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日々是案山子(いなくてもいいとか)

犯罪系、なかでもサイコ系のドラマや映画を好んで観ているのですが、
ふと思うわけですよ。
犯罪者の当人にとって、被害者の人はどんな存在なのかな、と。

拷問が趣味ならその対象なんだろうけど、通り魔的に傷つけたり殺したりしてしまう場合、その「人」は生きていて生活があって家族や友達などの人間関係もあるかもしれない、ペットを飼っているかもしれない、夢があるかもしれない、ただただ虚無感に苛まれた人生かもしれない。
でも、知りもしない、関係もない人に命を奪われたいとは思っていないはず。
(もしかしたらゼロではないかもしれないが)

何かで揉めた、憎しみを覚えた、そんなこともなく、ただそこに居てしまった、そんな理由で人生終わらせられる。(受け身)
事故なら不可抗力だとしても、そこには自分以外を傷つけるという意思があるはず。

そういうとき、相手にも自分と同じ生活があり、辛いこと苦しいこともある、なんて想像しているだろうか。自分以外はハッピーハッピーイエーな人生を送っているしか想像できなくなるのだろうか。

心の病でそんな思考能力がなくなってしまうのだろうか。
それはけっこうつらいことだな、と考えたりします。

どっちがよりつらいかな、とか。

人を殺せば死刑になるって発想も、相手が道具でしかないって考えですよね。
わかる。その辺歩いてる見ず知らずの人って、ゲームの中のストーリーに絡んでこないただの絵だったり、そんな血の通ってない物のように感じることはある。
けど、それを殴ったり切ったり刺したりするってどういうことなのかな、と頭を悩ませるわけですよ。

ただ、わたしが幸せな生活を送っているってことなのかな。

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