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忘れること、思い出すこと。

ふっと、ものをわすれてしまう。真っ白な記憶を持て余す。

ほら、歌舞伎座で、二人椀久、前に見たじゃない。頭巾のようなの被ってたじゃない。それは覚えている。しかし、踊っていたのが誰だか思い出せない。仁左衛門と玉三郎?

さあ、どうだったかしら……。顔のない役者が桜の木のそばで踊っている。

神田山陽の講談、ええ、聞きましたとも。演目は……なんだったかしら。あんなに笑ったのにね。

それはずいぶん前から自覚していたことだけど、いよいよ深刻だ。思い出せないことが増え続ける。

先日、蟲師というアニメを横目で見てた。撮りためたビデオが数回分再生されていた。情緒があって、美しい絵柄で思いがシンとするアニメだ。

ある回で、記憶をなくす母親が出てきた。なにやらにょろにょろとした薄い影のようなあやかしが母親の頭の中に棲みつき、脳の引き出しから記憶を少しづつ食べていく。

例えば団子のことや柄のついた着物の記憶がいっさいなくなってしまう。

あやかしは寄生しているのだから、宿主の命を繋ぐ事柄に関する記憶には手をつけないが、それも時間の問題だ。

母親は出稼ぎに行って帰らない夫のことを忘れないために毎日陰膳をあげる。そうやって忘れたくないことは、何度も何度もこころの中で繰り返すのだ。

母子が探し当てた夫は別の土地で新しい妻子と暮らしていて、そのショックで弱った母親は、あやかしにほとんどの記憶を食われてしまい、息子と身の回りのこと少しの記憶しかなくなってしまった。

それでも、忘れてはいけないことを、くり返し思い出しながら母親は明るく働く。そして息子とふたりのくらしなのに、膳を三つ用意する。なんだかそうしなければならないような気がするからと笑いながら言う。そこで終わる。

せつないのー、と一緒に見ていた息子1に言うとうんと答える。そこはかとなく、ひとはかなしい、という空気が流れるアニメなのだ。やはり作文を書く息子1と、やっぱり作者の説明でなく読者が感じ取る作品を書かんとね、と確認しあう。

結局、ここまで長く生きてきた自分が絶対忘れたくないたいせつなことってなんだろう。

たいせつなひとのことと生きるすべ。それ以外は砂浜に書いた落書きのように、波にさらわれて消えてしまうんだろうな。

絶対に忘れたくない思い出は、くり返しくり返し思い出さねばならないのだ、とこころに言い聞かせる。

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あー、何年も前から、いろんなこと、忘れてきたわけだな。どれだけのことわすれたのやら。

そう、noteに残すために見返した作文群のなかに、あーこんなこと書いてたのか、と思う文章がたくさんあった。つまりたくさんのことを忘れてるわけだ。

こんな風に残しておけば、また、思い出せる、かもしれない。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️