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聖人とブレードランナー2049


私は『ブレードランナー2049』が本当に大好きで、この映画は堪らなく美しい。

以下ネタバレがあります。

『ブレードランナー』の世界はレプリカントと呼ばれる人造人間がいて、2019年のLAを舞台にした『ブレードランナー』は『フランケンシュタイン』の怪物として生まれたロイ・バッティが延命の為に神(父)であるタイレル博士に会いに行く。
続編の『ブレードランナー2049』は、主人公のレプリカントKが、自身の記憶から、自分は本当は人間の子供かもしれないと思い、父(前作の主人公であるデッカード)に会いに、ジミニー・クリケットでもあるAI恋人のジョイと、2049年のディストピアを巡る『ピノキオ』だった。

『ブレードランナー2049』には様々なキリスト教の暗喩が含まれていたり、露西亜、東欧をモチーフにした様々、またはタルコフスキーオマージュに溢れていて、一種の宗教画を思わせる、美しい映像が見どころである。冒頭、同胞の旧型レプリカントを殺したKが、彼の目の玉をシンクで洗うシーンの美しさは素晴らしい。

今作は、聖人の物語だと、私は個人的に思っている。前作のヒロインのレイチェルは奇蹟の子供を宿し、それが自身だとKは信じるわけだが、その夢は後半には夢と潰える。
職を追われ、恋人も失い、アイデンティは崩壊する。全てを喪って、然し、Kはたった一組の親子の為に、命を賭す。
彼には信仰がない。そして、魂もない、と上司のジョシから言われるが(レプリカントには魂がないという人間の傲慢)、然し、彼はある種、神の子供とも呼べる自己の投影を救ったわけで、これはレプリカントにとっては、まさに偉業に等しい行為で、聖人に値する。
例えば、レプリカントが今後人権を獲得した時、彼は非常に重要な人物として語られそうだ。

前作の冒頭の瞳は、ロイ・バッティのもので、『地球に降り立った彼が見たLAの夜景』という説もあれば、私が好きな説は、『彼が見たと最期に語る、オリオン座の横で燃える攻撃型宇宙船やタンホイザーゲートの横のオーロラ』をLAの夜景に重ねて見せる、というもので、それは見事な照応になっている。
2049の冒頭の瞳は、Kとアナの瞳を合成しているのだという。      この、両性具有の神の目は、Kとアナ、合わせ鏡の二人が視た夢の始まりを告げているように見える

魂とは何か。それは自己で何かを決定することではなく、自己の死を自覚できることそのものを指すのではないだろうか。その時に、初めて魂は生きる。
自己を捨てる、というのは、自己を活かすことに他ならず、それは他者を活かすことに繋がるが、自己犠牲という意味で、私はKにマキシミリアノ・マリア・コルベ神父を重ねてしまう。

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コルベ神父は、アウシュビッツで、脱走した兵士の連帯責任で複数名が死ぬまで入れられる飢餓室(ハンガーカマー)に、その一人に選ばれた、妻子に会いたいと嘆き悲しむ男性の身代わりに入って死んだ聖人である。
入れば絶対に死んでしまう、飢餓室に入る。その恐怖は絶対的なものだろう。然し、彼は、妻帯もないことから、進んで身代わりになった。
そして、最後まで無原罪の聖母マリアへの祈りを捧げていたという。
コルベ神父は、長崎にも訪れていて、日本とも親交が深い。
彼は幼い頃、聖母マリアの出現の折、白(純潔)と赤色(殉教者)の冠二つのどちらが欲しいかと問われた時、どちらも欲しい、とそう答えたそうである。
Kは、作中で初体験を済ますので、純潔ではないが、赤い冠を被って死んだ。

物語は三十年近く会えなかった父娘の再開というささやかなシーンで幕を閉じるが、然し、そのたったそれだけのことには、冠を被った男の死が横にあって、Kは、死んで聖になった。それまでも、彼は人間だったが、一人の聖人になった。
コルベ神父が身代わりとなった男性も、再び妻子と再会し、94歳まで生きた。どれほどの喜びが、彼らにあったことだろうか。

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