心の傷を持ったまま

阪神淡路大震災から25年ということで、TVでは様々な特集番組が組まれていて、観ているうちに、日付がかわってしまいました。

NHKでは、被災当時は子どもだった方々の、25年後の思いを取材した番組を放映していました。
大人と言われる年齢になり、普段は「普通」に生活をしている様に見える、震災体験者の方々の、本当の思い。
笑いもしながら生きてるけれど、常に心の奥には震災があり、「被災者」というアイデンティティを持ってしか生きられない。だから家族も持たない、という人。
仕事をし、家庭を持ったけれど、自身の子どもを持った時、当時の怖さが蘇えるようになったという人。
やはり、震災は、過去の話ではなかった。出来事自体は25年前でも、体験した人の心の中では、消えるどころか、ますます傷が疼いている。

虐待を受けた人や、不遇な家庭環境だった人にも、共通した感覚があると思う。
子どもの頃のそういった体験は、最中にいる時は、ただ必死で耐えてたり、そんなものだと思い込んだりして、辛いという意識化には至らない事もある。
しかし、自分が大人になり、恋愛をしたり、家庭を持つという事に直面した時、改めて、傷が疼き始める。
性被害などは特にそうだ。自分のされた事の意味を知ってからが、きつい。激しい嫌悪感が、自分に向く人もいれば、他者に向く人もいる。

「時間が経てば忘れられる」。そんな類のネガティブ体験もあるでしょう。
しかし、子ども時代に体験した、生死に関わる程の恐怖や、安心安全な生活の喪失は、おそらく、完全に消える事はないと思います。
それでも生きていくのは、本当に、大変で、ひょっとしたら、放棄したくなる瞬間もあるかもしれないけれど、
借りられる力は借りていいから、生きていってほしい。
その姿に力を貰い、生きていける人がいるから。
何かに優れてなくても、躓いてばかりでも、そんなあなたが生きている意味は確かにある。

私もぐしゃぐしゃになりながら、何とか生きてます。