小説 メルヘン #2

「ナナって、店に入ってからもうどのくらいになる?」
開店前、接客フロアのソファーに座り、朝礼が始まるのを待っていると、レイナさんが私の隣に腰かける。深緑色のキャミソールを着た、レイナさんの香水が香る。四月でも夜になれば冷える。この地下の店内にも暖房が入れてある。
「ええと、半年くらいでしょうか」
私は脚に保湿クリームを塗っていた手を止め、それから指を折り答えた。レイナさんは煙草に火をつけると眉間にシワを寄せ大きく吸い込み、吐き出す。香水、保湿クリームに煙草、匂いに占拠される。
「なんか、あっという間だね」
「はい、ほんとに」
私は頷き、またクリームを延ばしにかかる。レイナさんが、煙草の煙を輪っかにして見せてくれたので、「おお」と声を上げると、彼女はテーブルにある灰皿に灰を落とし、ゆっくり立ち上がる。それからヒールを鳴らし、長い黒髪を背中で揺らしながら、彼女のいつものソファーに戻っていった。引き締まったふくらはぎと、くっきりしたアキレス腱を見送る。レイナさんはアラフォーを超えていると思う。彼女と話すのは、いつも少し緊張する。

「レイナさん、なんて?」
匂いが漂う中に、オレンジ色のキャミソール姿のリサが来る。手には、コンビニ弁当が入ったビニール袋をぶら下げている。
「おはよう。いや、ただこの仕事始めてどのくらいになるかって聞かれたの」
「それだけ?」
「そう、それだけ」
私の答えにリサは、安心とつまんないが混じったような顔をし、袋からお弁当を取りだす。蓋を開け、醤油をかけるべきものに醤油、タルタルソースをかけるべきものにはタルタルをかけていく。それから出たゴミをまとめて袋に捨て、お茶を右、デザートを奥と、きれいに並べ、いただきますと手を合わせる。
私は、仕事の前はパンしか食べない。それも、具を挟んだり練り込んだりがない、小麦粉の味しかしないようなものだけ。リサに、お弁当とか、重くて秩序のなさそうなものを、どうして仕事の前に食べるのかと訊ねたことがある。リサは、白いパンだけのほうがおかしい、力が出ないし、何の楽しみもないじゃん、と返してきた。確かにそうだけど、顔を激しく上下させる前に、ひじきや唐揚げや梅干しご飯を胃の中に入れておくのは、落ち着かない。

五時五十分になり、店長がフロアに入ってくる。背が小さく肩幅も狭く、スーツが似合っていない。そのくせ妙にハンサムで、うさん臭いと言えば、うさん臭く見える。
「はい、朝礼をはじめます。あ、リサちゃん、お客さんの席にいろいろこぼさないでね」
「ほーい」
口に卵焼きをいれたまま、リサが返事をする。朝礼は五分間くらい。「ナナちゃん、素人っぽさを売りにするのはいいけど、アイラインくらいは引いてよ」とみんなの前で言われ、私は恥ずかしくて下を向いた。アイライナーを持ってきてないから、リサに借りないといけない。
リサは、私よりも三か月早く、この仕事を始めたらしい。私が二十二歳で、リサは、二十三歳だ。

        つづく

# 3 メルヘン

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