平成生まれのアナログ人間
携帯をはじめ、生まれたときからデジタル機器は生活の中にごく普通に存在していた。
現在、それらの分野は目まぐるしく発展し、日々新たな機能を搭載した何かしらのモノが登場している。
「平成生まれ」であれば、こういった世の中の動きに敏感で、易々と吸収していく・・わけではない。
そう、私は生粋の平成生まれのアナログ人間なのだ。
「スマホのメモよりペンと紙派」の私には、電子書籍だのキャッシュレスだの、これからの主流になるであろう(既になっている?!)デジタルの波に乗れるかが、かなーり不安である。
電子書籍は無料まんがくらいしか読んだことがない。論文の執筆や勉強で使うのは、もっぱら紙書籍オンリー。
というのも、私は何度も決まったページを行ったり来たりするため、そこに紙切れだのペンだのを挟んだままにして使うのがしっくりくる。
でも、電子書籍でもそういう仕様はあるんだろうな~・・・とも考える。
付箋機能とかあって、見出しなんか付けれて、画面でポンッと選択するとそこにヒョイッと飛ぶような。
だけどなんとなく、なんとな~~く、印を付けたところの前後をパラパラ~っと流し見するのは紙の方が見やすいんじゃないか・・などと思ってしまうのだ。
電子書籍でもさほど変わらないはずなのに。
同様に、最近ではキャッシュレスの動きが一気に加速し、日常にはナントカpayとかカントカpayとかが、ウヨウヨしている。
う~~ん・・
カードはまだ許容範囲内だ。
しかし、スマホを“ピッ”とか、時計を“ピッ”としてやるのはまだなんとなく気が引けてしまう。
そもそも、私のスマホは出先であまり出番がない。
変なところでケチを発揮する私は、自分の家や無料wi-fiがあるところ以外ではスマホを使わない。
それが何かはよく理解していないが、「モバイルデータ」なるものをなるべく使いたくないのだ。
でもまあ、これも学生のうちまでだなとも思っている。来春からは四六時中スマホで連絡がつくようにしておかなければ・・
話を戻して、なぜモバイル機器を使った支払いに抵抗があるかと言えば、形としてやり取り出来ないのが信用ならないからだ。
レジで端末をかざし“ピッ”とやり、店をあとにする。
電車のicカードであればチャージしてある分だけ使える、と思えるのだが、キャッシュレスはなぜかとてもドキドキしてしまう。これも口座にある分で払っているはずなのに、だ。
それに、財布から目に見える形でお金が減っていけば「節約しよう」や「買いすぎたかも」と思えるが、その節制が難しくなるのでは?とも考えてしまう。
しかし、キャッシュレスの方が、アプリなどで支払い内訳がすぐに把握できるだとか、何%か還元されるとか(でもこれは6月くらいまでだっけ?)、財布を持ち歩く必要がなくなるとか、色々と便利でお得なことも多いようだ。
結局は慣れと許容する気持ち。もう、これに尽きるのでは?
いつまでも「アナログ!アナログ!!」と意固地になっていてはどんどん時代に取り残される。
すると、光の速度で進化していく時代の波についていくのは到底不可能だ。
きっとこれはキャッシュレスとかだけでなく、他のことでも同様に使える考え方なのではないだろうか。
一つの価値観にのみ固執するのはナンセンス。
もっと寛容になろうよ、って。
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