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文というハンドルネーム、さわむら蛍というペンネームで書いていた作文をブラッシュアップしてまとめています。
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2020年10月の記事一覧

ラルフのためいき 12「テルⅢ」

ラルフのためいき 12「テルⅢ」

テルは道場に自転車で通ってきてた。運動神経がいい奴だから、小学校一年生でも補助輪なしでスイスイどこへもいっちまう。体のバランスがいいんだろうな。両手放しだって出来ちまうんだ、あいつ。

でも、きいっちゃんは、過保護だからさ、そうはいかない。あぶないあぶないって家のひとに言われちゃうからな。だから、世田谷から持ってきたにいさんからのおさがりの自転車にはゴロゴロと大きな音をたてる補助輪がついていた。

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ラルフのためいき 11「テルⅡ」

ラルフのためいき 11「テルⅡ」

それからまもなくのことさ。きいっちゃんが剣道を始めたのは。テルみたいになりたいっておもっちゃったわけだな。ノートに鉛筆で書かれた「けんどうがしたい」っていう字を見たときのじいさんのうれしそうな顔、オイラ、今でも思い出すよ。ちょっと泣きそうだったと思うな。ま、じいさんも、いろいろあって、ちょっと涙腺弱くなったからな。

前にも言ったけど、じいさんの子供のきいっちゃんのお母さんだけで、でも、嫁に行っち

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ラルフのためいき 10「テルⅠ」

ラルフのためいき 10「テルⅠ」

きいっちゃんが道場に入るようになったのは、最初は拭き掃除のためだった。道場にかよってる子供たちと並んで、道場の端から端までいっせいに雑巾掛けしたんだ。

あれは圧巻さ。何人くらいだったかなあ。十人あまりの子がさヨーイドンで拭き掃除するのさ。みんな勝ちたいからさ、必死でスピード上げて道場をすべるように雑巾掛けするんだもん。あわてすぎて、ぺたんってのびちゃう子もいたな。きいっちゃんも何回かやってた。て

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ラルフのためいき 9「きいっちゃんⅢ」

ラルフのためいき 9「きいっちゃんⅢ」

「ひやー、もうー、やだー、レンちゃんたらー」と樹菜ちゃんの黄色い声が風呂場に響く。「こらこら、レン、おとなしくしてろ」とじいさんも文句を垂れる

あのね、オイラだって好きで洗われてるわけじゃないんだからさ、フルフルってふるっちゃうさ。知らないだろうけど、濡れた毛ってのは気持ちの悪いもんなんだぜ。まったく石鹸まみれになるわ、お湯かけられるわ、「いえいぬ」になるのも大変さ。そういえば、朱鷺さんにもよく

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ラルフのためいき 8「きいっちゃんⅡ」

ラルフのためいき 8「きいっちゃんⅡ」

日曜日の午前中に、きいっちゃんはセンセイといっしょにやってきた。梅雨の明けた空が青かったな。いっとくけど、まわりのみんながむりやりつれてきたわけじゃないよ。きいっちゃんがここへ来たいっていったからなんだよ。

その日は道場で稽古のある日だった。道場からは竹刀のぶつありあう音と独特の掛け声が聞こえてくる。鵠沼の家のまえで、剣道着をきたじいさんと土門が並んで、その横にオイラと樹菜ちゃんがいて、みんなで

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ラルフのためいき 7「きいっちゃんⅠ」

ラルフのためいき 7「きいっちゃんⅠ」

だけど、朱鷺さんがいなくなったことをそんなふうに乗り越えられなかったのは、センセイの奥さんと、きいっちゃんなんだ。朱鷺さんがこの世に残したたったひとりの娘である奥さんは、おかあさんをなくしたわけだし、それはものすごく悲しいことで、無理もないことなんだ。

しかも奥さんの場合は、反対されながらセンセイと結婚して家を出たわけだからさ、自分が朱鷺さんを寂しがらせてしまって、それが原因で朱鷺さんのこころの

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ラルフのためいき 6「レンⅢ」

ラルフのためいき 6「レンⅢ」

「樹菜ちゃん、ボーイフレンドはできたかな?」
「ヤダー、知らない」

「いやあ、うちの若いもんが気にしてるのさ。樹菜ちゃんくるとみんなそわそわしてな。誰か好きなひといるのか、聞いてくれっていうのさ」

「そうねえ、今のところは……レンちゃんかな」
「ははあ、レンかい? 樹菜ちゃん、上手く逃げたな」

ワオ! やったね。犬でよかったかもしれないって思うのはこんなときさ。でも、オイラは知ってるんだ。道

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ラルフのためいき 5「レンⅡ」

ラルフのためいき 5「レンⅡ」

その言葉が予言になった。数日後の夕刻、点滴だけて生きていた朱鷺さんは、じいさんとオイラしかいない部屋で、雪が溶けてなくなるようにそのいのちを終えた。それを嘆くかのように庭の木が騒がしく葉音を立てた。春の風の強い日だった。

蛍光灯のひかりの下で朱鷺さんの白い顔が生気を失っていく。「ときーー!」胸のなかの空気を全て吐き出すようにじいさんはその名を口にした。

それからじいさんは、朱鷺さんの骨ばった手

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ラルフのためいき 4「レンⅠ」

ラルフのためいき 4「レンⅠ」

でもさ、オイラがレンに戻ってからもたいへんだったんだよ。朱鷺さんはオイラのこと、猫可愛がりしたんだ。オイラは犬なんだけどね。鈴とかつけられちゃってさ。これでも一応おとこなのに、ひらひらとレースのついた服を着せられたりもしてさ。気恥ずかしいことだったよ。

朱鷺さんたら、オイラから目を離さないんだ。また、どっかいっちゃうんじゃないかって不安だったんだろうね。どうあれ可愛がってもらってることはうれしか

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ラルフのためいき 3「ラルフⅢ」

ラルフのためいき 3「ラルフⅢ」

ここんちの長男の巧くんは、たぶんめんどくさかったんだろうな、今のなよこさんみたいに公園で、散歩ひもをはずしてくれたんだ。ま、最初のうちはオイラもおとなしくここに帰ってさ。それで安心したらしくて、何度目かになると巧くんはひもをはずすと、ベンチで本を読み始めたんだ。

それを見てから、オイラは逃げたんだ。世田谷の奥沢から鵠沼までね。うそじゃない。帰巣本能ってのかがあるんだよ。ていうか、道でどっちに行こ

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ラルフのためいき 2「ラルフⅡ」

ラルフのためいき 2「ラルフⅡ」

まあそれには訳もあるんだ。長くなるけどいいか?

センセイの奥さんは鵠沼のじいさんとこのひとりっこだったんだけど、嫁にきちゃったんだ。熱烈な恋愛結婚だったわけさ。あの鵠沼のじいさんに、お宅の娘さんを嫁にくれって言いに行くのも、度胸のいることだったろうよ。センセイは跡取りだからさ、養子に入るわけにいかないからな。

ここの子供は巧くんと園子ちゃんときいっちゃんの三人。で、次男坊のきいっちゃんが鵠沼の

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ラルフのためいき 1「ラルフⅠ」

ラルフのためいき 1「ラルフⅠ」

勝手口のドアが開き、ドア幅いっぱいの巨体が現れた。西日がその姿を照らす。巨体はオイラに向って声を掛けた。

「ラルフちゃーん、お食事ですよー。今日はおごちそうよー」

なに? おごちそう? そいつはうれしいことだけど、オペラ歌手のような声量で「ラルフちゃん」なんて呼ぶのはよしてくださいよ、なよこさん。オイラ、きまりが悪いから。

ラルフってテレビに出てた宇宙人のことなんでしょ? きいっちゃん

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ざつぼくりん 58「永遠のかくれんぼⅡ」(最終話)

ざつぼくりん 58「永遠のかくれんぼⅡ」(最終話)

華子が大人びた表情でうつむいている。

華子にはどうやらボーイフレンドが出来たようだ、と志津が言っていた。編み物を習いたいと言い出したのは、バレンタインのプレゼントのためらしい、と。孝蔵がいたら、そんなもんやらなくったって、華ちゃんはべっぴんさんなんだからな、みんなほっとかねえさ、というにちがいない。それを聞いた志津は、そうですねえ、でもおもうひとからおもわれなきゃ、つらいばかりですよね、なんて言

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