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【徒然草 現代語訳】第百三十九段

神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

家にありたき木は、松、櫻。松は五葉もよし。花はひとへなるよし。八重櫻は奈良の都にのみありけるを、この頃ぞ、世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の櫻、皆ひとへにてこそあれ。八重櫻はことやうの物なり。いとこちたくねぢけたり。植ゑずともありなむ。遅ざくら、またすさまじ。蟲のつきたるもむつかし。梅は白き、うす紅梅。ひとへなるがとく咲きたるも、かさなりたる紅梅のにほひめでたきも、みなをかし。おそき梅は、櫻に咲きあひて、覺えおとり、けおされて、枝にしぼみつきたる、心うし。ひとへなるがまづさきて散りたるは、心とく、をかしとて、京獄入道中納言は、なほひとへ梅をなむ軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南むきに、今も二本侍るめり。柳、またをかし。卯月ばかりのわかかへで、すべて萬の花紅葉にもまさりてめでたきものなり。たちばな、かちら、いづれも木は物ふり、大きなる、よし。

草は、山吹、藤、杜若、なでしこ。池には蓮。秋の草は、荻、すすき、きちかう、萩、女郎花、ふじばかま、しをに、われもかう、かるかや、りんだう、菊、黄菊も。つた、くず、朝顔、いづれもいと高からず、ささやかなる墻に、しげからぬ、よし。この外の世にまれなる物、唐めきたる名の聞きにくく、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。

おほかた、なにもめづらしくありがたき物は、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうのものなくてありなむ。

翻訳

庭にあったらいい木とくれば、まず松、桜。松は五葉松もよい。桜は一重に限る。八重桜は、かつては奈良の都だけにあったものが、昨今はあちこちで見掛けるようになりました。もっとも吉野の桜も左近の桜もどちらも一重。要するに八重桜は変ちくりんなものというわけだ。姿もえらくねじまがっている。植えんでもよろし。遅桜がまた間抜けててつまらん。咲くのが遅いばかりか毛虫がびっしりついていてゾッとする。梅に関しては、白もよし薄紅もよし。早咲きの一重も、重なりあって咲いた紅梅がえもいわれぬ芳香を放つのも、惚れ惚れする。ただ、遅咲きの梅は、桜の時期と重なって見劣りするばかりか、桜の勢いに圧されて枝に未練がましくひっついているのがいじましい。一重の梅が真っ先に咲いてさっさと散るのはいっそ潔く好感が持てると云った京極入道中納言定家卿は、当然のように一重の梅を軒の近くに植えられた。京極のお屋敷の南面には、今も二本ございます。柳がまたいいんだなぁ。他、四月の若々しい楓も、あらゆる花、紅葉に勝っている気がする、捨てがたい。橘、桂の両木は、年古りた巨木が好ましい。

草なら、山吹、藤、杜若、撫子あたり。池には蓮がなくては。秋になれば、荻、薄、桔梗、萩、女郎花、藤袴、紫苑、吾亦紅、刈萱、龍胆、菊、菊なら黄菊も。蔦、葛、朝顔の類いは、低めの小ぢんまりした垣根にぽつぽつとあるくらいがよい。これら以外の、珍しい花で、唐風の一回聞いたくらいでは覚えられないような名前のめったに見掛けない花なぞには関心が持てない。

往々にして珍奇で入手困難なものは、無教養な俗物がありがたがると相場が決まっている。そんなもの、ないに越したことはない。

註釈

○京極入道中納言
藤原定家。


これまでこの手の「枕草子」の向こうを張った段をいくつか物してきて、いずれも消化不良だったのが、ここにきて掴みましたね!
褒めちぎるのは無邪気じゃないと出来ません。腐しまくるなら、邪気全開にすればいいんですから。

追記

私はわりかし絶賛するの好きです。

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