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クオリティオブライフ的に考える、ひと(自分)の最期のタイミング

どんなに時間に正確な人でも、自分の「死」についてはコントロールできない。どんなに健康に留意しても、その最期はまったく本人の予想出来ないタイミングでやってくる。

健康寿命こそ重要と叫ばれる今日、「健康寿命」でない状態になるとそれはそれで本当に大変なのだ。また、それをそばで見てきた周りの家族たちの辛さたるや。いい意味でも悪い意味でも、「死」や、「余生」に対しての考え方は大きく変わると思う。

成田悠輔さんの「集団自決」発言が物議を醸している。あまりあの発言をした前後の文脈を分かっていないので意見は控える。(氏は、キャリアや地位にしがみつく高齢な方々に対しての「潔いリタイア」を促す発言をしてきたとこをしばしば見たので、やんわりとそういう意味あいのことを強めに言ったのかも。あくまで想像。)ここでは、私はそういうことを言いたいのではない、そこだけははっきり言いたい。

私個人としては、80歳くらいになって、ある程度まだ考えがクリアな段階で「ほな!」ってな感じであの世に行ければなぁ、なんて考えてる。(それも痛みや苦しみが極力ない方法で。)予め見られたくないモノや処分しておきたいモノなどちゃんと片付けて、亡くなった後の法的な手続きもしっかりやっておいて、残された人たちが葬式やら手続きやらで忙殺されないのが一番理想。そこはDIYでやりたい。

そう思ったきっかけは、私の祖母のお葬式に参列した時。セレモニーホールで行ったあの形、あの儀礼的な「ザ・葬式」で私自身は送られたくないなーって、思った。葬式のBGMの選曲くらいさせて欲しい。死装束くらい好きな服選ばせて。いや、葬式自体したくない。みんな忙しいだろうから、死んだら自動送信でお別れのDMが facebookやショートメールで送られるようにする程度でいい、と思ってる。

その理想が実現可能なのかどうか、随分前に暇な時に調べてた。安楽死/尊厳死ってのは海外のホスピスや機関などで条件付きながら実際になされているのは事実。しかしながら日本国内では今は無理。

仮に、これが人生の選択肢として(あくまで強制ではない)成立する日本になったとしたら、どうなるのか?勝手に想像。

メリットとしては、
①確実にそこに「ビジネス」は生まれる。そして、生前葬パーティーなどが一般化するかも。「葬式」という、いきなり何の予告もなく親族が呼び出されるような理不尽は見直されるのほぼ確実。それらに入れ替わるように新規ビジネスが一般化するのだろう。メタバースの世界で死後もその人と会えたり出来るような世界ができれば、「現実の死」なんてのは、あまり重要視されなくなるのかも。
②Xデーが明確になっているので、終活がよりリアルで緻密にプランニング出来る。→結果、相続などで揉めることが少なくなる。(おうちの売却及び解体や相続、各種手続き)
③また、最期の前に健康診断を行い、移植用の臓器や血液などとして利用できるものは利用することで、希少臓器や血液のストックが多少増えるかも。

デメリットとしては、なんだろう?もし仮に尊厳死に関する保険金や年金受給に何かしらの抜け穴があれば、それらを利用した悪質なビジネスが発生するかも。(生活保護ビジネス的な)
安楽死がフランクになるとそれに引っ張られる形で「自死」も増えるのかしら?それはちとわからんが。
まあ、デメリットがあまり浮かばんですね。

※こういう選択的な終活事は、「自死」とは区別した方がいいかもですね。「公示死」とか?あくまで公的に進める死という事で。

80年くらい生きれば、自分は生きたと思える。それで充分だ。それ以上生きて周りに迷惑かけたりはしたくない。そういう価値観も許容されてもいいんじゃなかろうか?

(まあ、43の若造が80になってどう考えが変わるかも見どころです。)

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