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葉山の海で

Mさんが「海を見たい」と言った。あたしは「おいしいお魚を食べよう」と答えた。二人で京浜急行に乗った。

海沿いのレストランの大きな一枚ガラスが、凪いだ海を風景画のように切り取って見せる。午後の日差しが金色に染めた水面を、漁船が影絵のようになって進む。

「きれいね」とMさんが呟く。「うん」と答える。言葉が続かない。すうっと時間が流れる。

運ばれたきた魚料理を切り分けながら「一番心配なことは夫のことなの」と溜め息まじりにMさんが言う。

乳房に巣食ってしまったたちの悪い腫瘍を切り取るために、彼女は2週間後に入院する。告知を受けてからまだ日が浅い。

「そうでしょうね」と相槌を打つ。人のよさそうなご主人の顔を思い浮かべ、さぞかし混乱されていることだろうと思う。

お産の時、ご主人は赤ん坊の安否よりも「Mは大丈夫ですか?」と繰りかえし聞いたという。今はなによりも大切なMさんがこんなかわいそうなことになってと落ちこみ、あらゆる心配事が次々にわいてきて、本人よりも具合が悪くなっているそうだ。

「誰もあの人に期待なんかしてないのに、本人はなんかしなくっちゃって空まわりして疲れてるの。でも、どう贔屓目にみてもやってることがトンチンカンなのよ」彼女はそう言いながらちょっと照れ笑いをした。

たしかにいいひとなのだが、どこか不器用で、いつも見当はずれの言動になってしまうらしい。ありとあらゆる民間療法の情報を仕入れて来るのだが、情報が過剰すぎて収拾がつかなくなっているという。

「その一生懸命さはすごいと思う」とあたしが言うと「あれは愚かな愛だわ、って母は笑うのよ」とMさんは苦笑する。

その笑みを残してあたし達は食事を終えた。

コーヒーにミルクを入れながらあたしは無理に言葉を選ばなくてもいいのだと、自分に言い聞かせた。彼女の言いたいことを受けとめるだけだ。

「母には明後日言うことにしたの。心臓の悪い人だから気になるんだけど、言わないわけにはいかないしね」

自分のことよりさきにまわりの人の気持ちに心を砕いている彼女の「長女気質」があたしにはなんともせつない。

レストランを出て、海そばの神社にお参りした。お賽銭箱に百円玉を投げ入れ、祈る。

「このひとをお守りください。このひとをお守りください。このひとをお守りください」ひとつおぼえのように繰り返す。他に願うことはない。

Mさんの胸に巣食う腫瘍はそう小さくはない。彼女は命と引き換えに、これから乳房を失う。彼女の豊かな胸が大きく抉られてしまうのかと思うとご主人でなくても心が痛む。

あたし自身、悪性の腫瘍で左あごの骨を失っている。Mさんの私塾の教え子であるAちゃんは白血病と戦ってきた。まだ奪い足りないのかという行き場のない憤りが湧く。

振り返ると先にお参りを終えたMさんがすこし離れたところでそっぽを向いていた。あたしはなにもなかったような顔をして歩き出した。

森戸海岸の砂浜をゆっくり歩いた。晴れた土曜日の午後、犬を連れた近所の人たちの散歩姿が目につく。

打ち上げられた褐色の海草をMさんが拾う。「ほら、これには浮き袋がついてるのよ。知ってた?」

「小学生のころ、おじいちゃんが家を借りてくれてひと夏じゅうこの海のそばで過ごしたの。そうそう、向こうに見える島まで遠泳したこともあったのよ……」

白っぽい光に満ちた砂浜を色白でおかっぱ頭をした幼いMさんが、ちょっと気難しそうなおじいさんに手を引かれて海へ向かう。おじいさんがなにか諭すように話しかける。Mさんがどこか緊張した面持ちでうなずく。

視線の先にMさんの思い出がゆっくりと立ち上がる。日差しがきつくなったような気がした。


*****

朝、Mさんから電話があり
「お天気の日は今日しかないの」と切り出した。

何のことかと思っていると、自分の中の海のイメージが最近はいつもくもり空だから.晴れた日の海を見に行きたいのだという。

こちらが、今日は夕方4時半に用があるのだがと渋ると続けて「森戸海岸へいってケリをつけたいと思うの」という。

ああ、あの海を見たいのか、と胸落ちし、わたしは即座に「行こう」と決めた。

6年前、話があるといわれて森戸海岸へ行き、
海そばのレストランで病気の話を打ち明けられた。

そのときわたしは白いタオルを持っていて、止まらぬ涙をそれで拭いた。

後にMさんは、あなたが自分のために流してくれた涙とあの白いタオルが鮮明に記憶に残ってると言った。

あのあと彼女は入院し、手術し、退院した。
その三年後に再発した。また入院し、手術し、退院した。

その間に彼女が同じ病棟でであったひとたちは
何人も逝ってしまった。しかし、その同じ時間のなかで、彼女の長男は結婚し孫がうまれ、次男には婚約者ができた。

たくさんのリンパ節を切り取った左腕はリンパ浮腫になり腫れているが.それでもこの手で孫が抱けたと彼女はよろこんだ。

どこに行っても「わたしはこころに焼き付けるから」と写真を撮ろうとしなかった彼女が今ではデジカメを購入し孫の写真を撮る。携帯の動画に孫の立ち姿を納める。そして「ほら」とわたしに見せる。

彼女のいのちが未来につながった。

新逗子駅で降りてバスに乗り森戸海岸で降りる。当然のことだがあたりの風景が6年前とはずいぶん変わっている。見覚えのある風景も潮風にさらされ.どこか老いたような感じがする。

砂浜に足を入れると思いがけず胸が熱くなった。またふたりしてここを歩いている。6年前の自分には思い描けなかった光景だ。

「よかったね」というと
彼女はうなずいた。明るい海と空のあいだでわたしたちは生きている。

森戸神社にお礼のお参りをした。彼女は以前より長く手を合わせていた。わたしも深く頭をさげてお礼を言った。かけがえのないこのひとを
2度も守ってくれてありがとうと。

海水浴の客が去った砂浜には人影は少なく.空が秋の気配を告げていた。



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