの、あたしだけじゃないんだ、と思った。
かつて知り合ったあのおばさんとも、あのおねえさんともあの子とも、そんなふうになっていったんだんよなあ。そのたびにほんとになんて人付き合いがへたっぴぃで、なんて片意地で、なんてわがままな奴なんだあと、自己嫌悪しきりだった。
でも落合さんの文章では、そのすぐ後に「同じような経験は誰にもあるだろう」と続く。へえ~~~、そ、そうだったのかあと驚いた。
しかし、そういうこと、誰にもあるのかなあ。あたしのまわりの「ひとはひと」の強くて素敵な女子たちはやっぱりそういうことも言わないもんだから、あたしだけが情けないのだと思っていたけどそういうもんでもないんだな。
続く落合さんの文章には、「息苦しくなったら無意識に距離を取ってきた」とあり、最後にスージー・オーバックさんの「ビタースイート」という本が引いてあり
その本の内容の印象を
「同じところで同じように頷くことだけが友情ではない」
と書いている。
そうかあ、そうなんだなあ。「ひとはひと」の女子たちはそういうこともちゃんとわかってて
こんなあたしと付き合ってくれているのかもしれない。
同じところで同じように頷かない彼女たちに、たくさんたくさん、感謝だ。
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️