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小説は一対一で語り合うもの

小説以外にも、映画やアニメやコミックなど様々なエンタメがこの世には存在します。数多くあるエンタメの中で、小説の特徴とはなんでしょう。

僕は、「一対一で作者と読者が過ごす時間の長さ」だと思っています。小説の執筆は基本的にひとりで行います。書き終えたあとには編集者さんや校正さんが助けてくれますが、書いているときは孤独ですし、最終的な責任は作者にあります。
読者も孤独です。朗読で聴く場合もあるでしょうが、小説を読むときは大抵はひとりです。一冊の本を複数の人で同時に読む人は少ないと思います。

読書をしているときは、読者は本を通じて作者と一対一で過ごしていることになります。それもかなり長い時間。
何時間も同じ人とずっと過ごして、話を聞き続けることは少ないと思いますが、読書では、椅子に座って(寝転んでもいいですが)、著者の話を聞く(実際には読む)ことになります。
実際に知らない人が家に来て、朗読されたら怖いですけど、読書ならその心配はありません。

本を読む行為は、映画やコミックに比べて、かかる時間が長いです。一本の映画を鑑賞するには大体2時間ぐらいですし、一冊のコミックを2時間かけて読む人は少数派でしょう。
小説は一晩以上をかけて読む人が多いと思います。中には速読する人もいるでしょうけど、それをいうなら映画を倍速で鑑賞する人もいますから、一般的にかかる時間でいえば、小説は長い方だと思います。
他のエンタメよりも長い時間、本を通じて読者は著者と向き合うのです。

どんな小説でも、その文章には作者の考えや思いが多かれ少なかれ染み込んでいます。大袈裟に言えば、小説は作者そのものです。少なくても作者の一部と言ってよいかと思います。本を挟んで、読者は作者そのものと向き合っているのです。

読者は作者の文章をただ読んでいるわけではありません。文章を読みながら、読者は風景や人物を想像し、作者の言葉をときには批判的に解釈します。
読書の時間を管理しているのは作者ではなく、読者です。作者は風景描写や改行などで、読書の時間をコントロールしようとはしますが、どのスピードで読むのか(ときには読み飛ばすのか)、休み休み読むのか決定権は読者にあります。
読者はただ唯唯諾諾と作者の文章を読んでいるのではなく、読書という行為においては読者こそ主役です。

長い時間、作者の一部である小説を読みながら、読者は作者と語り合っているのかもしれません。

これこそが、小説の大きな特徴だと思います。一対一で語り合うように長い時を過ごすのが、小説の特徴であり、面白みだと思います。
最近では本も高くなってきて安いとはいえなくなりましたが、それでも他のメディアに比べて長い時間を安い金額で長く楽しめると思います。
ショート動画や短いネット記事も良いですが、本を手に持って、作者とじっくりとした時を過ごすのもたまには悪くないんじゃないですかね。

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