『天気の子』の食事についての覚え書き

 『天気の子』、一ミリの留保もエクスキューズもなしに、最高の映画だった。自分が見た全部の新海誠監督作品のなかで文句なしにいちばん好きな作品だ。

「知ったことか、いちばん大事なものはこれだ」という、すごくロックな気分が横溢していて、そんな主人公に全身で肩入れをした。ものすごい豪速球、ためらいなしのストレートに、まっすぐ体を貫かれた衝撃が残ったまま映画館を出て歩くのは、とても気分がいい。

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 『天気の子』では、カップ麺とかチェーン店のパンバーガーとかホテルに備え付けのレンジでチンするメニューとかといったジャンクフードが、あるいは、ネギやポテチを使った安くても美味しい工夫をこらしたメニューが、とにかく旨そうに誰かの口に入っていく。「貧しさ」が大上段から「問題」になる感じはしないけれど、それは作中で常に登場人物たちの「背景」に、雨の降り続く東京の風景とともに、分かちがたくおさまっている。「もっといいものを食いたいのに」みたいな、みじめな感じはない。主人公たちは、その前提を受け入れて、そのなかで精一杯生きていて、目の前のそれらをじつに旨そうにたいらげていく。唯一、漫画喫茶のカップ麺がそう見えないのは、それがカップ麺だからではなく、主人公がそれを独りで、居場所を見つけられないまま食べる食事だったからだ。そのことは終盤、ホテルで食べるカップ麺をどんなふうな表情で主人公たちがたいらげるかを見れば明らかだろう。

 「決してリッチでない食事を、とても美味そうに食べる」主人公たち。それは、この映画か最初から最後まで放っているポジティブな波長と、踵を合わせたもののように思えた。

 他ではない、この世界で、できるだけハッピーになる。そういう意思のようなものを、『天気の子』の食事シーンは、雄弁に物語っている。

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