解脱な母

父が亡くなって1年。母は施設で穏やかに暮らしている。おぼつかないけど自分で歩けているし、食事も自分でできている。表情が乏しくなって表情筋が緩んだせいか顔のシワもなくなった。目も見えているし、耳も良くて隣室を掃除中のヘルパーさんの声に反応して「はーい」とよそ行きの声で答えたりする。

会話はほとんど成立しない。記憶の中でふと映し出された過去のシーンのことを話しているようだけど、その映像を見失ってしまうのか話が途中で迷子になってしまう。「階段の上にお米が買ってあるから」と言ったきり止まってしまう。「階段の上だね」と返すと「りんごがね。八百屋さんみたいな所で売ってるから」「そうね。今度はりんご持って来るね」しばらくすると「はーい。すみません。今、行きます」

どうも弟が死んだことになっていることが多い。叔母に話すと祖父が亡くなってすぐに1番下の弟が亡くなったことと混同しているのかもしれないと言っていた。そういえば父の葬儀の時も「男の人が2人も続けて死んでしまって」言っていた。歳の離れた弟が若くして亡くなったのはショックだったのだろう。母には5人の兄弟姉妹がいるが、よく出て来るのは下の2人の弟と妹のこと。可愛がってたんだろうなあ。

先日は寝ているのを起こしたら、しばらくじっと私の顔を見つめて私を認識してから「昨日は胃から赤い物が、びよーんと出て来て大変だった」と言う。え?エクトプラズムか何かが出てきちゃったんだろうか。口から出てきた霊魂を天ぷらにして食べる水木しげるの漫画を思い出してしまった。

母は、欲も我もなくなって自己の認識もおぼろげになっているようだ。ある意味、解脱した状態かもしれない。負の感情も消えて、穏やかな清らかな魂で晩年、記憶の断片を手繰りながら過ごせるなら認知症も、そう悪いものではないような気がする。

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