brunnenberg1955

読むこと・聴くこと・書くこと・弾くことが好きな初老の男性。Twitter ☞井山弘幸 …

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読むこと・聴くこと・書くこと・弾くことが好きな初老の男性。Twitter ☞井山弘幸 Literature&Music, Epicurism, Improvization @brunnenberg1955

最近の記事

遊び感覚 66-70話

  66話、ゴキブリ博士と対談 ある科学雑誌の新年号企画でM博士と対談することになり東京へ出かけた。会談のテーマは論争についてであり、この私は科学哲学の立場からM博士は現場の研究者の視点からそれぞれの思うところを述べることになっていた。  なにせ相手は父親ほど年齢が上であるし、キャリアの違いも歴然としている。それにM博士と言えば知る人ぞ知るゴキブリの大家でいらっしゃる。他方、この私はと言えば、いまだに学生と間違えられる、浅学非才の怠け者教師。碌に本を読まず、さりとて実験や調

    • 遊び感覚 61-65話

      61話 北海道貧乏旅行 今私は日本海を小樽より新潟に向かって航行するフェリーの食堂でこの原稿を書いている。室戸以来の大型台風にせき立てられて、慌てて旅立ったのは七日前。あこがれの異土の港に降り立った時の感動は、今なお新鮮だ。  北海道の魅力は、月並みに言うなら、文明の歯牙にかからぬ空白の大地にある。まぶたを閉じても、湿原に孤独に佇む「はるにれの木」や、人をあざ笑うように路上を闊歩するキタキツネ、緩やかな丘陵地帯に広がる尽きることを知らぬトウモロコシ畑を、造作なく思い浮かべるこ

      • 遊び感覚 56~60話

        56話 なかなか起きることができない!  真夏の朝はけだるく体は重い。気温32℃湿度70%体重83kg。何をするにも気力がわいてこない。甲子園の球児たちがベースに頭から滑り込むたびに、アナウンサーはやたらと気力という言葉を使うが、その万分の一でも授かりたいものだ。とにかく起きないことには一日が始まらない。一体何時ころでろう、うむ、はや2時とは。  もう少し寝てようか、いい夢を見るかもしれない。いやだめなんだ、今日こそはバルサンを買ってきて居間の絨毯に跋扈するダニを退治せねば

        • 遊び感覚 51~55話

          51話 集めるのが好き  いかなるものであれ、私にとってものを集めることは、いつに変わらぬ楽しみの一つとなっている。今は味気のない紙パックが主流を占めているものの、昔は牛乳と言えば、どれも個性的な意匠を凝らしたふたがついていて、自由な旅行を夢見たとてかなうわけではない子供の当時、見知らぬ土地の牛乳の蓋を人づてにもらってはスクラップに貼りつける作業に短期間ながら没頭したことがある。収集家としての第一歩を、私はこうして踏み出した。切手を集める人間が周囲に多かったせいでもあり、父の

        遊び感覚 66-70話

          遊び感覚 46-50話

          46話 三つの願い願を立てて成就する。それが他力によるものであれ、自力で獲得したものであれ、幸福の一つの形態であることに変わりはなかろう。それにしても、願い事の不慣れな人間はいるものだ。三つの願いをかなえて貰えると聞いた夫婦が居て、夫がでっかいソーセージが欲しいとまず言う。その慎ましさに腹を立てた女房が、そんなソーセージはあんたの鼻にでもぶらさげていればいい、とぼやくと本当にくっついてしまう。揚げ句の果て、最後の願いを使ってやっと元の鼻に戻してもらうという有名な民話がある。

          遊び感覚 46-50話

          遊び感覚 41~45話

          41話 いたずらが好き 最近は、私とて、立場というものはある程度は考えざるをえないため、めっきりいたずらをしなくなった。この年では、下手をすれば犯罪になりかねないし、見事成功したところで、喝采どころか憐憫と蔑みの入り混じった冷たい視線を浴びることになるからだ。私の愛読書、A・スミスが書いた「いたずらの天才」(文春文庫)は斯学の古典的名著とも言うべきもので、ここに盛られたいたずらの大部分は、学生時代に実地に試してみた覚えがある。  子供のころのいたずらは、今から思えばかわいいも

          遊び感覚 41~45話

          遊び感覚 36~40話

          第36話 吊革を持ち帰る 同僚の鈴木光太郎氏が「錯覚のワンダーランド」(関東出版社)という大変面白い本を書いた。目の錯覚について豊富な実例を引いて、その背後に潜むメカニズムを素人に分かりやすく説き明かしたもので、私のような錯覚人生を送っている人間にとっては教わることの多い導きの書である。  正直なところ、私の日常は錯覚や思い違い、もの忘れなどに満ちている。朝起きるとドアが開かない。五分ほど原因を考えたあげく、押すのではなく引くドアであることに気づく。階段を下りて台所で電気カ

          遊び感覚 36~40話

          遊び感覚 31話~35話

          第31話  幼なじみの葉子ちゃん  どこから話したらいいだろう。私の身辺に起きた事件の中でも、奇縁ということでは、何ものをも卓絶しているからだ。今から二百年前に、ウィルバーフォースという有名な奴隷解放論者が英国にいた、という事実と、秋田に私の友人Tがいたという事実が不思議とつながってくる。まあ、落ち着いて語ろう。長いけれど辛抱して聞いてほしい。 私と葉子とは、生まれる前から互いを知っていた、というのは彼女の言いぐさだ。双方の母親が親しかったこともあり、同学年の私たちは幼少のこ

          遊び感覚 31話~35話

          遊び感覚 26~30話

          第26話 情動的価値 かつて大英博物館の図書室の一隅で思索と読書に耽っていたユダヤ人がいて、ものには使用価値とか交換価値とか、さまざまな価値のあることを説いたそうだ。大学紛争後の世代とはいえ、私の学生時代には、この著名な哲学者の書物を読みあさる遺風がまだあった。喫茶店で「資本論」の読書会をしているころ、ものには何をもってしても換えることのできない情動的価値があると言い張ったことがある。今にしてみれば、知識も判断力も碌に備わっていない、ただ若いがゆえの自恃の心から発したものであ

          遊び感覚 26~30話

          遊び感覚 21~25話

          第21話 信州上田 長野県上田市の南方に広がる塩田平近辺に、ここ数年行くことが多い。「信州の鎌倉」という呼称はいかにも観光目当てでいただけないが、中禅寺、前山(ぜんざん)寺といった古刹は飾るところなく控えめな造りで、質素で静謐な佇まいが訪(とぶら)う者の心に惜しみない慰藉を与えてくれる。目の前で紬(つむぎ)を織ってみせてくれる民芸店を左手にやり過ごし、夏には朝鮮人参(天ぷら用)をざるで売っている土産屋の所を左に曲がると信濃デッサン館の脇に、前山寺の山門がある。  今日は電話し

          遊び感覚 21~25話

          遊び感覚 16~20話

          第16話 気になる看板 看板にもいろいろあるけれども、効果という観点からすると首を傾げたくなるものが多い。「交通安全宣言都市」という文句が大書された大層立派な塔のような看板をときたま見かけるが、これがドライバーの安全運転になにがしかの寄与をしている、などと考える者はまさかいないだろう。予算が余ったために建てたのだろうか。却って余所見運転を誘発して安全を損なう。同じくらいの規模の看板で長野県に「正直村の野菜クッキー」という奴があるが、何だろうと思って気がかりになり、これまた事故

          遊び感覚 16~20話

          遊び感覚 11話~15話

          第11話 実験と料理私にも科学者の真似事をしていた時代がある。理学部の学生の頃、私は白衣を着て熱心に実験をしていた。しかしながら、熱心さは常に成功を保証してくれるものとは限らない。私のフラスコの底に生成する物質は、やり方は同じでも、多くの学友たちが得る物質とはどこか違っていた。いつの間にやら私は要注意人物になっていた。試薬を入れる順番を間違えて、教室に青酸ガスを充満させてしまい「逃げろ」と叫んで倒れたこともあるからだ。 机の上にテキストを開いてパイプラインを接続していると、陰

          遊び感覚 11話~15話

          遊び感覚 7話~10話

          第7話 四分三十三秒 四分三十三秒。ジョン・ケージが作曲したこの人を食ったような表題の音楽は、演奏者がピアノの前に座り蓋を開けてからは何もせず、しばし沈黙を守ってから、唖然とした聴衆のざわめきを後にすたすたと舞台の袖へと戻っていくというものである。もちろんレコードなど出ているわけはない。(*実際出ていました。CDも)ほかならぬ聴く側の人間の奏でる雑音こそ、作曲者の意図した音楽であったというわけだ。  これは有名な話だが、五分五十六秒の方を知っている人はそう多くはあるまい。1

          遊び感覚 7話~10話

          遊び感覚 第4話~第6話

          第四話 遊びのこと「遊び」と言ってもいろいろある。ディズニーランドやそれには若干魅力が劣るものの近いという取柄のある安田アイランドなどの行楽地へ行くこと。同僚や仲間と夜の繁華街に繰り出して酒を呷りらあらあと世を呪いながら闊歩すること。評判になっているビデオを借りてきて冷凍寸前のところまで冷やしたビールを飲みながらささやかな映画鑑賞を味わうこと。コートを事前に予約しておいて週末のテニスを楽しむとか。飲み屋のお品書きのように俗に言うレジャーの数々が浮かんでくる。  一方、こうい

          遊び感覚 第4話~第6話

          遊び感覚 第1話~第3話

          第1話勉強しなさい、と親から言われずに育った私は、ときどきそう怒鳴られることを夢想することがある。独身生活だから、現実には叱ってくれる人間はいないのだけど、誰かに強制されることにも、少しばかりは良い点があると思う。というのは、日常生活の習慣の大部分が模倣と強制から形成されるからだ。 私には未だに勉強する習慣が定着していない。机に向かうまでが大変で、そのためには六種類の飲み物を必要とする。さあユートピア論のノートを作らなきゃと決心すると、とりあえず珈琲を淹れてということになる。

          遊び感覚 第1話~第3話

          Yoga Recollections 1959-1984 (03)

          懐かしき我が家用賀の家とそれに纏わる思い出をまた綴ることに。備忘録とは言っても書いたなりすぐ忘れるし、性懲りもなくだ。静岡県沼津市から東京都世田谷区用賀に越してきたのは昭和34年(1959年)3月。両親と妹とこの時点で家族は4人。後に次妹、弟が生れ、祖母祖父の順に迷い込んで最大8人に。のべ5匹の猫…の話は別のときにしよう。私が4歳になる8ヵ月前のことで転居は結構な事件なのにそれにまつわる記憶はない。幼児だから仕方はないとは思うが、もっと古い沼津時代のことなら結構覚えている。三

          Yoga Recollections 1959-1984 (03)