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【書評】『赤白つるばみ裏』あなたの声には価値がある

楠本まきさんの漫画は昔から大好きで、作品が出るたびに買って読んでいた。
だから『赤白つるばみ』の「ジェンダーバイアス」についてのひとコマ(「ジェンダーバイアスのかかった漫画は滅びればいい」というセリフ)が話題になった時は、こんなことを一読者が言うのはおこがましいけれどとても誇らしかった。今までの作品からも、はっきりと「フェミニズム」という言葉で表現をしていたわけではなくても、平等や自由な世界観はちゃんと伝わっていた。好きな人がやっぱりちゃんとフェミニストだったことに安心してしまった。それくらい、「信頼していた人や好きだった人がジェンダーだけに関しては無自覚に差別主義者」で落胆することが最近多い。

『赤白つるばみ』は「上」「下」「裏」が出ている楠本まきさんの漫画で、大人なのにいつも家にいる兄の大蛇丸、大学生の弟の由良ノ介という兄弟と、隣の家に住む三児のシングルマザーで翻訳家のヒルコを中心とした日常が描かれている。
淡々としたリズムながら、好きな服を着る芸術家の老女や、モノに色を見る女の子、弱視の美大生、劣等感と戦うヒルコの友人、ずっと同じ服を着ていたい男女の双子など、みんなが毎日少しずつ、人と違う自由を守るために、自由を大切にするためにあがいている。

作中で主人公ヒルコの末っ子が通う保育園ですでに「男の子なんだから泣かないの」と性別によるステレオタイピングを受ける場面があるように、ジェンダーバイアスは本当に根深い。まだ自分が形成されていない頃から浴びせられ続ければ、知らないうちに自分で自分を押し殺してしまう。これは女性蔑視につながっているものの、「男の生きづらさ」の根本でもあると思うのでジェンダーバイアスがなくなることは万人にとって福音のはずだ。

にもかかわらず、「ジェンダーバイアスのかかった作品は滅びればいい」という台詞にちょっとした反発があったみたいだけど、反対する人が守りたいものは何なんだろう? 漫画くらい、と言うのかもしれない。漫画の編集者だった藤本由香里さんの『私の居場所はどこにあるの?』には、ありのままの自分を愛して居場所を確保してくれる恋人ができれば自分は救われると思っていたが、その根拠が少女漫画だったことに気がついた時に愕然としたというようなことが書いてあった。私たちはフィクションに、実際の現実以上に影響される。触れるのが幼いころであれば尚更だ。例えば、女性のお風呂を覗くという行為に生まれて初めて出会ったのは「ドラえもん」ではないだろうか? そしてそれが「キャー」の一言で許されるという間違いも。この反応をフィクションで学んでいることによって、その犯罪行為へのハードルが低くなっていないだろうか。

『赤白つるばみ・裏』で一番印象的なのはラストにある「画家・彫刻家・詩人・チェンバロ奏者・女優そしてフェミニスト」の「キノさん」の語りだ。死んだ後のことなんか知ったことじゃない、としながらも今生きている誰かを勇気づけるから、自分がなんであったかを残さなければという。「ひとりでも多ければ多いほどいい/かつて私が勇気づけられたように」
少し前に比べれば、フェミニストとして声を上げる女性は格段に増えてきた。その一方で、熱心に勉強をして発信する人や、実際に活動する人もいるなかで意見を言うのをためらってしまう人もいる。長い歴史があるフェミニズムでは過去を勉強すれば解決する疑問も、フェミニスト同士でも意見が割れる問題もある。だけど、一番大切なのは声だと思う。ひとりでも多く声を上げれば、小さな疑問を聴いてくれれば、誰かを勇気づけることができる。あなたの声も、私の声も価値がある。『赤白つるばみ・裏』が私に教えてくれたのはそのことだった。

そして、本当にびっくりするのだけど世の中の半分程度は存在する、フェミニズムという言葉を聞くだけでうんざりしたり、否定的な反応を過剰にする人たちには「フェミニズムだけでなく、ルッキズムやエイジズム、些細だけど自分や他人に誠実じゃない言動をいちいち掬いあげているから、読めばきっと何かから楽になる」と勧めてあげたい。実際に言ったら喧嘩になるだけだろうけど。
それにしても二千花ちゃんが幸せそうで本当に良かった。


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