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小利口な人と文学賞

車谷長吉の書籍に、『人生の救い』というものがある。


これは、新聞連載されていたものをまとめたもので、早い話が人生相談である。悩んだ読者からの投稿に、車谷が答えるのだ。

私は、小説の神様は志賀直哉ではなく、車谷長吉だと思っている。

車谷長吉の小説は彼の作劇方法である、虚点を作中に織り込むことである。実ではなく、虚こそが小説を小説足らしめているというのである。
彼は、新人賞受賞後の芽の出ない時期に下読みの仕事もしていたそうだが、何十と読む際、読めるものは数本で、それにも虚と実が入っているかは選考において重要だと言う。
車谷長吉は基本的には私小説をベースに作劇された虚実綯い交ぜの作品を書いているが、全て見事である。

車谷長吉はインテリであり、ロジカルに物語を構築し、人間の感情の機微を描き、かつそこに人生の痛苦を通底させている。
彼は、前述した人生相談において、貴男は小利口な人です、という言葉で相手を戒めていた。この、小利口、という言葉こそが、恐らくは車谷自身が自分に対して感じていた最大のコンプレックスではなかったかと思われる。

小利口な人、人生において、上手く立ち回ろうとする。本当の人生を生きていない、合理主義、拝金主義、権威主義、自己顕示欲、自分本位、事なかれ主義、そのような、まさしく人間という存在、特に地頭のいい人が陥る思考の鎖に自らが締め付けられている。
そのような小利口さが、車谷長吉を世捨てに走らせて、結句は舞い戻らせるという、彼自身が忌避する形になってしまった。
然し、直木賞受賞時に、男子の本懐を遂げたと喜んでいるわけで、やはり権威には滅法弱い。

まぁ、車谷長吉の小説の完成度はブッチギリであり、本来は芥川賞も獲るべきだったのだろうが、世間に陰惨な事件が数多く起きていて(地下鉄サリン事件など)、世相に照らし合わせても彼の作品が負のイメージが強すぎて駄目、という意味不明の審査結果で溢れたわけだが、それは車谷さん、五寸釘も使うわなぁ(審査員全員に天誅として丑の刻参りを詣でたのダ)と思わんばかり。

二度、一度目は36歳で、二度目は50歳で、芥川賞の候補になっている。本来は、36歳のときに、『萬蔵の場合』で獲るべきで、『漂流物』は傑作なのに、審査員は尽くリアリティがないだの、空虚だの言っている。まぁ、審査員も人間だし、好みもある。が、私が審査員ならば完全に車谷でキマリ!

話が脱線してしまったが、車谷長吉は妻の高橋順子のエッセイ『夫・車谷長吉』において車谷の生態を書いているが、彼が1999年、53歳の時に『赤目四十八瀧心中未遂』という傑作をものして直木賞を受賞して、それから暫くの後、「最近精子が出なくなった。赤目が俺の子供だったのだな」的なことを呟いていたと書いてあった。
そして、ニュースを観て不幸な事件があると、気の毒に、という言葉を呟いて、人間的に円くなり昔と変わった的なことが書かれていた。

人間は、何かを成し、老いると、その小利口さが更に浮かび上がってくるのである。それは、一種の罪悪感めいたものにまで広がっていく。自分という、神聖なはずの存在への罪悪感である。
そして、何かを成し遂げた場合、次のゴールが見えなくなるのである。

それは、昨年急逝した西村賢太氏も同様で、彼も近年の作品である『芝公園六角堂跡』において、成功した自分に対して戒め(というか言い訳)的な作品を書いている。


西村賢太氏も抜群の文章センスを持ち、自身を客体化して作劇するセンスに秀でていた。これは、まさに車谷長吉的なセンスであり、そこにコメディと自虐加虐が加わり、無二の物になっていたが、この二人は大変似ていると思われる。どちらも大変な読者家である。

で、『芝公園六角堂跡』に関しては、芥川賞を獲り、金も入り、有名人になって、その上で大ファンだった歌手とも親交が出来て嬉しい日々であるのに、彼の言葉を借りるのなら、文壇で成功せずに脳梅毒に侵されて狂凍死した大正期の小説家である師匠の藤澤清造の弟子として、これでええのんかい!と自問自答する話であり、文庫版で読むと、後書きが加えられていて、自分にとっての別格の作品だと書いてあった。まぁ、決意表明みたいなものだと思うが、つまりは、成功することで、野垂れ死んだ師匠の生き様に共鳴していたはずの自分と現実の自分とが乖離し始めて、自分だけならまだしも世間にもただのミーハークソ野郎みたいに思われているのでは……的な、何とも悩ましい問題と向き合っていることが今作を書かせたのであろうか。

然し、没後に関係者から過去に、テレビに出て有名になりたい、などと言っていたとの証言が出たり、なかなかいい暮らしをしている写真が出たり、読者の抱く虚像と実像にもまた乖離があった。
そもそも、結構ファンになった小説家先生にファンレターを出したり、また別の先生にも会いに行ったりしているので、相当のミーハー気質であることは確かだが、車谷長吉の言葉を借りるのであれば、西村賢太氏の小説は虚点と実点が巧みに織り込まれた見事な小説ということになるのだろう。

然し、車谷長吉氏、西村賢太氏共に、自身の小利口さ、成りたい自分との乖離を客観視できており、自覚的であり作品にもそれをぶつけていたことは、文学者としての苦悩が垣間見える。

然し、谷崎潤一郎や川端康成などは、終ぞその苦悩など見せずに、花鳥風月の仮初の美に終始してしまった。
三島由紀夫は、乖離していることに自覚しながらも、最後まで嘘を選んでしまった。

特に、谷崎潤一郎は人生をエキサイティングしまくって、女遊びに耽り、三度妻を娶り、美味いものを一杯食べて、いいお屋敷に引越ししまくった。
川端康成はキモオタで、生涯若い美少女を追い求めて、それを作品に昇華していたが、自身の悪辣さは美というもので覆い隠していた。彼の書く魔界、というのは罪悪感であったのかもしれないが……。

彼はノーベル賞を獲ったが、それは本当には谷崎、或いは三島が獲るべきだったものだろう。彼の書く(そして、多くの作家が書く)花鳥風月というあまりにも凡庸なテーマが、世界というマーケットに対して受賞の根拠になり得たのだろう。
そして、誰よりも(三島も同様に)賞レースのための準備、人と会うことや仕事を欠かさなかった、意識的な動きをしていた(これは、映画会社の賞レースも同様だ)。

文学賞とは出版社の販促事業であって、何も神聖なものではない。神聖なのは貴方方あなたがたの初期衝動であって、それを持続していく藝術への思いである。

何かを成し遂げた場合、次のゴールが見えなくなる、と書いたが、それは小利口な人が陥る最大の罠であって、初めから、ゴールなどない藝術への奉仕をしていれば、書くことに終わりはないのである。





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