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文の文 1

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文というハンドルネーム、さわむら蛍というペンネームで書いていた作文をブラッシュアップしてまとめています。
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#ざつぼくりん

ざつぼくりん 1 「雑木林Ⅰ」

ざつぼくりん 1 「雑木林Ⅰ」

「雑木林」と書いて「ざつぼくりん」と読ませる。そんな名前の古書専門店が小さな海辺の町の駅前にある。

しかし、町のほとんどのひとはその字をそう読むとは夢にも思わない。店主のカンさんは懇意になったひとだけにこっそりその呼び名を明かす。

「なんでそんな漢字テストの珍回答のような名前にしたんですか」と時生が聞くと、カンさんは毛のない頭をつるりと撫でて、さてね、と真顔で答える。

もう少し懇意にならない

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ざつぼくりん 4 「古い本」

ざつぼくりん 4 「古い本」

絹子と時生が暮らすアパートの窓から欅が見える。そのほっそりとした枝に猛烈な勢いで茂った葉が初夏の日差しを浴びて日に日にその色を濃くしている。

欅の葉擦れの音はどこか爽やかな感じがするなと絹子は思う。その音を聞きながらふたりで本の整理をしているところだ。

時生は本が好きだ。いろんな種類の本を手当たり次第に読む。絵本から小説、専門書、洋書に古書。絹子が道に迷うように、きっと時生は広大な本の森のなか

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ざつぼくりん 3 「銀杏」

ざつぼくりん 3 「銀杏」

絹子はときどき道に迷う。もういい大人なのに迷子になってしまう。

地図を手にしながら行き先までたどり着けない絹子を見て、その迷い方はむしろ才能と言うべきかもしれないと時生は言う。

そんなときの時生の顔は若いくせにちょっと分別くさいなと絹子は思う。そして自分が道に迷うのは、なにかしらひとならぬものに呼ばれてしまうからだとこっそり思ってもいる。

時生が生まれ育った小さな海辺の町でふたりいっしょに住

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ざつぼくりん 2 「雑木林Ⅱ」

ざつぼくりん 2 「雑木林Ⅱ」

この庭がまた野性的だ。ランダムに植えられた植木が野放図に育っている。さながら極小自然園といったふうだ。

この目で見なくても信じられることはある。今は見えないけれど、地の上、地の底、天井や影の中、薄闇にまぎれて生きるものは確かにいる。

彼らはほんとにいじらしいくらい健気に生きている。時折そうとはわからぬように彼らのサインが届く。そんないうにいわれぬとしかいいようのない不思議が漂うこの店もこの庭も

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サキとタキ〜ざつぼくりん番外

サキとタキ〜ざつぼくりん番外

きょうは朝から強い風がふいています。庭の木がふかくおじぎするみたいにゆれると、落ち葉がはらはらと舞い降ります。
双子の姉妹のサキちゃんとタキちゃんはお部屋のなかから十一月の空を見上げています。そして、顔を見合わせてにっこりします。
「風が吹いてるわ、タキちゃん。ふふふふふ」
「ええ、すごく風が吹いてるわ、サキちゃん。ふふふふふ」
「窓をほそーくあけておくと、風の心の声がきこえるのよ。笑ったり怒った

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ざつぼくりん 58「永遠のかくれんぼⅡ」(最終話)

ざつぼくりん 58「永遠のかくれんぼⅡ」(最終話)

華子が大人びた表情でうつむいている。

華子にはどうやらボーイフレンドが出来たようだ、と志津が言っていた。編み物を習いたいと言い出したのは、バレンタインのプレゼントのためらしい、と。孝蔵がいたら、そんなもんやらなくったって、華ちゃんはべっぴんさんなんだからな、みんなほっとかねえさ、というにちがいない。それを聞いた志津は、そうですねえ、でもおもうひとからおもわれなきゃ、つらいばかりですよね、なんて言

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ざつぼくりん 57「永遠のかくれんぼⅠ」

ざつぼくりん 57「永遠のかくれんぼⅠ」

古書店「雑木林(ざつぼくりん)」の木戸には今日も木札がかかっている。そこに書かれた店主カンさん自筆のにょろにょろとした筆文字は「永遠のかくれんぼをしています」と読める。

年が明けてから、絹子は何度か「雑木林」に立ち寄ったが、いつもこの木札が下がっていた。拳で木戸を叩き幾度もカンさんの名を呼んだが木戸が開くことはなかった。

気になりつつも致し方なく、連絡がつかないまま日が過ぎた。しかし、今日はも

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ざつぼくりん 56「わたこⅣ」

ざつぼくりん 56「わたこⅣ」

「こうじぃー」

人気のない夜の公園に吹く風に混じって、多樹の声が響く。絹子はその近くの暗がりにまぎれて、いささか息を切らしながら、耳をすましている。

多樹は絹子がトイレに行っている隙に家を出た。十時を少し過ぎていた。気がつくと「わたこ」もいないし懐中電灯もなかった。見事に姿を消した。

絹子は前もって事情を説明しておいたカンさんに電話で沙樹の番をお願いした。電話口で「してやられました」という絹

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ざつぼくりん 55「わたこⅢ」

ざつぼくりん 55「わたこⅢ」

「今の多樹ちゃんの気持ち、わかるような気がしますよ。……大切なひとがいなくなったら、そう思うしかないって時がありますから……わたし自身の経験もありますが、たくさんのかたのお話をうかがってきて、そう感じています」

「ああ、そうなんですか。そういうかたのお話を聞いてらっしゃるんですか?」

「ええ、まあ……十五年ほどやってます。病気とか事故とか、情況はいろいろですが、家族を亡くしたかたのお話を聞く機

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ざつぼくりん 54「わたこⅡ」

ざつぼくりん 54「わたこⅡ」

翌朝、玄関で時生を見送る沙樹が訊いた。

「とうさんは春休みもお仕事なの?」
「ああ、新しく入学してくる一年生のための準備しに行くんだよ」

「ふーん。つまらないなあ。……いってらっしゃい」

父親っ子の沙樹はすこし残念そうな顔になる。その傍らで眠そうな顔の多樹は「とうさん、今日は早く帰ってくるの?」と訊ねる。

「いや、残念ながらご用があってちょっと遅くなるかもしれない。いっしょにご飯食べられな

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ざつぼくりん 53「わたこⅠ」

ざつぼくりん 53「わたこⅠ」

寝静まったはずのふたごの子供部屋でなにやら気配がした。時計を見ると十時半だ。絹子が子供部屋のドアをあけると、抱き人形といっしょに寝ている沙樹の寝顔が浮かぶ。時生譲りのくせ毛が枕の上で跳ねている。飛び出した手を布団に入れて二段ベッドの上の段を見ると、多樹の布団がこんもりと盛り上がっていた。

――ねえ、わたこ。いっしょにいこうね。いつって、あしたの夜だよ。やくそくしたじゃない。だめだめ、沙樹ちゃんに

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ざつぼくりん 52「次郎Ⅴ」

ざつぼくりん 52「次郎Ⅴ」

ふいに木枯らしの音が押し寄せ、吹き続ける風の音はダイニングに満ちる。志津は膝に目を落として、ずっと風の音を聞いているようにみえる。  

「……こんな息づかいだったの、ずっと」

うつむいたまま志津は低い声で話し始めた。次郎はだまって聴く。

「……木枯らしみたいに、ひゅうひゅうって重たい息だった。孝蔵さん、肺がだめになってたからいつも苦しそうで……来る日も来る日もこの家にはこんな風が吹いてた……

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ざつぼくりん 51「次郎Ⅳ」

ざつぼくりん 51「次郎Ⅳ」

「孝蔵さんは自分のだいじなひと、たくさん亡くしてるの。わたしもそうだけど、早く親亡くして身寄りがなくてね。安心して寄りかかる人のいない暮らしのつらさは若いときから身にしみてるひとだったから、若い子のことが心配だったんでしょうね。……だから勉ちゃんが事故起こしたときは孝蔵さん、ほんとにものすごく怒ったのよ」

「はー、そうでしたか」

後にひとりむすこの純一もバイクに乗っているときに事故にあい、いの

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ざつぼくりん 50「次郎Ⅲ」

ざつぼくりん 50「次郎Ⅲ」

坂の途中にその家はあった。二回乗り換えして一時間余りかかった。所番地を確かめ手になじんだ地図帳を閉じる。板塀からのぞく植木の細枝が木枯らしに吹かれ、しなっている。さぶいな、と次郎は首をすくめる。木戸の脇に木の表札がある。沢村孝蔵。かっちりとした筆文字だ。何事もおこらなかったかのようにかつてのあるじの名がそこにある。男名前の表札がいらぬトラブルを未然に防いでくれることもある。今はもうここにはいないひ

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