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何も伝わってない

本日は美術展に行ってきました。

展覧会を見終えると、この3点がポスタービジュアルに持って来られてるのは納得感高い。

これは六本木という土地柄も多分に関係あるのではないか、と思うのだが、お客さんの中にはマスクを着用していない方も多かった。
そしてそういった方々は、作品の前に写るワタシの写真を連れ合いの方に撮ってもらっていたり、カップル同士で美術展に来てる私たちイェーイの自撮りなんかをよくしている。

まぁ、偏見もあるよ、それは否定しないけど、作品の鑑賞、それによってどのようなことを感じたのか、そういった体験をするため、というのが美術展に訪れる殆どの人々の目的なのだという理解でいるので、どうしても違った趣きを感じるとる方々が目立つし、否定的な感情を否めない。

だが、彼らのような“ミーハー”な観客がいるから展覧会というビジネスが成り立っているんだよ、という言い分も、まぁ理解はする、理解はするが、感情として受け入れ難い。


っていう感じのテーマが展覧会全体を通して語られていた気もする。

コロナ禍について、ウィルスの脅威自体が何もかもこの世から消え去ったわけではないのに、徐々に無かったこと感が出てきてますよね。
たくさんの人と人の往来は徐々に戻りつつあり、この3年間の中で、世間はどのように変わっていったのか。その中に生きる私はどのように変わっていったのか。

この世界に生きる多様な存在について、そこにこれまでもあるがままに在ったという事実。

それは私という個人が嫌に思おうが、ただそこに存在しているんですよね。

俺はこいつとは仲良くなれないだろうけど、こういうやつが生きてて、楽しそうで、それでいいんじゃない。
似たように見えることでも、個々人の思いは違うしね。

なんやらよくわからない展示空間に、どんな作者の想いが込められているのかを読み解いたり、自分自身の中に照らし合わせてみたりすることと、別にそんなのいいからそこでイケてる写真が撮れたらいいかなって人も、ただそこに在るだけだからね。


往来のみんなが、みんなを思いやって欲しいという、それだけ。

あなたに伝えたい気持ちが伝わればいい。

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