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散歩道

これも小説に生かした。日常のなかのカメラアイ。そして文章化。無意識にそういう修業をしていた訳だ。

で、今は?とツッコミを入れて、あー、見つめていたいような対象に出会わない、と言い訳したり。

いや、意識の問題だね。やれやれ。

*****

夕刻、いつもの散歩道をおばあさんふたりが歩いていた。

見ていると、並んで歩いていたふたりがだんだん離れていってしまう。

ついつい先に行ってしまうおばあさんは、ショートカットで春らしい装いのパンツ姿で.きびきび歩く。手には洗面器を持っている。銭湯に行くのかもしれない。

次第に遅れていく猫背のおばあさんは、どうやら寒がりらしい。

頭には帽子を被り、首にはスカーフをまき、ぞろりと着た厚手の長いコートから見える足元には、厚手のタイツの上にソックスを履いていた。

両方の手になにやら荷物を持っているせいか、右に左に揺れながら歩く。帽子からはみ出るぼさぼさの髪もいっしょに揺れる。

そのうえ、時に菜の花を眺め、桜を見上げ、遠く林立する高層ビルに目をやったりするものだから、ますます先のおばあさんから遅れをとってしまう。

3メートルほど離れると先のきびきびおばあさんは立ち止まり、振り返る。

その視線の先のおばあさんはゆったりゆったり春の気分で歩く。逍遥というのはこういうことなんだろうなあと思うような歩き方だ。

追いつくのを待ってまた並んで歩く。追いつくまでのあいだに「あんた、転んだら一巻の終りだからね。骨折れちゃうと寝付くことになるわよ。転ばないために足きたえなきゃ」と大きな声で激励し始める。

ゆったりおばあさんは「ああそうね」と気のない返事をする。なんといわれようと、まだまだゆったり歩く。歩幅も小さいようだ

「年取るとさ、筋肉がなくなっちゃうからさ、筋肉をつけなきゃだめなのよ。筋肉があっったらさ、転んでもさ、骨折れない転び方すんのよ。わかるー」

その返事をなにやらもごもごいいながら、ゆったりおばあさんが追いつく。待ち構えてたきびきびおばあさんがまた口をひらく。

「いーい、寝込んだらさ、人の世話になんなきゃなんないんだからね。だから自分で気をつけなきゃ。わかったー?」
「ああそうねー」

話が途切れると、やっぱりきびきびおばあさんは先に行ってしまう。ゆっくり歩くとペースが違うものだからかえって疲れるのだろう。

今度は5メートルくらい離れて大声で言う。

「じゃあさーわたし、こっから行くからねー。あんたも気をつけるのよ。帰り道わかってるわよねー。また顔見に行くからさー」
「ああ、ありがとー」

このふたりはきっと、面倒をみるほうと見られるほうという役割で長い年月、変わることなく付き合ってきたんだろうなあと勝手に推測する。

面倒をみるひとは、手がかかるだとか見てられないわだとか言いながらも、面倒をみる相手がいなくなると、なんだか心もとない気分になるんだろうな。

面倒をみられるひとはありがたいと思い、うんうんと素直に受け入れながらも、時にはうっとしくもなるんだろうな。

それでもふたりはずっと友達で、話やおこないがかみ合ってもかみ合わなくても、しばらく会わないとなんだかさびしいんだろうな。

自分がどっちのタイプのおばあさんになるか?と思って苦笑する。

自明だ。わたしはきっと「お先にどうぞ」が口癖の、のろのろばあさんになるに違いない。

そのときそんなわたしにはっぱをかけてくれるひとがいるだろうか、なんてことを案じていたりする。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️