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獣姫

5-7

 三週間、ファッションチラシの仕事を除いて全ての時間を君の目録へと注ぎ込む。枠取りを決め、各頁根幹となるレイアウトを決めていく。君の作りだした少年少女の人形がその中で微笑ましく笑う。見ていて気分が幸福になる。今の紙面から伝わる印象だ。そんなデザインを、自然と人形達に導かれてデザインしている錯覚に陥る。ほとんど家から出ず、黙々と室内で作業を行う。時折届く君からのメール、的場からの電話、岡田から写真が唯一の実世界との接触だ。それ以外の時間、電脳の世界で人形達と戯れる。
 携帯が震える。君からの電話。直ぐさまに出る。
「もしもし」
「久しぶりね。どう?進捗状況」
「メールで逐一送ってるだろう?頗るいいよ。順調だ」
「今から出て来れる?」
俺は背筋を正した。突然のお誘い。君からの誘惑。
「可能だが…約束したろう?ロエンが完成するまで会わないって。あんたの先生に見られたらロエンがパーだ」
「大丈夫よ。嵐山のオルゴール館。今日の四時。中で待ってる」
そう言い終わると唐突に電話が切れる。俺は肩を竦めた。今はもう正午過ぎだった。直ぐさまシャワーを浴びる。汗を流した後に溜まっていた洗濯物を回し、昼飯にインスタントラーメンを啜る。久しぶりにテレビを見る。ニュースは延々下らない政治経済事件を垂れ流し続けていた。いつもと変わらないニュースばかりだと、俺は電源を消した。
 少し早いが家から出る。バスに揺られて嵐山まで向かう。化野が近づくにつれ、真田の顔が脳裏を過る。化野念仏寺。水子供養の寺。葬送の地。真田はここにあしげく通っていると、下村が口にしていた。過去に何かあったのか。俺は下らない夢想と妄想を頭の中で紡ぎ上げる。
 
 昼下がりの午後、外はあまりにも明るく晴れ渡っていた。明るい陽射しが降り注ぎ、木漏れ日が地面に影絵を描いている。嵐山でバスを降りる。徒歩でオルゴール館まで向かう。普段は大量の観光客で埋め尽くされる場所。今日はいつもと較べ、どこか空いている。交通がいくら整備されてもあそこを通るバスだけはこの時期は本当に狂ってると、丸太町に住む岡田がぼやいているのを思い出す。観光地の中心を突っ切るバスは、シーズン中は信じられない程の混雑のために予定時間から一時間近く遅れてやってくることがザラだと言う。未だに空飛ぶ車なんて夢物語だから、岡田の苦悩は当分続きそうだった。
 オルゴール館に到着する。大正時代にでも建てられたのかの様な、白い外観の瀟洒な洋館。門前には道化師の格好をした男が風船を片手に微笑んでいた。中に入ると涼しい風と、オルゴールの音色が聞こえて来る。一階の売店を見渡す。君の姿は見えない。俺はかぶりを振り、二階へと歩を進める。軋む階段の音を聞きながら、ゆっくりと階段をあがる。携帯がなる。的場。出なかった。場所が場所だし、君が待っている。黒尽くめのキュレーターから切符を購入し、中へ踏み入れる。洋館の二階全てをそれ専用に改装したオルゴール館の内部は時折奏でられるオルゴールの音色が響いていても、どこか静謐な情景をたたえていた。洋館の形をした大きなオルゴール、その前に立つボブの女性、うなじから見える白い体毛が微かに揺れていた。オルゴールの前に静かに佇む君の姿は、君の工房で見たときと同じ、人形の様な違和感を醸し出している。俺はゆっくりと君の後ろに立ち、背中を軽く叩く。眼を見開いて振り向いた君は、俺の姿を認めると同時、静かに微笑んだ。
「悪い、待たせたか?」
「ううん、今来たとこ」
待ち合わせのお決まりのやり取りを交わし、君が見ていたオルゴールを見上げる。高さは二m近くあるだろうか、銅板のレコードが中に数枚納められた、年代物のオルゴール。周囲は木製だろうか、ブリキだろうか。鈍い光沢が怪しく煌めいている。工芸品、民芸品とでも言うのか、この手の高価な玩具をどこから集めてくるのか、館内は溢れんばかりのオルゴールが所狭しと並べられている。
「来た事は?」
「初めて。前を通った事はあるけど」
コミックで例えるのならば、さしずめ『金田一少年の事件簿』の中に登場する蝋人形館だろうか。生きた蝋人形を置いた人形館の光景と、この場所は良く似ている。オルゴールが鳴り始めた。デモンストレーションだろうか。もぎりのキュレーターが同じく銅板が納められたタイプのオルゴールの薇を巻き、その音色を奏でさせる。キュレーターが疎らな客達に向けて語り始める。黒髪に細い眼をしたキュレーターの持つにこやかな空気感に館内の雰囲気も和らぎ始める。日常の喧噪が消え、非日常の空気が醸成されていく。
「目録、デザインいい感じね」
「まだまだ。修正に次ぐ修正さ。素材の良さが俺のあしらいを下らない添え物に変えてしまう」
「そう?私は好きよ」
思わず口元が緩む。君に褒めてもらうだけでこれほど嬉しいのだから、相思相愛にでもなれればそれこそ心臓も破裂してしまうのだろう。
「先生になんて言って出て来たんだ?」
俺の問いに君の表情が強張っていく。君は何も言わずに小さな館内を歩き始める。満月型の顔をした巨大なオルゴールがお目見えする。ムーンフェイス。眼鏡をかけたその満月は音楽を奏でながら口元から煙を吐いていた。煙草を吸う機械。よく考えられたそのからくりに思わずほくそ笑んでしまう。
「死んだ。つい先日ね。本当に突然だった。兆候なんて見えなかった」
君が立ち止まり俺に答えを投げかける。俺はそれを掴み損ねる。君が何を話しているのか俺には見当もつかない。
「兆候といえば…ロエン、あなた達の雑誌。あの雑誌に協力したこと自体が兆候だったのかもしれない。本当は忌み嫌う筈だもの、ああいう雑誌へ出る事は」
足下が覚束ない感覚。夢の中を彷徨うかの如き感覚。オルゴール館という日常から隔絶された空間だからこそ産まれた歪み。俺は暫くの間まともに思考が働かなかった。
「死んだのか?先生は…真田芳雄は死んだのか?」
俺の問いに君は静かに頷いた。的場からの着信。困り果てた的場の顔が思い浮かぶ。
「ー骨董という物は百年以上の時を経たものをそう呼びます。ここにあるオルゴールは勿論骨董と呼ぶべき年月を経たもの、まだ若く近代に限りなく近いー」
キュレーターの言葉が耳を素通りする。来観客も皆一様に能面の如し無表情でその説明を聞き流している。
「先生は器を作ろうとしていた」
「器?」
浮遊感に囚われ覚束ない足下を踏ん張りながら、俺は君の放つ言葉に耳を傾けた。
「うん、そう。器」
「どういうことだ?器。器ってなんだ?」
頭がこんがらがっている。様々な憶測や思いが錯綜している。器。君の言う器が何を指し示しているのか、俺には理解出来なかった。
「人形。先生の作り続ける人形。その全ては器」
「人形が?器って入れ物のことだろう?あの中に何を入れる?」
言葉を紡ぎながらはたと気がつく。君たちの着地点は同じ。同じゴールを目指していると、初めて喋ったあの日にそう聞いた。君たちは人形に息を吹き込もうとしていた。
「人形は入れ物。命を与えるもの。そう先生が私に教えてくれた」
「人形に命を与える?馬鹿げてる。人形は人形だ。ただのものだ」
「そう、物よ。ただの物。私たちも同じ。いつかは死に、風化する。あなたも私も。ただ違うのはそれぞれの寿命。私はきっとあなたよりもずっとずっと早くその時を迎える」
君は静かに淡々と言葉を吐き続けている。その落ち着いた様は普段の君は打って変わり、やはり人形のようだ。
「先生はそれを良しとしなかった。三十年も前、私が産まれるずっと前から先生は苦悩の中を歩いて来た。皇后様の器を先生は作ろうとした」
皇后様。君たちのはじまり。君たちの祖。美しい最初の狼人。
「それは私たち狼人が人並みの寿命を送る事が可能な肉体」
「まるでサイボーグだ」
君は微笑む。口元が微かに震えている。
「図星よ。そう、サイボーグ。そのサイボーグ技術に先生は入れ込んでいく。それでも不可能だった。幾ら研究を重ねても、どれほど研鑽をつんでも、意識の共有は不可能だった。合成生物を産み出した先生にしてもその先へ行く事は出来なかった。先生は悩んだそうよ。自殺まで試みたって直接聞いた時には吹き出しそうになったけど…でも真剣そのもの」
先生の言葉を流暢に語る君は、親を語る娘の様に見えた。
「でも皇后様に子供がー娘が産まれてから考えが変わった。先生は孫娘を溺愛した。その愛は私たちの生を肯定した。謳歌していた。先生は私たちに人形を作り始めた」
「何故?何故人形を作る?」
「目録と私たちの狼人の写真を見比べれば理解出来る。優しい先生」
君は慈悲に満ちた瞳でそう語った。優しい先生。真田の目録を思い出す。美しく誂えられたその目録の中に納められた人形達。一時期は男、一時期は女。そういえば、少年少女の姿はそこにはなかった。全てが成人を迎えて以降の人形だった。あれは全て君たちの姿見だったのか。人間と同様に長い生を謳歌した自分の姿。先生は君たちの姿見である人形を作り続けた。叶わぬ器を作り続けた。君たちの器になるべくして、写し鏡に留まった人形。
「人形は君たちのー」
君は微笑みながら硝子ケースの奥に静かに佇む自動人形達を見つめる。西洋風の人形が陳列するこの中では些か不釣り合いに見えるオリエンタルな人形。インドかどこかの衣装だろうか。蛇使いの女のオルゴールが艶やかな光を纏いその中に鎮座している。
「作り続けるのか?君は」
君は微笑を浮かべたまま小首を傾げた。何か憑物が落ちた様な、何か吹っ切れた様な、そんな微笑みだった。
 
 的場に電話をかける。コールが鳴ったと同時、的場は勢い良く電話に出る。
「先生が亡くなった」
「聞いたよ。残念だ」
「ああ、残念だ。変わった人だった」
「狂人さ。ロエンはどうなる?」
「薄情な野郎だね、お前も。まずは故人を悼んでからだろう、普通はさ」
的場の常識的な意見に思わず笑みが漏れる。窓の外を見る。曇天は今にも決壊しそうな程大量の雨粒を溜め込んでいるようだ。
「何笑ってるんだよ。本当にさ、まずは故人を悼む。それから故人の遣り残した仕事をする。物事には順序があるんだ」
「違いない。ロエンは続けるのか?」
「下村さんがさ、続けて欲しいと。生前の先生の仕事を知っているのは俺達だけだからって」
「そうか。もう代わりのアートディレクターは見つかってるんだろ?どうだ。進捗状況は」
電話越しに的場の乾いた笑い声が聞こえてくる。どうやら艱難辛苦しているようだ。
「本谷。才能はあるんだけど、いかんせん我が強い」
「デザイナーの本分だぜ。我が強くなきゃあ良い仕事なんて出来ないさ。俺達は自分を切り売りしてるんだから」
「それを言うなら先生の我は最強だろう。あの人こそ台風みたいなもんだ」
君の比喩表現。俺はまた笑いを漏らす。
「近々行くよ。お前も来るか?」
「俺は敷居を跨いではいけないからね。約束を守らないと」
「誰も気にしやしないさ。雛菊ちゃんに会いにいってやれよ」
「彼女に?何故彼女が出て来る?」
「野暮な野郎だな。お前の気持ちは端から見ててすぐ分かる。気持ちが顔に出る。直情系なんだお前は」
俺よりも俺に詳しい。的場は人の本質をすぐに見抜く。それは素晴らしい才能だ。
「彼女も直情系だ。あの娘は顔に出ない。でも人形に出るんだ。それが」
「行くよ。行くときは前日にメールをくれ」
俺はそう言って携帯を切った。窓の外では降り出していた。大降りの雨。硝子を叩く雨粒一つ一つが君たち狼人の涙の様に見える。真田を悼む涙の様に。

 真田の死から丁度二週間後、俺達は真田の家を訪ねた。下村は俺の来訪にひどく驚いた表情を浮かべたが、何も言わずに中へ通してくれた。初めて真田と会った蔵の中に通される。蔵の中には伽藍堂だった。置かれていた筈の大量のモニターや、合成生物学を研究していた頃の名残の品類、そして棚に置かれた無数の人形達は消えていた。聞く所によると、全て美術館に寄付したのだという。
「一つ一つが先生の思い出の品であると同時、とても研究価値の高いものばかりでしたので」
下村は事も無げにそう言った。何も無い蔵の中は逆に異質で、どこか所在のない空気に包まれている。
「差し出がましい事かもしれませんが」
「何か?」
「人形達のいくつかはーそれぞれに相応しい持ち主がいるのではないかと推察します。生前、先生がそのような事をおっしゃっていた」
口から出任せ。君に聞いた言葉を手繰り寄せ、推測で物を言う。下村の表情を見る。微かに顔に翳りが感じられるのは俺の気のせいだろうか?
「どこまでご存知で?」
「色々と。彼女にも話を聞きました」
眼鏡の奥から覗き込む下村の瞳は全ての嘘を見抜くかの様に透明で美しかった。俺は観念して彼女の事を口から漏らした。
「大丈夫。手続きは全て雛菊さんが。全ての人形はその魂の持ち主の場所へ」
俺は安堵した。手伝うべきだったと悔やみはしたが、君の行いに心から安堵した。的場は下村と俺とのやり取りの意味がわからず、惚けた顔をして突っ立っている。俺はキャメルを取り出す。
「吸っても?」
「構いませんよ」
あからさまに不快そうな顔をしながらも、下村はそう言った。俺はキャメルを口に銜え、煙を吸い込む。不浄な空気で肺が満たされていく。
「それが一つの懸念事項だった。俺が知ったのは最近です」
「先生は不器用です。誰からも必要とされない人形を作り続けた。水子の為に念仏寺に通い続けた。その思いが届くのかどうかわからないのに」
「それはない。誰かの心には届くものです。それが愛情でしょう」
紫煙が宙を舞う。我ながら臭い台詞。ださい台詞だ。言葉は難しい。真田にも勿論そうだったのだろう。彼は言葉を巧く紡げなかった。
「後を誰かが引き継ぐ?」
気になっていたこと問いを投げかける。君が何故弟子になったのか。人形作りの天分が見込まれた君は、真田に選ばれたのでないのか。
「さぁ。私にはそこまでわかりません」
「彼女がー雛菊さんが先生の後を継ぐのではないかと、僕はそう考えてるんです」
下村が声を上げて笑った。眼鏡の奥にきらりと光るものが浮かんだ。
「彼女が先生の弟子だから?違います。彼女はただの人形師。勿論天分はありました。けれど彼女の作りたい物は先生とは違うの」
「目的地が一緒だと言っていました。ゴールが一緒だと。二人とも人形に魂を与えたいのだと」
「それは浅薄な考え方です。彼女はもっと利己的だ。ヒントを与えましょう。2042年五月一日の新聞を調べればすぐにわかります」
下村は静かに微笑んだ。三年と少し前の数字。俺はキャメルの煙を口に中で弄ぶ。
「調べれば直ぐにわかるわ。ただ、僕の口からはあまり言いたくない」
下村はそれっきり口を閉ざしてしまった。重苦しい沈黙に辺りが包まれる。俺は煙を吹かしてその場をしのぐ以外何も出来なかった。

 帰って直ぐにネットの海を漁る。情報は大量だ。その中から必要な情報を掬い穫る。果たしてそれは直ぐに巧くいった。雛菊。五月一日。直ぐにヒットした。数十件の記事が一気に表示される。全て見出しに交通事故の文字が踊っていた。俺は震える手でモニターを操作する。ワゴン車とタクシーの正面衝突。乗り合わせていたタクシーの乗客の男性が死亡、同乗していた女性が重傷。女性は妊婦だった。お腹の赤ん坊は即死だった。女性の名前は山岡雛菊。力が抜けた。哀しみに沈む女性。哀しみに沈む君。真田が通う念仏寺。水子供養。真田の怒りの意味。君を守ろうとする過剰なまでの怒り。全てが腑に落ちた。俺は目頭を揉んだ。涙がこみ上げて来る。君が作り続けた少女の人形。お腹の中の赤ん坊が成長した姿。
 君が電話に出る。もしもし、そう静かに君の声が鼓膜を震わせた。眠たげな声だった。
「夜中に電話なんかしてすまない」
「大丈夫。気にしないで」
「落ち着いたか?」
「どうかな。逆に現実感が稀薄になった感じ。不思議な感覚」
寝起きだからか、今も夢を見ているのか、君はどこか朧げで抑揚の無い声で俺の問いに答える。俺は微笑む。
「目録の話がしたい。明日会えるかい?」
「大丈夫よ。うちに来るの?」
「ああ。会いにいく。出来上がりを見てもらいたい。何枚かラフが出来てる。君のアルバム。大切なアルバムのラフ」
「楽しみにしてる。見えるわ」
「見える?何が見えるんだい?」
「あなたが持ってるもの。あなたが作ってくれるアルバム」
「どう見える?」
「きっと、とても素敵なデザイン」
微笑んだ君の吐息が届いたかの様に、俺の耳朶が震えた。


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