見出し画像

この生き方

成長か洗脳か諦念か逃避か進歩かはもうわからない。
多分どれもが歪に絡み合っている。
ただ、この生き方を受け入れたという実感だけが
ただただ、存在している。

中学や高校の思春期を共に乗り越えた友は、馴れ合いとも腐れ縁とも取れる鎖で繋がれており、あの頃より地続きな縁を結んでいる。

彼らとの関係は
地続き故に心地よく
地続き故に張り合いがない

まるで剪定の機会を逃した伸び切った木の枝のようで
いつかは折れて風に飛ばされることが判っていながらただただ無駄に引き延ばしている。

そんな関係では心が踊らない
この生き方を受け入れたのだから

ホンモノではない、これは馴れ合いだ。
しょっぱい、しゃばい、おもろくない。

覚悟も自責も成長も足りない。
物足りない。
酒に酔っていないと楽しくない。

この歳になってこうも尖ってしまった自分だから、もうおもろくなるより道はない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?