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掬水月在手

 

 やどしもつ 月の光の大沢は いかにいつとも広沢の池

 嵯峨に住んでいた時分、広沢池に浮かぶ月に私の心はとらわれておりました。今こうしてこの歌を詠んでいると、広沢池に対する私の記憶というものが、春に花やかな桜の美しさよりも、水にたたずむ月の美しさに心惹かれることばかりだったことを思い出しました。西行法師の歌でございます。西行法師は花や月の歌を多く詠んでおりますが、やはりここでも月の光について詠っているのです。広沢池の月光は、西行法師の心もまたとらえたのでしょうか。百人一首でも歌われております西行法師の、なげきとて つきやはものを おもはする かこちがほなる わがなみだかな には月に恋心を揺さぶられる慕情が思わされて、私も時折くちずさむことがございます。月や花に魅入られた西行法師の生き方に、私の心もつい寄り添うのですが、やはり魅入られたというよりも、とらわれたという心根が正しいように思えます。広沢池の水面に映る月明かりは真白で、見つめるたびに私の心はとらわれます。
 広沢池は観月の名所として知られておりますから、西行法師の他にも様々な歌人がこの池に映る月を詠っております。源頼政の詠みました、古の人は汀に影堪えて 月のみ澄める広沢の池、平忠度の詠みました、あれにける 宿と手月は かわらねど 昔の影は なほぞこひしき、芭蕉の詠みました、名月や 池をめぐりて 夜もすがら のように、遠い昔から月を愛で、心を乱される人心の変わらないことに、不思議な思いがいたします。
月は太陽とは反対に、哀しい美しさに溢れております。西田俊英の描いた きさらぎの月 という絵画を初めて見たとき、心惹かれたのをおぼえています。白馬の肉体にかかる桜を染める月明かりの美しさに、私は息を呑みました。西田俊英もまた、西行法師の歌に触発されてこの絵を描いたと言います。願わくば 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃。馬と月と花の色気に、私はあてられて、今も月夜の晩に、あの馬のまぼろしを見ることがございます。桜と月の下にたたずむ老いた馬を描いた絵ではありますが、私にはあの色香は若い子の清廉な輝きのように、心に映るようでした。また同じように西田俊英の月兎 に描かれた兎の肉感も、私には女人の色香に思えて仕方ありません。思えば月があるところに、いつでも女の肉があったのです。
 私は産まれてから二十五を迎えるまで、広沢池の辺にあります庵にて暮らしておりました。装丁家の父の構えた屋敷の離れでした。父の屋敷はそれなりの大きさで、女中を幾人か抱えておりました。幼い私は池の美しさも花の美しさもわからないばかりではなく、母に甘えるだけの子どもでした。うすい思い出の膜には包まれておりますが、母の白く美しい乳房を口に含むのが私のはじめの記憶です。そのような癖を、十を迎えてもやめなかったのだと、そう高校に上がってから父に聞かされました。しかし、そのような年になるまで果たして本当にそうだったかという定かな記憶はなく、あれは父の意地悪ではなかったかと、今でも時折思うことがございます。その甘えてばかりの幼い私にも、広沢池に浮かぶ月の神秘的な光には、なにか得体のしれない思いを抱えておりましたのを、うっすらとおぼえております。
 私の好きな言葉に、掬水月在手 というものがございまして、これは川端康成も好んで揮毫しております。水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ は千良史の虚堂録ですが、この言葉の響きと意味に、日本古来の美しさが込められているように思います。私の手元にはその揮毫があり、枕元でほかの短歌と共にこの言葉を見ておりますと、月の美しさの揺らめきをいっそうに感じて、言葉本来の意味から離れた、先人の芸術家たちが千年の時を経てもなお掬いきれない美しさに思い馳せられます。
 この書を手に入れたのは、私が懇意にしておりました西宮にございます古書店の主人からなのでございますが、母が川端康成が好きなものでしたから、古書店にはよく二人で散歩がてらに通ったものでした。母は、江川書房の伊豆の踊子や、東山魁夷の装丁した古都、定本の総革装の雪国など、美しく珍しい本を集めておりました。高価な本ばかりでございましたけれども、それらの本を私と共に紐解くことに、母は喜びを感じていたようでございました。今も夜になると思い出すのですが、母と布団の上で寝転んで、和紙に触れておりますと、月の明かりが障子越しに差してくる夜がございました。そのたびに、母はほほえむと、明かりを迎えるようにそっと障子を明けるのです。そうすると月の光を頬に受けて、母の白い頤が鈍色になるのです。私の瞳には、月よりその母の頤の方が、一層に輝いて映っておりました。掬水月在手という言葉を見つめるたびに、私はこの頤を思い出します。思えば、月の美しさを書いた物語のどれもが、永遠に手に入らない女人の姿を、それに仮託していると言えるでしょう。月は白く発光して私たちを誘いますけれど、人の手に触れられるものではない。私たちは水に映る月を掌に掬うことしか出来ません。掬った月は手から零れる水とともに音もなく消えていきます。その光景を思うたび、この言葉に私の心はかよいます。
 母が亡くなったのは私が二十五の頃でした。後妻として家に嫁いで来た母は、装丁家の父が亡くなってからは、屋敷を一人で切り盛りしておりましたが、私が二十のころに、再婚して娘を授かりました。天から授かった子どもだと、母はたいそうな喜びようで、私はこの時この娘に深く嫉妬したのをおぼえております。しかし、布団の上で、生まれたての赤ん坊を抱く母は洗われたように美しく、母の胸に抱かれる娘の愛らしさは、私の嫉妬を消しました。
「お名前はなんというの?」
「恵子。いろいろなことに恵まれる子。」
母に抱かれた恵子と私が会ったのは、月夜だったように思います。ほの暗い部屋の中で、母が恵子を抱いていて、その白い頤にかすかに涙が伝って落ちたのが、幼い私のまぼろしの記憶のように、心の底にございます。
 恵子が養女として我が家に迎え入れられた時、彼女の記憶に私はおぼろでしかなかったようです。おぼえているのも断片的なことだけで、初対面で出会ったときのようでありました。母を失ったばかりだというのに、涙を流すこともなく気丈にふるまうその眦のりりしさが、私には池の水面に映る月のように美しいと感じました。
 川端康成のこの揮毫を見つめていると、この五文字から無限の情景が浮かぶのが不思議です。百輪の花よりも、一輪の花のほうが花やかであると、そう著作に書かれていたのが思いだされます。川端康成の作品は日本のかなしみを書いたもの、日本の女のかなしみを書いたものが多かったように思えます。私は母の影響で、川端康成が好きでしたから、昔に読んだ反橋が忘れがたくて、そこを訪れたことがございます。反橋のうえで、母親から恐ろしい話、自分は本当の子どもではなくて、母の姉の子どもだと知らされて、男の人生が狂うという冷たい物語です。反橋は大学時代に一度、その後、恵子を養女として迎え入れてからも一度訪れています。反橋は子どもが渡るには恐ろしい橋だとそう小説に書かれておりましたが、それが却って私の空想を広げました。
 住吉大社にかかる住吉反橋は、天上と地上を結ぶ虹を模しているそうです。天上と聞いて、私が月の明かりを思い出したのは、自然なことかもしれません。はじめてその橋をみたときに、想像以上の大きさと高さとにおどろきました。子どもが渡るには恐ろしいとは、まさに本当のことでした。
 二度目に訪れたとき、恵子は白いブラウス姿で、美しい十六の娘でした。そのときはもう夜半で、雲がなく、白い月が出ておりました。恵子は化粧のない素顔で、ちいさな黒いそばかすが、ほのかに頬に浮かんでおりました。母に瓜二つでした。美しい頤は母よりもいくらか細身で、肌の白いのは母と変わりありませんでした。
 恵子も私の影響で、川端康成の住吉連作を読んでおりましたから、はじめてみる反橋の威容にはおどろいたようでしたが、ほほえんで、そのまま私の一つ後ろについて段を登っていきました。
「ほんとうに大きな橋ですね。向こう岸がみえませんわ。」
「それがきっと、天上につながると言われる所以かもしれないね。」
その頂上で、幼い少年が母に恐ろしい事実を突きつけられるのです。頂上で、私は立ち止まり、月を見上げました。私の袴をかすかな力を込めて恵子が握りました。恵子といて、母といるようでした。
「ほんとうにこれは、造化の妙をつくしたような橋だね。」
「ごらんになってくださいな。月が池に浮いていますわ。」
池の水面に映る月が見えて、広沢池をおもいだしました。母の乳房をおもいだしました。
「ここで、恐ろしい話が語られるんですわ。」
「縁起でもないね。君もなにか持っているの?」
「もちろん、女ですもの。いくつもの秘密をを持っていますわ。お父様には言いたくても、言えないことですわ。ねぇ、お父様はお母様のことをおぼえているの?」
「よくおぼえているよ。君に似ているのが恐ろしいね。双生児かなにかのように似ているよ。」
「そんなに似ていますか?」
「そっくりだよ。君が産まれたとき、君を抱いた母さんに、君は今まったくそっくりだ。声もよく似ている。」
その言葉に恵子は頬を染めました。そしてゆっくりと脣を開きました。
「私は、お父様が恐ろしいんですわ。お父様は、私を本当に苦しめるんですもの。私はおばさまが羨ましいですわ。」
突然の恵子の罪の告白に、私のなかに美しい魔界の花が音も立てずに咲いたのをおぼえています。その言葉の後に、恵子は何もいわずに反橋を降りていきました。
 手水舎で手を清める恵子の頤と、その手のなめらかな白、そして流れる清水の音だけが私にその時の記憶として残っています。私も恵子も、同じように罪の直中にいました。その二人に白い月の明かりが差すと、互いに心をうたれ貫かれたように、見つめ合いました。そしてその光に連れられるかのように、広沢池の庵に戻りました。
「私はほんとうに、お父様が恐ろしいですわ。」
抱きしめた恵子はあまい乳の匂いがして、それは愛の子のせいかもしれませんでした。造化の妙をつくしたように母そっくりの美しい素顔でした。それは二人と交わるような堕落でした。手の甲に乗せた脣のふくらみに、私は驚かされました。あのときに、心中していれば美しい死だったでしょう。
 掬水月在手という言葉を見つめていて、つい、愛する人達のことを思い出しました。今はもう、恵子と会うことはありません。あの娘は、罪を背負って月の明かりの中に消えてしまいました。
 愛の子も、母の顔も、今では庵で見た私の美しいまぼろしになりました。

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