わたしの好きなものもの・4

インコ

わたしと鳥との出会いは、小学生の頃。当時、近所に住んでいて仲の良かったあゆちゃんの家にいた、たくさんの小鳥が初めてだった。

あゆちゃんは小3のときに転校してきた。あゆちゃんにはお母さんと中学生のお姉さんがいて、でも家にはいつもどちらもいなかった。祖父母と同居していていつも誰かしらが家にいたわたしにとっては、誰もいない、ひっそりとした家というのはとても不思議な空間で、正直に言うとちょっと羨ましかった。あゆちゃんは少し変わった女の子だった。学校からの帰り道、突然魚の名前のあだながほしいと言い出したことがあった。ああでもないこうでもないと二人で一生懸命考えたが、結局、あゆちゃんに落ち着いた。鮎なんだからいままでどおりでいいんじゃん。ふたりでげらげら笑った。あゆちゃんの家に行くと、出迎えてくれたのがくだんの小鳥たちだった。ジュウシマツとかシジュウカラとかそのような種類だったのだと思うが、玄関に置かれた鳥かごのなかで、小鳥たちは騒々しく鳴いていた。かごの底には新聞紙が敷いてあって、フンがたくさん落ちていた。嗅いだことのないにおいもした。そんなあゆちゃんの家で、わたしたちはあゆちゃんのお母さんが仕事から帰ってくるまで遊んだ。あゆちゃんのお母さんは、うちの母親とは真逆の雰囲気を持つ人だった。いつももっと遊んでいきなよと言ってくれたけれど、わたしはなぜだか急に悪いことをしている気分になって、逃げるように家に帰った。学校帰りはあゆちゃんの家に直行するのがお決まりで、あんなに毎日のように遊んでいたのに、別々の中学に進学してからはぱたっと会わなくなった。

いまから10年ほど前、仲の良い友人がセキセイインコを飼い始め、わたしもインコを飼わないかと勧められた。インコのいる暮らしはいいぞ、インコはかわいいぞ。たしかに写真で見るインコはかわいくて、一緒に暮らしたら楽しそうではあったが、そう考えたときにいつも思い出されるのはあゆちゃんの家の玄関の不思議なにおい、騒々しさ、そしてどろどろの新聞紙だった。やはり小鳥は写真で見るくらいがちょうど良い。だいいちわたしが生き物の命をあずかるなんて。

はたしてそれから1年後、わたしは2羽のセキセイインコを飼い始めることになる。説き伏せられたのはわたしではなく、わたしから話を聞き続けた家族のほうだった。家族がセキセイインコを飼いたいと言い始め、1羽じゃ寂しいだろうからとわたしがもう1羽飼うことになった。インコたちを連れて帰った日の夜、わたしはひどく落ち込んだ。なんで生き物なんて飼い始めてしまったのだろう。死なせてしまったら? 逃がしてしまったら? 不幸にしてしまったら? わたしに責任なんか負えないってわかっていたはずなのに。

翌朝、インコたちは力いっぱい鳴き声をあげて何かを訴えた。教えてもらったとおりにそっと握って差し餌をしてやると、インコたちは信じられないくらいのスピードでおかゆのような餌を食べた。初めて、自分が誰かにとってなくてはならない存在になれた気がした。この子たちを生かすために、わたしも頑張って生きねば。この瞬間、わたしのインコに対する愛情が爆発した。

いまわたしがともに生活しているのは、2代目となるオカメインコだ。あのときわたしが世話したセキセイインコは、2歳になる目前で産卵に失敗して突然この世を去った。愛情を注いだものが消えてしまうとこれほど悲しく辛いのかと、自分でも驚くほどに泣いた。助けてあげられなかった悔しさと申し訳なさで息ができなかった。それまでペットロスは犬や猫に対して起こるものなのだと思っていたけれど、そんなことはまったくなかった。空の鳥かごを見ては泣き、思い出しては泣き、思い出さなくても涙が流れた。もう生き物は飼わないと誓った。誓ったはずだったけれど、半年後、縁あって我が家に来てくれたのがオカメインコだ。

そのオカメインコが、先月6歳になった。

愛おしさは6年経ってもずっと変わらない。初代のセキセイインコに対する愛情も消えない。ずっとずっとかわいくて、大切なわたしの相棒。この手のひらの上のあたたかな命は、わたし次第で簡単に消えてしまう。そのことを考えると、いつだってひどく恐ろしくなる。この子には、初代のセキセイインコのぶんまで長生きして、健康で楽しく幸せに暮らしてほしい。毎日毎日そう願っている。やはり2歳を目前にして、産卵による命の危機にさらされたけれど、あのときの教訓を生かし、なんとか二人で、いや、初代のセキセイインコと三人で乗り切った。それ以降は大きく体調を崩すこともなく元気にのんびり暮らしている。

辛いとき、落ち込んだとき、仕事がうまくいかなかったとき、自分にはこれっぽっちも価値がなくて、社会のどこにもはまるところがないような気分になる。別のパズルの箱に紛れ込んでしまったピースのような、そんな気持ち。でもそんなときでも、インコは毎日わたしの肩に乗ってくれて、わたしのあげたごはんを食べてくれる。わたしがごはんをあげなければ、この子は生きていけない。そう思うと、ほんのわずかだけれど、確かに自分には存在意義があるのだと感じられる。いや、感じさせてもらえる。オカメインコの平均寿命は20年前後。先日30歳を超えたとても元気なオカメインコの動画をみて、ますます頑張らねばと思った。6歳のこの子はまだまだこれから。うんと長生きして、うんと幸せになろうね。

ちなみに、初代のセキセイインコと同時にやってきたもう一羽のセキセイインコは、いまも現役バリバリで日々元気に暮らしている。今年の6月で9歳。立派なシニアインコだ。いまも大きな声で、めしはまだかと鳴いている。

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