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「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」から出版取次会社と団塊世代を見つめる

7月中旬現在でも絶賛公開中の作品。
この作品を観て、戦後昭和の社会の混沌から現代の日本を紐解くことができるかもしれない。
コロナショックによる3月末の緊急事態宣言の前、「伝説の討論」と呼ばれるこの映画を観に行ってきた。

三島由紀夫没後50周年だ。自衛隊で割腹自殺した有名な事件が1970年。
国粋主義(右翼)とみなされた三島と、共産主義から分かれたいわゆる新左翼の一派の構図と見られがちだ。
ネタバレになるが、怒号が飛び交うような討論会ではない。
東大全共闘の学生1000人対文豪三島一人で、三島は完全アウェー。そこに全共闘のメンバーが幾度も三島に意見をぶつけ、論破しようとするが、彼は意見をちゃんと噛み砕き、柔らかい調子で返していた。常に聴衆をなだめる様子で、会場の空気を少しでも笑いに変えようする余裕が垣間見えた。

ボクが勝ち負けをあえて言うなら、三島の圧勝だった。
なぜなら全共闘のメンバーは三島の意図をほとんど汲んでいるようではなかったからだ。

そもそもこの時代の「学生運動」とはなんぞや?

今では考えられないかもしれないが、昭和30年代〜40年代にかけて学生運動が盛んだった。
60年安保闘争、ベ平連、三里塚闘争、東大安田講堂事件など、当時の大学生を中心としたデモなどで吹き荒れる時代だった。
戦前の厳格な思想統制が戦後の民主化によって解かれ、経済成長とともに民衆の権利を声高に主張していた。
世界を見渡せばアメリカではベトナム反戦運動・公民権運動、フランスでは5月革命、中国では文化大革命などが起きていた。
それぞれ方向性は違うが、戦後生まれの世代が中心となっていた。導いていたのは主にインテリ学生だ。
世の中を良くしたい思いで権威や権力を疑い、立ち向かっていく。その主役は若者たちだ。大学当局や時の政権・警察権力に反抗する姿に共感する人も多かった。
実はボクも幼少の頃から影響を受けていた。たとえば70年代フォークソング。井上陽水・吉田拓郎・かぐや姫など、ドラマでは「俺たちシリーズ」など。彼らは皆、団塊世代の若者たちだった。世は青春を彩る讃歌で溢れていた。

実は団塊世代には愛憎半ばの思いがある。
10代〜20代にかけてボクは大きな権力に立ち向かう姿にシビレていた。
「反抗」という言葉はロック少年でもあったボクのキーワードだった。

会社は団塊世代企業で、全体が派閥で覆われていた

取次会社・大阪屋(現・楽天ブックスネットワーク)ではボクが入社した90年代初め頃、団塊世代が幅を利かせていた。
管理職で全共闘や全学連の幹部上がりの人たちも何名かいた。
学生運動の考えをそのまま労働組合を持ち込み、社内でも組合活動を盛んに行っていたらしい。
当時のボクは憧れていた。体制に牙をむくこの人たちに。
ボクが30歳代に入るとそのイメージは徐々に崩れていった。

大阪屋は石油ショックの後、70年代後半から経営が悪化していたという。完全に立ち直ったの80年代半ばだったらしい。
この時期に全学連・全共闘上がりの人たちが躍進し、派閥を結成していた。
80年代になるとその傾向は色濃く表れ、90年代には組合が二つに分裂するという状況になっていた。
会社ではそんな状況が97〜98年頃まで続いた。
片方の組合が解散し、会社上層部が急に次第に穏やかになっていった。
徐々に平和な雰囲気に変わっていったかのように感じた。
2000年代に入ると業務のPDCAが導入されたり、品質向上と業務改善、マナー向上の意識が会社でも浸透し、ある程度上品でまともな会社に変質していった。

それらを常に主導していたのは、団塊世代の人たち。
この空気は若い社員にも影響を与えていた。ボクたちの若手時代にネガティブな派閥意識を植えつけていたのは間違いない。
とにかくこの中でがむしゃらに突っ走るしかない、と思い続けた20代。

突如精神のバランスを崩し、神経症の日々が2年半ほど続いた学生時代。
社会人になって、ナイーブで傷つきやすかった自分を改造したくてたまらなかった。

‥‥今思えば、なんて幼稚だったんだろう。周囲ではなく、自分自身に。もっともっと大人の感覚を身につければよかった、って無理か。
「気合と根性」ばっかり考えているようでは、大人の視点など身につける余裕なんてどこにもなかったのかも。
まあ若気の至りとしかいいようがない。


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