友人の死について

 昨日の夜からこちら、ずっと自宅で入力作業をしている。少し体調が悪いのを、だましだまし続けている感じ。

 今日の午後になって、大学時代からずっとお世話になっているH先生から電話があった。すごく久しぶりにお話しする感じになってしまい、互いに近況を話しているなかで、そういえば、と先生が切り出した。

「O君が亡くなったの、知ってる?」

 びっくりした。大学時代の友人であるOとは、卒業後しばらく年賀状をやりとりするくらいの間がらになって、それも途絶えてしまってもうずいぶんになる。だから近況はまるで知らなかった。
 先生も、Oと連絡をとっていたわけではないのだけれど、先生がたまにボブ・ディランの原稿を寄稿している「ミュージック・マガジン」編集部に、かつて先生の授業に出ていたひとがいるらしく、そのひとがOと友人で、彼の訃報を先生に知らせてくれたとのことだった。

「火災だったらしいよ」

 そう聞いて、ますます驚いた。火災……。ふと偶然、つい昨夜みたばかりの、たけしが語る師・深見千三郎という番組のことが頭をよぎる。深見千三郎もまた、煙草が原因とみられる火災によって、その命を落としたのだった。

 電話を終えてから、仕事に戻ろうとしたのだけれど、なにか気持ちがそっちへ向かない。パソコンの前を立って、コーヒーを淹れ、新しいお香に火をつけた。

 長いこと没交渉だった友人の死について、ことさらに悲しんでみせるような気持ちにもならないままの自分の薄情さを実感しながら、彼のことをさっきからずっと考えている。
 大学一年のとき、H先生の一般教養の教室で一緒になったメンツはそれなりに話をしたりする間柄だった。声優志望のF、小説家志望のM、ミュージシャン志望のNは、卒業後すぐにバンドデビューし、今も旺盛に活動している。Oもそんな仲間のなかのひとりだった。

 Oと話したことといって、たいして憶えていることがあるわけではない。ひとつだけ、いま思い出したのは、尾崎豊について深夜、友人の部屋に座り込んで、熱心に話したことだったりする。ぼくは当時、尾崎がどうしても好きになれなくて、そのことを率直に言った……ような気がする。Oはそれになかば同調しつつも、尾崎の曲に対して、でもああいうものがあるのは理解できる、といった意味のことを、でも客観的な冷めた立ち位置からではなく、自分のこととして、話していた……ような気がする。
 どちらもおぼろげな、印象の記憶でしかない。
 そんなことくらいしか、ぼくのなかには、Oについて残っていない。
 それにも関わらず、確かにこれは"喪失感"というしかない、そういうものが沸き起こったりもするのが、それが、古い友人の突然の訃報、というものなのかもしれない。

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