人生を振り返ってみる(幼少期編)

今となっては自分がどこに住んで、なんの仕事をして、どんな生活がしたいのかわからなくなってしまった。

本当はこうしたかったけど、それができなさそうだからこうするしかないか…。みたいな、怠惰に楽になれる道を探している気がする。

でも本当はこうしたかった、という小さい頃に漠然と思い描いていたビジョンがあったはずだ。

今回はなぜ今自分が虚しさを感じているか考えてるために、幼少期から人生を振り返ってみようと思う。

俺だって小さい時から虚無だったわけではないのだ。

人に自分の人生を赤裸々に語るのは恥ずかしいが、試しに書き記してみる。

俺は地方の片田舎に生まれた。出身地がバレるのは嫌なので少しぼかすが人口が1万人以下の自治体だ。

都会に住んでいる人はもちろん、夜でも人が普通に歩いているような街に住んでいる人からしたら想像もつかない田舎だろう。

東京ではイオンがある場所が田舎認定されるらしいが、田舎ではイオンがある場所は栄えているのだ。

ちなみに家から最寄りのイオンまで車で1時間半くらいかかる(最寄りとは)

家族は5人。年の離れた兄と姉がいて三人兄弟の末っ子が俺だ。

俺はなぜか5歳の時に保育園に入園した。初めて保育園に行くのに年長だった。ちょっと意味がわからない。他に同じような人はいるのだろうか。

ちっちゃな時からマイノリティ…
マイノリティなので気まずかった。

気まずい、という感情を歳下の園児にも保育園の先生にも抱く必要はないのだが、すごく怖くて泣いていたのを覚えている。

4歳まではずっと家にいて暇があればゲームをしていた気がする。

あと隙あらば母親の乳を揉むにはどうしたらいいか画策していたのを覚えている。

兄と8つも歳が離れているので、おそらく同世代でプレイしている人は少ないであろうゲームをやっていた。

そのためか、この時点でイキリオタク(逆張りオタク)の才能が目覚めていたのかもしれない。

俺はお前らと違ってこんな難しいゲームでもできるんだ。そんな簡単なゲームもクリアできないのか?と、たぶん内心周りを見下していた。

3歳か4歳の時にトカゲを引き連れて、カントー地方とジョウト地方を巡ってジムバッジを8つずつ取り、四天王とチャンピオンはもちらん、シロガネ山のレッドにすら打ち勝っていた。

周りはゲームボーイアドバンスでゲームデビューを始める世代なのだが、俺はゲームボーイとスーパーファミコンという古のゲーム機をプレイしていたのだ。

しかし、そんなことは保育園では全然役に立たない。

年長さんなのに保育園での立ち回りが何もわからなくて怖かった。

なんでこいつら当然のようにレゴで遊んだり、絵を描いたり、給食を残さず食べてスムーズに歯磨きムーブができるんだ?と怖くなっていた。

確か、絵を描いて保育園に飾りましょう!みたいな企画があったのだが、まじで何をどのように描けばいいのかわからなかった。

周りは当然のように書き始める。なんならなんか楽しそうだ。

俺は何も描けずに泣く。

そんな自分が情けなくて、とても無力な気がして泣きわめいた。

なんの絵を描いたらいいかわからなくて泣きわめく園児がいるだろうか。

絵が描けないわけではなく、なにを描いたらいいかわからなくて泣いていた。大人も対応に困るだろう。

結局、主任保育士みたいなベテランの先生にマンツーマンで教えてもらい、事なきを得た気がする。

時に優しく、時に厳しく、「〇〇先生好き〜(揉み揉み」)と思えるタイプの先生ではないが、未だに名前も覚えているし、とても感謝している。

そんな記憶があるからか、今でもコミュニティができあがっている場所に入っていくのがとても苦手だ。怖すぎて行きたくない。

中途入社で即戦力が求められる状況に出くわすと鬱病に近づくやつだ。

まあ、こうやって過去を振り返ることによって、今の自分の価値観や好き嫌いが見えてくるので今後に活きる可能性はあるはず…

何かができないわけではなく、何をしたらいいかわからなくて泣いてしまう弱者男児として保育園で生きていたのだが、俺にも輝ける場所があった。

そう、運動会だ。

運動会だったら何をしたらいいかわからないということはない。

この種目ではこれをやるよ!と明確にわかる。そしてそれさえわかれば、幸運にも他のガキ共を無双できたのである。

そうこうしているうちに周りの子供が俺のことを認め始めて、絵を描くにも何をするにも別に怖がる必要はない、と実感したのである。

意外と独創性があったらしく先生も褒めてくれたし、周りの園児とも仲良くなり、どうにか無事に保育園生活を終えることができた。

ふぅ…、なんだか怖くて泣いて大変だったけど、今思えば充実した学園生活だったな…とココアシガレットを舐めながら物思いにふけっていた。

そして、春から小学校に行くということで黄色い帽子とランドセルを買ってもらい、家の中で無駄に着用して走り回っていた。

どっちも新品を買ってもらえたので嬉しかったのを覚えている。

見るもの全てが新鮮で、なにをするにも楽しいと思えていた。

しかし、その考えはずっと続くものではなかった。

そして、小学校に入学するのである。

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