「20代は本当にしんどかった」野原遥が本当に好きなことを見つけるまでの10年間
美容系クリエイターのプロデュースやキャスティング、企業のSNSやYouTubeのマーケティング支援などを手掛けるbuggy株式会社。
公式noteでは、代表を務める関根(@mu41208)と、buggyに関わるさまざまなクリエイターが対談する企画を実施しています。
今回のゲストは、「“持続可能な健康美”を伝えていく」をテーマに、MIA認定ウォーキング講師として姿勢や立ち居振る舞いのレッスンなどを行なう野原遥(のはる)。
ミス・ユニバースジャパンへの出場や『バチェラー・ジャパン シーズン3』参加の過去を持ち、現在はレッスン業の他に有機栽培農業に携わり、野菜の販売やSNSを中心としたクリエイター活動など、マルチに活躍しています。
今回の取材を通して、野原がこれまでほとんど発信してこなかった過去が明らかに。「本当にしんどかった」と語る20代から一歩踏み出せた30代の間に、何があったのでしょうか。
美しい立ち居振る舞いを身につけた“きれいな人”を増やしたい
関根:まずは、のはるが今どんなことをやっているのかを改めて教えてもらおうかな。
野原:今は主に3つの事業を行なっています。1つは野菜を通じて食の大切さを伝えるために、実家の農業に携わりながら、ECサイトでのお野菜の販売やマルシェ開催などです。
関根:マルシェは俺も奥さんと行ったよね。
野原:その節はありがとうございました(笑)。
2つ目は、メイン事業となるウォーキングや姿勢・立ち居振る舞いの講師。花嫁さんや一般の方を対象としたレッスンを開催しています。
結婚式では普段着慣れていないドレスを着るのに、リハーサルが1回あるくらいで、歩く練習が一切ないんですよね。私が昨年結婚式を挙げたときに、花嫁の立ち居振る舞いや、ドレスを着たときの姿勢・歩き方について学べる機会を作らねば!と思ったのがきっかけで、始めた事業です。
関根:レッスンは男女問わず受けられるの?
野原:はい!現状は女性のほうが多いのですが、今後は新郎新婦ペアでのレッスンも行なっていくつもりです。
3つ目の事業はInstagramやYouTube、TikTokを活用したクリエイター活動です。「持続可能な健康美を伝えていく」をテーマに、美しいウォーキングや立ち居振る舞いについて発信しています。
関根:今はいろんなクリエイターがいる時代だけど、立ち振る舞いをシリーズ化して発信している人は少ないよね。
野原:よくマナーと混同されがちなのですが、私が発信しているのはマナーではなく、「どうしたらきれいに見えるか」なんです。美しい立ち居振る舞いは、同じ空間にいる人に気持ちよく過ごしていただくための、一種のおもてなしだと思っています。もちろん礼儀は必要ですし、マナーと重なっている部分も多いですけど、ニュアンスとしてはちょっと違うんです。
関根:「美しい立ち居振る舞い」って、マナー以外の適切なワードが見つかっていないよね。それを広めていくことが、今ののはるのミッションでもあるのかも。
野原:私は「キレイな人を増やしたい」とずっと言っていて。人間誰しもがきれいになる力を持っているのに、「キレイになる=パーツを変える」などの発想になり、美容クリニックに通ったりする方を優先させる方が多いのではないでしょうか?クリニックなどに頼る前段階として、姿勢や立ち居振る舞いという土台を整えてほしいなと思っています。
最初は学ぶ時間やお金がかかるけど、徹底して身につければ、一生自分のものになるんですよ。
関根:「立ち居振る舞いを学ぶことで、ちょっとずつでも意識を変えて自分のものにしてほしい」ってよく言ってるよね。
心技体がバランス良く成り立ったとき、本当の美しさを手に入れることができる
関根:そもそも、のはるが美容に関心を持ったきっかけは何だったの?
野原:私は物心ついたときから「人をキレイにすることがしたい」と言ってたらしくて。自分自身も美しく見られたいという思いがあって、小学生の頃からメイクをして学校に行っては怒られていました(笑)。
先日帰省したときに、祖母から「あなたは小さい頃から人をキレイにすることがしたいって言っていたし、子供たちがたくさん集まってお着物を着たときにも、遥だけは一切着崩さなかったんだよ」と言われて。今思えば当時から、”美しく見られたい”という欲が強かったのかも(笑)。
関根:美容を通じて一番伝えたい部分は何?
野原:美しさは全員が持っているということですね。でも多くの方は綺麗の勘違いをしていて、「私は目が小さい、スタイルが悪い、顔が大きい」など、パーツについて言いがちです。
「心」が優しく強く健康であること、ウォーキング方法や立ち居振る舞いの「技」術があること、食べたもので人の「体」が作られること。この3点がバランス良く成り立ったとき、本当の美しさを手に入れることができると私は思っています。
だから私が発信していることは、「少しの意識があれば本当に誰でも簡単にできる」ことなんです。
「本当にしんどかった」20代から、一歩踏み出した30代へ
関根:独立するまではどんな経歴だったの?
野原:18歳の頃に茨城県から上京して美容系専門学校に通った後、当時憧れていたアパレル店員をやりながらフラフラと遊んでいる時期がありました。そんな生活を送っていた22歳の頃に、思いもよらない不慮の事故に遭ってしまいます。
意識が戻ったときには病院のベッドの上。全身骨折で、約2ヶ月ほど寝たきり状態が続きました。これまで当たり前のように行なっていた、起き上がる、立つ、歩くという動作が全くできなくなったこのとき、壮絶なリハビリを経て、初めて骨・筋肉・身体の使い方の大切さを痛感したんです。
関根:退院後はどんな生活を?
野原:退院後の半年くらいは療養のために実家の農業を手伝っていたんですけど、東京に戻ることはなく、その後大阪に行くことになります。
大阪では学歴も経験もない状態で化粧品会社に採用してもらったので、まずは3年間絶対頑張ろうと思っていた中で、入社半年後に今度は和歌山県に行くことに。片道2時間、往復4時間という通勤期間を2年半続けていましたね(笑)。
関根:行動力がすごいね。和歌山にいたときに、ミス・ユニバースにも挑戦したんだよね?
野原:そうです。数年前の大きな事故で命を落とさなかった私は、これはきっと生かされた命なんだと思っていました。そんなときに、たまたまFacebookでミス・ユニバース和歌山県大会の広告を見つけて。
世界中でチャリティやボランティア活動をしているということを知り、私にも何か貢献できることがあるのではないかと思って応募したんです。そうして和歌山県大会で優勝し、日本大会へ出場することになりました。
その後は、化粧品会社での勤務が3年に達したので退職し、再び上京。東京で転職活動をしました。
野原:東京では広告制作会社・広告代理店のPRの職に就いていて、その期間中に『バチェラー・ジャパン シーズン3』へ応募することになったんです。
関根:すごい人生だよね(笑)。バチェラーはどんな気持ちで応募したの?
野原:元々、恋愛リアリティ番組を見るタイプではなかったんです。自分が参加するなんて考えたこともなかったのですが、「一度きりの人生でこれも何かのタイミングかもしれない」と思って応募したら、参加が決まってしまったというわけです(笑)。
野原:バチェラーに参加した後はいろいろあって独立し、初めて実家の農業と向き合うきっかけが巡ってきます。その時に「私が実家の農業に携わることが、もしかしたら人のためになるかもしれない」と気がつき、まず野菜ソムリエの資格を取りました。
関根:常に何かしらに挑戦しているよね。ちなみに、俺も野菜ソムリエの学校に通ってたよ。
野原:そうなんですね(笑)!
20代の間はいろんなことにチャレンジしたけれど、結局自分のやりたいことや好きなことがわからなくなってしまったので、自分と向き合う時間を作ったんです。
ひたすら自分に向きあった結果、美しい人、モノ、動きなど、“キレイ”なものやことが好きということを思い出したんです。同時に「“美”に携わる仕事がしたい」と思い、ウォーキング講師のための養成スクールに通いました。
そして、何をするにしても今の時代には欠かせないSNSの運用に悩んでいたときに、関根さんを紹介していただいて、今に至ります。
関根:やっと今に辿り着いたね。だいぶ短縮して話してもらっているけど、それでもだいぶ濃密な人生だよね。
野原:20代の10年間は本当にしんどかったです。自分には価値がないと思ってたし、自信も全然なかったし。29歳で会社を辞めて、30歳で資格を取って、31歳でマルシェを開催したりレッスンを始めたりと、やっと最初の一歩を踏み出せました。
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今回は、のはること野原遥にいま行なっている事業やこれまでの経歴について語ってもらいました。
つらい経験やさまざまなチャレンジを経て、今の事業に辿り着いたことがわかります。
次回も、引き続き野原遥が登場。野原の考える「美しさ」についてや、発信に大事なことを聞きました。ぜひお楽しみに。
<撮影協力>
今回の撮影は渋谷駅より徒歩6分の所にあるたまごサンドとコーヒーが美味しいお店「Beans Garage Coffee」にご協力いただきました。
<ふたり広報:取材・多葉田愛/執筆・伊藤美咲/編集・えるも/写真・琴>
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