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中小企業と生産性の関係について考える

菅政権は2020年10月9日の閣議決定で未来投資会議を廃止し、代わりに成長戦略会議を復活させました。成長戦略会議の議員にアトキンソン氏という外人が選ばれたことが話題になっているようです。報道によればこの方は菅総理のブレーンであるらしく中小企業を減らせば日本全体の生産性が上がるという持論をお持ちだそうです。

大企業と中小企業は平均的にみれば生産性に格差があり大企業の方が生産性が高いのは明らかな事実です。だからといって中小企業を減らせば平均の生産性が上がるというのはずいぶん乱暴な議論ではないでしょうか。

経済は企業だけで成り立っているわけではなく就業者という存在があります。企業といっても実体は人の集まりであり人を無視して企業だけが孤立して存在するはずはありません。日本では中小企業で働いている人の総数は大企業で働いている人のおよそ2倍になります。中小企業が減ったらこの人達はどうなるのでしょう。中小企業を無理やり合併させたら大企業になって雇用も守られるというのでしょうか。仮に合併させられた企業の生産性が上がるならその分人を減らしたりしないのでしょうか。

仮定の話として大企業が1社100人で月1億円の売り上げがあったとし、中小企業が1社10人で月500万円の売り上げがあったとします。単純化のために売り上げ=付加価値として会社の生産性は大企業は100万円/人・月で中小企業は50万円/人・月です。大企業1社に対して中小企業は10社あるとします。この場合、平均生産性は75万円/人・月になります。ここで中小企業10社が合併したとします。この場合、既存の大企業と同じまで生産性を上げるには売上総額を倍増するか、従業員を半分クビにするかという話になるのです。しかし企業が合併するだけで国内の総需要が増えるということがあるでしょうか。合併しても需要が増えないなら従業員はクビになるしかないでしょう。以上はおもちゃレベルの単純化した議論で現実の経済を分析したわけではないですがこんなプリミティブな議論でもアトキンソン氏の持論はマクロ経済を無視した新自由主義的発想であることが十分お分かりいただけたと思います。

そもそもなぜ日本は中小企業が多いのでしょうか。アトキンソン氏のような新自由主義的発想の人から見ると本来は存在できないはずの非効率な中小企業が政府の保護によって存続しているのだといいます。しかし政府がどれほど中小企業を保護しているというのでしょうか。確かに法人税率などは大企業より中小企業の方が多少低くなっていますが中小企業はもともと赤字法人が多く税率が低いからつぶれないというのは日本企業の実態と合わないような気がします。金利が低いという人もいますが低金利なのは中小企業に限った話でもなく現在の中小企業が大企業に比べて格安の金利で銀行からお金を借りているというわけでもないでしょう。あるいは銀行から融資を受けられないような会社が公的債務保証制度で救われているという話もあるかも知れません。しかしそんなことを言ってどんどん会社を潰したら失業者が増えるだけなのではないでしょうか。

中小企業の数が多いことは日本の平均的な生産性が低いことと外国との比較で相関性があるのかもしれません。統計的に分析したらそういう相関性はあるように見えるのでしょう。しかし相関性が因果性を示すとは限らないのは統計学の常識です。アトキンソン氏は中小企業が多いから平均生産性が低いという因果関係を仮説として唱えているだけで事実そうであるかは不明だというべきです。むしろ日本社会の生産性が低いから中小企業が多いのかもしれません。

日本において大企業と中小企業はどのような関係にあるでしょうか。日本においては中小企業が大企業の系列的な下請け関係にある場合が多いです。これは製造業や建設業や最近ではITゼネコンと呼ばれるような大手IT系企業にも見られます。また放送局と制作会社だとか最近話題になった電通と下請けのような関係などもあるでしょう。

日本でこのような関係が多くなるのは日本の大企業は日本型雇用慣行というものにより不況の際に雇用調整がやりにくいことと関係があるという見方があります。このような大企業では高度な専門性や技術を持ったキラリと光る中小企業に自分ではやろうとしてもできないような仕事をお願いしているというよりは同種の企業ならどこでもできそうな仕事を特定の下請け会社にやらせているのです。何でそういう関係を築いているのかというと不況の際に雇用調整ができない大企業としては業務を外注することによって普段から身軽にしておくとともに不況時には下請けを叩くことで利益を確保するのです。下請けにしわ寄せすることで不況の悪影響を吸収するのです。

このような下請け関係ではなく競争的な関係にある場合もあります。例えば食品会社などです。N社という日本国民の多くが知ってそうな冷凍食品の会社があるとします。これに対してN社と似たような冷凍食品を3割くらい安い価格で売っているT社という会社があるとします。こういう棲み分けが可能になる理由をまずは消費者の側から見てみましょう。冷凍食品というのは絶対額でいったらそれほど高いわけではありません。また一度に食べられる量には限界があるのでちょっといいものを買ったくらいで生活に困窮してしまうという家庭はさほど多くないでしょう。そうであれば子供の喜ぶ顔見たさに高い方を買うかもしれません。事実スーパーなどではN社のようないわゆるナショナルブランドの品物の方がT社のような安かろう悪かろう路線の品物より売上は良いようです。

次に会社の立場から棲み分けが可能な理由を考えてみましょう。食材費をケチっているのではという見方があるかもしれません。しかし冷凍食品のような製品で食材の原価が3割もあったらすごいです。食材をケチるだけで最終製品価格を3割安くするのは到底不可能です。ではT社はどうやって価格を抑えているのでしょう。それが可能なのは労働力を買い叩いているからなのです。

日本の大企業が取っている日本型雇用慣行では新規学卒が正社員に採用されると長期間会社に囲い込まれます。他方、新卒で大企業に入社できなかった人がその後の転職で大企業に正社員として中途採用してもらえる可能性はとても低いのです。このため日本の労働市場は新卒で大企業に採用された流動性の低い層とそうではない流動性の高い層に二重化されることになります。こうした労働市場の二重化はブラックな中小企業が労働力を買い叩くことができる格好の土壌を作り出しているのです。このような労働力の買い叩き構造は先に述べた大企業の系列下請け叩きの時にも発揮されます。

さらに製造業の中小企業にも採用されなかった層は、よりブラックな外食・サービス産業によってもっと買い叩かれることになります。いわゆる非正規化です。現在の日本の労働市場はまさに3重構造であり、「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く」といった状況です。

こうしてみると日本の中小企業の数が多く平均生産性が低いのは労働市場の構造によって労働力を買い叩かれ続ける人々がいるため賃金を抑え込むことが可能となり付加価値が低い製品・サービスを提供する中小企業でも大企業と棲み分けられるためなのです。しかもこのことによって物価も低く抑えられることから企業はさらに賃金を上げる必要を感じなくなるし最低賃金の引き上げもできにくくなるという副作用さえ生じます。

つまり中小企業が多いから平均生産性が低いのではなく、中小企業が賃金の抑え込みをやりやすい環境があるため結果として生産性が低くなり、中小企業の数も多くなっているという可能性があります。アトキンソン氏の持論とは因果性が逆転している可能性があるということです。

日本型雇用慣行に起因する大企業/中小企業、正規/非正規という構造化の枠組みを残したまま中小企業の合併を無理強いした場合でも企業の平均的な見かけの生産性は上がるかも知れません。しかし中小企業からもはじき出された人々はどこへ行けばいいのでしょうか。現在の状況では非正規どころかウーバーイーツのようなギグ・エコノミーしか行き場がなくなるかも知れません。それが「生産性の高い社会」の行きつく先なのであれば生産性が低くて結構なのではないでしょうか。

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