怪し雨

去年かそこら、飲み会かなにかの罰ゲームで小説を書くことになった折に書いてみたやつ。色々言い訳はあるけど、あとがきで会いましょう。対戦よろしくお願いします。
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ぐぇっぐぇっぐぇっ。



貞享二年の春の終わり。

勘左衛門は、夕餉のさね飯を炊いているところであった。


勘左衛門は水呑百姓であった。

この時代、水呑百姓という地位は本百姓より一段低い身分に置かれ、貧乏は当然のこととされた。本百姓とは異なり、己の田畑を持たず、貧農であった。

死なないように、生きないようにと管理されている百姓の中にあって、殊更貧しい生活を送りながらも、勘左衛門はこの虫籠を憎み、一条の光明を探していた。


ある日の五ツ半頃。あたりも暗く、ぬるくなった頃。外でパシャパシャと水の跳ねる音を聴いた。

蛙だろうか。それにしては迫る。戸の隙間からそっと覗くと、何かが蹲っているような姿が見えた。

「何ぞ。狸か。」

ともあれ、これ以上あるじに扶持を削られては敵わぬと、様子を見にいったところ、帯刀した黒装束のものが倒れていた。

「そ、そこもとは誰か。」

「黒川様の水呑でございます。」

黒装束の者は話しぶりから、武家であることが窺えた。道中にて目を過っているらしく、目の前の人物が武家かそうでないかがわからないようだった。

「拙いことよ。こは天下三作が一振りである義弘と、その番いとなる脇差である。こ、これを拙者に代わり、尾張中村に届けよ。水呑風情とはいえ、暮らしぶりが変わる褒美くらいは貰えるであろう。」

勘左衛門は刀には明るくなかったが、黒装束の手にあるものが貴い名刀であることはすぐにわかった。同時に、視界が揺れるかの如く、天とは言わずしも、籾殻の上に筵を敷いて寝屋とする生活から脱出できるかのような期待が頭をよぎった。わざわざ届ける理由はなかった。逡巡の末、勘左衛門は黒装束の腰の刀を抜いた。


ぐぇっぐぇっぐぇっ。名月に蛙が鳴いていた。


勘左衛門は帯刀を許される身分となった。

黒川の奉行所に名刀義弘の番いである脇差を、黒川が懇意にしていた豪商を介して届け出た折、褒美として引き立てられ、屋敷を与えられたのだった。本差は届出ぬままであった。

水呑百姓から、時の将軍、徳川綱吉の家中のような武家に引き立てられる者は希少であった。

「失礼。勘左衛門殿。」

「佐吉殿。如何致した。」

「夕餉の準備ができました。」

佐吉は勘左衛門に黒川家で見習い奉公をしていた若い武士であった。黒川によって勘左衛門にあてがわれたのだった。この武士は、武家にも拘らず、一視同仁で穏やかな人となりであった。

勘左衛門は、百姓からは一段上の身分なれど、武家からすると百姓上がりと見られ、どちらからも疎ましがられていた。しかし、勘左衛門はこの身分にありつけたことに感謝こそすれど、どちらの妬みや悪言にも取り合わなかった。むしろこの一つ跳びの登用に、己の才覚を撫で回すような、優越感を覚えていた。武家よりも質素な、しかし本百姓よりも裕福な膳や畳、使用人をはじめとした己の財産を見るたびに、村の隣家や同郷が浮かんでは、はかなく消えていった。暖かい、貞享二年の冬であった。




貞享三年の春。六ツ半。

「おおさむさむ。」


佐吉は、早朝から朝餉の支度をし、勘左衛門に普段通り朝餉の知らせを伝えにいった。

「失礼。勘左衛門殿。」

「佐吉殿。おはやう。」

この日は、勘左衛門が城に行く日だった。佐吉は普段通り勘左衛門に朝餉を知らせた後、勘左衛門が城に赴くための準備を行う手筈であった。

勘左衛門はこれまで百姓であったため、城下に行くための袴羽織を持っていなかった。

「御用意いたします故、失礼。」


佐吉は急拵えで袴羽織を準備しており、そのために、竿縁天井の間までとりに向かった。戸を引き、女中が立てかけた羽織を丁寧に取った。

その折り、佐吉は羽織の奥に、長細い桐箱があることに気がついた。勘左衛門のささやかな屋敷に似合わぬ桐箱に魔が差した佐吉は、箱に手をつけた。

「この金象嵌は、まさか。」

蛙が鳴く。

緊張か不安か、圧迫感で胸がひしげそうになるところを宥め、箱を戻し、平静を装いながらも勘左衛門の元に戻った。箱の中身は刀であった。勘左衛門の支度を済ませ、登城への行く足を見送った後、刀を改めたところ、地鉄の詰まりと刃文の豪壮さから、名刀・郷義弘が一振りであることが明らかであった。

郷義弘は、在銘の刀をついぞ一振りも作らなかったため、押し並べての刀が無銘であるが、そのどれもが戦国武将の愛刀となり、武将の名が愛称となったという。その中でも、かの太閤の側近である、富田一白が所持していた『富田郷』であった。この天下第一の郷ともされた一振りは、秀吉の死後、前田利常が拝領した後、行方知れずとなっていた物である。

佐吉は伝説上の名刀を目の当たりにした高揚と、己の主人への怪しとで鼓動が大きくなるのを覚えた。




貞享三年の夏。


勘左衛門と佐吉は、徳右衛門の屋敷に呼ばれていた。宝刀の脇差を時の将軍、徳川綱吉に提供したことが評価され、禄が増えたことを祝う宴を催すとのことだった。

「よくぞ参られた。ゆるりと過ごされよ。」


家人の出入りが少ないのが気にかかったが、宴の準備に忙しいのだろうか。勘左衛門は白洲に隣り合った客間で茶を飲みながら案内を待った。


「勘左衛門様、佐吉様。こちらへ。」

夕間暮れの頃、女中に呼ばれるままに向かう先は玄関だった。下駄を履き、案内の行先に向かうは、客間の隣り合った白洲であった。


蝉の鳴く白洲。伏せた目に白石に反射した陽の光が刺さる。


「ご苦労。座敷を片すのは手間でな」

盛夏にも関わらず、頬を冷や汗が伝った。


「このような慶ばしき折に折にお呼び仕り、恐悦至極にございまする。」

勘左衛門は嘯いた。嘯かざるを得ない状況であった。宴と呼ぶにはあまりに重苦しい空気であった。


「此度の御慶事はそちら家臣らの働きのお陰である。面を上げよ。」

「是を見よ。御殿より賜りし宝物である。」

眼前には、勘左衛門が屋敷にて隠し持っていた宝刀が掲げられていた。周囲の空気が一層重量を持ち、咄嗟に目を伏せた。


「面を上げい。何ぞ疑わしきことあるか。」

「滅相もございません。喜ばしきことこの上なく。」


「さて、この御宝刀、先ほど賜ったと申し上げたが、その実、ある場所より出たものである。」

「ある場所、と申しますと」

「そなたの屋敷である。如何にしてこのような宝刀を手にしたかは皆目見当もつかぬが...」

「恐れながら、存じ上げず」


「ある夜、御宝刀を御殿から持ち出した狼藉者が、城下の村で消えたという。そこで宝刀は何処ぞの百姓にでも盗まれたと思っておったが、それがそなたの屋敷から見つかるとは怪しこともあるものよな。」

「恐れながら...」


「よい。処分はもう既に決定しておる。腹は切れぬと覚えよ。そこに直れ。」

勘左衛門は春の夜を思い出していた。この時代において、食糧と年貢に窮困する虫籠のような生活から抜け出られる気がした夜。人を殺め奪った富の象徴。村の人間。故郷。なにを思い出しても虚しいことだと思った。暖かい冬はとうに終わり、身動きの取れない暑さだけが、寄り添っていた。蛙が鳴く。首筋に冷たい線が通った気がした。


勘左衛門は百姓として処分された。佐吉はなにを思っただろうか。首から吹き出す血飛沫が、雨のように降り止まなかった。蛙だけが、ただ鳴いていた。



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どうでしたでしょうか。
正直今見返すと読みづらさや話し方の統一感の無さが目立って苦しい気持ち半分、なんやかんやありつつ一本書いた当時の自分偉いな!感ありつつで複雑な気持ちです。

最初は現代小説を書こうとしたんだけど、ブレインストーミングの結果、なぜか時代物になっていったのは不思議でした。
日本史の偏差値がぎり一桁台くらいの高校生活を送っていたため、人の呼び方など、当時の慣習などわからなかったので、日本史専攻の友達にちょっと考証をお願いしてみたりしたのは"やってる感"があって楽しかったです(その人の尊厳の為に言うと、全く専門じゃないのでよくわからないけどやってみるとのことでした)。
見返せばこんな短い文章なのに、書いてるときは全然まとまらなかったりとか文脈がわかんなくなったりとかたくさんあって、小説家とかSS作家とか物語書いてる人全般マジですごいなって改めて思いました。

色々大変だったけど、拙いながら毎日小説のこと考えたりと、いい経験だった。読んでくれてありがとうございました。

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