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「対象」というものは存在してない?!金森将「バタ足ノンデュアリティ」

「対象」というものは存在してない?!。金森将「バタ足ノンデュアリティ」

 「対象」というものは存在してないんです。全部あなたの中のことなんです。
 最初に話を戻しましょう。
 自分に怒りを向ける人が、そこに存在するんじゃないんです。全部あなたの中に映った映像であり、浮かび上がった感覚です。
 「対象」に目を向けるから、迷いの中に入っていっちゃうんです。
 「あんなこと言いやがって!」
 「おまえに言われたくねえよ!」
 なんて。
 そうじゃないんですよ。目を向ける場所が違うんです。自分の感覚だけを見るんです。だって、あなたの世界はそれだけでできているんですから。それがすべてなんですから。他に目を向ける場所なんて、実はどこにもなにはずなんです。

 「対象」はどこにもないんです。「向こう」はないんです。ぜーんぶあなたの中。こっちだけ、こっちだけ。どこまで行ってもこっちだけなんです。

本書より

唯識の教えをわかりやすく書いた箇所。

仏教には唯識の教えがあると、昔も書いたよね。

唯識の教えって何だっけ?

認識=世界って教えだよ。

認識=世界?

この世界は、バーチャル・リアリティー。

ボクらは、六処、つまり、「五感+意」によって、認識しているわけだよね。

まあ、そうだね。

でもさ、六処で感じた世界は、バーチャル・リアリティーでしかない。

バーチャル・リアリティー??

だって、僕らの六処というセンサーで、感じ取ってるだけじゃん。本当に外にそんな世界があるのかってこと。

うーん、外に世界があるとしか考えられないけれどなぁ・・・。

自分の中に世界がある。

考えてみてよ。自分のセンサーによって、世界を感じてるとすれば、自分の中に世界があるとしか考えられないでしょ。

うーん、まあ、理屈は理屈だけどさー。

実は、これが実感できたとき、ノンデュアリティ(非二元)に近づくんだ。

自分の中と外とか言ってる時点で、二元だから、ノンデュアリティじゃないじゃん。

自分の中に世界があるということは、自分と世界が一体化しているってこと。

自分の中とか外とか言ってるのは、実は方便なんだ。

方便なのか?!

だって、自分の中に世界があるということは、自分と世界が一体化しているってことじゃん。

それはそうだけど。

実は、外はないんだよ。だから、中とか外とか言っていても、中だけだから、ノンデュアリティには変わりはないわけさ。

本当だ!!

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