シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| ネタバレ感想!!!

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||のネタバレ感想です。

まだ見ていない方は見ないの推奨です。そもそも見ていないとなんの事か分からないとも思いますので、読んでしまっても構わないという発想もないではありません。

以下改行後に始めます。

注 私はガチファンでもなんでもないので設定とかよく分かってないのに書いてます。あくまで「私がこう理解した。受け取った」というものになります。













はい。開始します。

まず初めに、私は映画とか映像作品大好きで子供の頃から見ていましたが映像技術的な分野や表現についてはズブの素人で本当にわかりません。

話の構造や勝手に受け取った製作者の主張をメインに話します。

先にいいますと、映像すごく良かったです。綺麗ですし、キャラは可愛いし作り込みもいい。特撮好きだと言う部分も出ていたと思います(まだ1回しか見ていませんので次はこういうところを注視したいところです)

映像以外の率直な感想として

1、作品自体のストーリーを見るとあんまり面白くないかな?(個人的には好きですが)

2、メタ視点で見るとすごくおもしろい。意義がある作品でした!

(こっちが本題になります!肯定的な意見が見たい人はこちらだけ見てください!!!)

私はメタ視点で話を見がちでこれは一重に自分中心に世界を見ているせいかなと。気持ち悪がられるかもしれませんが、私は自分を主人公に投影して作品を見たりします。その上で「私にとってこの作品はどんな作品なんだろう?どんなメッセージを受け取るだろう?」と考えて見ていますので、おそらく一般的なオタクの人の見方では無いでしょう。

なので、主に上記の2が多くなりますが、とりあえず1から

エヴァンゲリオンというシリーズを通して今作を見ると、正直唐突です。シンジくんが立ち直るのに、田舎の村みたいな所に行きます。言ってしまえばありがちな、感じです。今までなら上手く行かないんですが、ここは新劇のシンジくん。なんと立ち直ります、目の前で綾波シリーズがLCLになっても強く生きます。ここでいじけません。すごいです。

そしてやたらと登場人物が「説名台詞」言います。やばいです。冷めます。

そしていままでではありえないご都合主義的ハッピーエンド(私は好きですがあくまで、今までの文脈や展開的に唐突という意味です)。

今までは対話を拒み和解の道など無かった父親と対話し、父親の目的を聞き出して父親を救済します。信じられません。

ようやくシンジくんがエヴァで戦い始めたと思ったらボコボコで書割の世界で戦ってとかで訳がわかりません。

そして俺のアスカがケンケンの女になってました。ショックです!!!

これで1は終わりです。

本題の2のメタ視点で見た時ですが、これはもう最高ですね。

先ず、シンジくん=庵野監督と1部で言われていること、シンジくん=視聴者というような感じで進めます。

さて、1のストーリー批判の部分で上げたシンジくんの立ち直りと強くなっていることですが、メタ的に見れば監督の価値観の変化から新劇はシンジくんが前向きになっていること、ストーリー展開上そうせざるを得ないことがわかります。ここでいじけさせても、人類補完計画が始まりそう=終盤となった展開では、また旧劇のような結末にせざるを得ません。そうなってしまってはなんの為のリブートかわかりませんよね。

序盤の展開はどこかターンAガンダムを思い出させ、60歳になった庵野監督の心境が当時の富野監督のように穏やかになっているのではないかと想像させます。

20世紀末に作られた新世紀エヴァンゲリオンが21世紀を迎え作り直されたんだと実感した瞬間でもあります。

当時の人が感じていた終末や閉塞感は明確には訪れず、人は意外にしぶとく、力強く思ったよりは豊かに生きているのでしょう。そうなってしまえば、ああいう風な人の力や可能性を信じるような描写が増えても違和感がありません。

ある意味で、これらの描写が老人から提示されるということは今の世代が過去の人から認められた(あるいは過去の人が自分の業績、行動を認めているということかも知れませんが)

このように前向きになった監督によって主人公が前向きになって行くようになったと思うと感慨深いです。シンジくんは20世紀末の終末思想を乗り越え、21世紀の未来を願う主人公になったわけです。

さて、その後はヴンダー対NERVの戦闘になって行くわけですが、ここで行われる登場人物の描写についてですが、皆大人になっています。

私の印象ではエヴァンゲリオンの大人たちは皆「子供」でした、自分が1番大事で子供たちを道具にし、導くこともなかったように思います。

それがどうでしょう、自分勝手だと思っていたミサトさんは子供を作り、未来の為に加持さんは犠牲となり、ミサトさんも子供とシンジくんに責任を持とうとしています!!作中で14年経っている設定ですが、シンジくんだけが成長していない=視聴者の認識も成長していないがキャラクター達はしっかりと成長していたんです!

ここに至り覚悟も決まったシンジくんも加えれば、もうエヴァという神話を畳む準備が完了しました。

成長したリツコさんはゲンドウを撃ちますし、シンジくんはゲンドウと対話し理解し受け入れる姿勢を見せます。ミサトさんも最後は司令としての仮面を外し、あの頃の姿に戻る=自分の姿を取り戻します。見た目は戻りましたが決して成長しなかったということではないと思います。司令としての姿からもとに戻ったからです。昔の姿になっても完全に同じではなく、腕には加持さんのバンダナを巻、復讐ではなく子供たちの未来を思う母になっていたからです。

そして父親と対峙し、暴力ではなく対話により父親を下し受け入れます。また、ここで父親がシンジくんのように(よりひどく)人間不信であったことがわかります。そんな中で、ユイだけが特別だった旨が語られます。もしかしたら破でレイを助けるシンジくんのようにゲンドウも……

さて、この後は各キャラクターの心にシンジくんが触れ元の世界に返して行きます。

もう言わずもがな、エヴァの必要ない世界=エヴァという作品が終わった世界にみんなを送り出します。もうここは視聴者が各キャラクターとのお別れをしているようにも見えます。レイは家族のような存在であることが、提示されますし、アスカはケンケンに心を救われていた事がわかります。ヒロインたちと我々はここでお別れをします。

そして理想の自分とも言われていたカヲルくんともふれあい「今までありがとう。もう次の生き方をしてもいいんだ」的な感じになります。エヴァという世界を回していた監督自身を許すようにも思えます。

最後には新キャラであるマリに迎えに来てもらいシンジくんも新しい世界に行き、新しい生活新しい姿となり

エヴァの必要ない世界を生きていく、と。

メタ的に見れば完全に「エヴァンゲリオンの卒業式」「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」です。(特にレイとのシーンでは明確にTVシリーズを暗示し終わらせる旨を述べています)

これは長年縛られていたエヴァの呪縛から監督を、そして視聴者を解き放つ映画であったと思います。

だからこそシンジくんは大きく成長しましたし、各キャラクターも大きく成長し、世界も復興するというハッピーエンドを迎えたのだと思います。我々の作る未来は終末ではないですし、エヴァも必要ないからです。

これから我々はエヴァ後の世界を生きることになります。ガンダムではなし得なかった偉業だと思います。本当にエヴァに決着をつけたからです。

本当に特別な体験をしました、確実にひとつの歴史の終わりを目撃しました。

学校の卒業式なんて何とも思わなかったですが、この映画では本当に感動しました。素晴らしい映画体験でした。

卒業式シーズンの公開にも意味があったように思えてしまいます。

エヴァの終わった世界(新世紀)で次の庵野監督作品、特にシンウルトラマンを楽しみにしています。

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