「楽しくする方法」の説明がクッソつまらん件との向き合い方~自己言及のパラドックス、あるいはいかにして我々は説得力を見出すのか~

成果を発表したり、提案したり、指導したり。人に何かを見せ、伝える際に気をつけねばならないと思っていることがあります。

その話をする前に、過去体験した、こんな経験についてお話させてください。

大学でレポートの発表会を控えており、教授がプレゼンの仕方を教えてくれるという授業を行っていました。
今でも忘れない、その授業での一幕です。
「いいですかみなさん。どんなにすばらしい発表でも、スライドに誤字があるだけで信頼性を失います。」
「誤字がある、ということは、まったく見直していないということです。そんな発表は、聞く価値がないと判断されてしまいます。一度でいいので、スライドを見直して誤字をなくしましょう。」
教室からは、クスクスと笑い声が漏れてきました。
教授の発表スライドに、誤字があったからです。

じゃあこの教授の授業、聞く価値ないんかーーーい!!

自己言及のパラドックスに陥ってしまうモノたち

このような経験はほかにもあります。みなさんも、以下のような経験をしたことはないでしょうか。

・「カッコいいデザインにする方法」の発表スライドがクソダサい。
・「わかりやすいライティングの書き方」の説明がわかりにくい。
・「ユーザーのためになる体験設計」の発表がめちゃくちゃ見にくいうえにわかりにくくて、ユーザー体験として最悪。
・「読みやすいフォント」の説明資料のフォントが読みにくい。
・「資料のまとめ方」の資料が全然まとまってない。
・「時間管理の仕方」の発表が時間オーバーしてしまう。
・「発表内容を楽しくして、退屈せずに聞いてもらう方法」という発表が単調でクッソつまらん。

これではまるで、「クレタ人はいつもウソをつく、とクレタ人は言った。」という自己言及のパラドックスを引き起こしているかのようです。

どうしても「お前が言うな!」と思っちゃう

自己言及のパラドックスの解消方法の一つに、「この文章は例外である、とする」というものがあります。

「クレタ人はいつもウソをつく、とクレタ人は言った。(ただし、この文章は例外である)」とする、ということです。
クレタ人が言った「クレタ人はいつもウソをつく」という命題は真となります。真であることをクレタ人が言ったので、「いつもウソをつく」ことが偽になりそうですが、命題は例外なので、矛盾は起きません。

これを先ほどの例にあてはめると、
・「カッコいいデザインにする方法(このスライドはカッコ悪いままです)」
・「わかりやすいライティングの書き方(この資料はわかりにくいままです)」
・「ユーザーのためになる体験設計(この発表はユーザーのことを無視しています)」
といったところでしょうか。

……いや、ちゃんと適応してよ! なんでだよ!! なんでこの発表は例外にしちゃうんだよ!!!!

例えば「命は尊いものだ」という真実があったとき、それを博愛精神にあふれる聖人が言ったとしても、残虐非道な連続殺人犯が言ったとしても、真実は真実です。
ですが聞く側からすると、連続殺人犯が「命は尊いものだ」と言ったって、「そうだな。真実だな。」とは思いません。
「いや、お前が言うなよ!!!」という感情が上回ってしまいます。

つまり、クッソわかりにくい構成の記事に「伝わりやすいライティングって、こうだよ」って書いてあったとき、たとえそれが真実だったとしても、「いや、お前が言うなよ!!!」ってなっちゃう。ということですね。

“この瞬間”の体験で説得力を与える

自分の発表や提案の効果を、見ている人に体感してもらうために最適なのは、発表している瞬間、提案している瞬間、読んでもらっている瞬間、です。

“この瞬間”に「ああ、発表の通りだな!」と思ってもらえれば、大きな説得力を与えることができます。

逆にそれができていないと、命の尊さを説く連続殺人犯と同じように「お前が言うなよ!」と思われて、発表・提案の内容を受け入れてもらえなくなる可能性が高まります。

もしあなたが、何かの発表や提案を控えているとしたら。
その発表・提案を、「その発表・提案のスライドや資料にも実践できているか」を客観的にチェックしてみましょう。

相手の反応を見ながら、毎回改善する

発表や提案が、ちゃんと相手に届いているか。「お前が言うなよ!」と思われていないか。

まずは、相手の反応を見ながら進めてみましょう。
もし反応が良くないのなら、発表・提案の内容が正しいかどうかよりも前に、それを実践した発表・提案になっていたか、という点でも振り返ってみてください。

事後にアンケートを行うのも効果的です。

大事なのは、一方通行で終わらないこと。毎回、発表・提案を受けてくれた人の反応を見て、改善することです。
ただ発表し、提案し、相手のことを見ないのだとしたら、それではただのデカい独り言です。会場中に響き渡るデカい独り言をブツブツ言っている人がステージに立っているだけ。

デカい独り言まくし立てマンになるか、それとも有意義な知見を共有している素晴らしい指導者となるか。
分かれ目は「自分の発表・提案は、自分が発表・提案するスライドや資料や発表そのものにも適応すること」、そして「受け手を意識して毎回改善すること」、ではないでしょうか。

まとめ

・発表や提案の内容を、その発表や提案でも実践しよう。
・発表や提案している“この瞬間”で、その発表や提案の効果を体験してもらおう。

・受け手の反応に注意を払い、改善点はないか振り返ってみよう。

思うところがあり、自戒を込めて言語化してみました。

こうしようね、って言うことや書くことに比べて、実践は驚くほど難しいです。でも、「お前が言うな!」って感じた経験がかなりあって、そのたびにもったいないよなぁーって思っていました。

近頃ではだんだんと、自分を含めて、回りの友人・知人が人に教えたり、伝えたりする立場になることが増えてきました。
そんなときの、何かの参考になれば幸いです。

それでは、みなさんに良きクリエイターライフがあらんことを。

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